脳機能からみた認知症

エイジングライフ研究所が蓄積してきた、脳機能という物差しからアルツハイマー型認知症を理解し、予防する!

脳卒中の後遺症ー右脳でできること・左脳でできること

2017年06月11日 | 右脳の働き

フェイスブックは思いがけない情報が飛び込んできます。例えば「友だち(私の場合は会ったことのある知人)」が、ある記事に「いいね」をしたらそのお知らせが来るのです。自分からは多分見ないだろうし、存在も知らないページを紹介してもらうことになるわけですね。
最近の散歩道で出会った花たち。ジャカランダ

「みんなの介護」というページに三人の「友だち」が「いいね」をしていました。
これから連載される、6年前に「クモ膜下出血」に襲われたコータリさんという方のエッセイです。コータリさんは要介護5のコラムニストと紹介されています。
ざっくりと言ってしまえば、クモ膜下出血は1/3が死亡、1/3が軽いものから植物状態まで含めて後遺症ありで生存、1/3が回復(とされますが、その中に前頭葉の機能障害を残す人たちがいます)といわれます。
それは治療方法とか設備や技術という前に、どの血管がどの程度に破裂したのかという、むしろその人が生来持っていた条件によって決められるのですが。最近は未破裂動脈瘤(これが破裂するとクモ膜下出血をきたします)の予防的な処置が行き届いてきてますから、この割合は少し変わったかもしれません。
ジャガイモの花。昔ヨーロッパでは花を観賞用にするために育てたのだとか。

さて、コータリさんはずいぶん重い後遺症に襲われたようです。
「一生、目を覚まさないかもしれない」といわれたと書かれていましたから。そして急性期の大学病院、リハビリ病院で1年間の入院生活を余儀なくされて、次の転院は療養型の所といわれたそうです。胃ろうがあって、タンも喉からとって、意識水準もあやふやな状態…
ところが、ご家族がリハビリ病院を希望され、その後在宅を選択された。
ウツボグサ

実は今日のブログはそのリハビリ病院での出来事についての解説をしたいのです。
引用をさせていただきましょう。以下引用は青字。
「ボクはもちろん劣等生でなにもできない。やる気なんてない。でもスパルタなリハビリ病院に入ったので、嫌でも毎日リハビリは続く。」
この「やる気のなさ」そのものが右脳障害の後遺症というとらえ方が、本当にありません。左脳障害の方々は、失語症や利き手の障害を抱えながら、努力を続けることがほとんどです。これは良い悪いを言っているのではなく、後遺症と理解することで対応が変わるのではないかということが言いたいのです。
家族と当直の看護師さんと面会時間ギリギリまで食べて、はみがきもする。うがいもできない。どうやるのかも思い出せない。「パパ、ペッってやるんだよ」と言われても思い出せない。」
思い出せないのではありません。脳障害の後遺症としての失行です。上にあげられた例は左脳の障害で起きるとされています。
満開のシモツケソウ

その厳しいリハビリ病院から、自宅へ退院されました。ご家族の覚悟はどれほどだったか…
「左半身は麻痺が残り、歩くこと立つことはもとより寝返りも自分ではうてない。しゃべることも苦手。トイレにだって行けない。ほとんどなにもできない」
左半身のマヒということは、右脳がダメージを受けたということです。上肢のことは書かれていないということは下肢により強い後遺症があったのでしょう。そうすると右脳の後半の方がダメージが大きかったことになります。利き手でない左手が思い通りに動かなくても、利き手が動けば問題はないというだけかもわかりませんね。

「しゃべることも苦手」
ここからは二つ考えなくてはいけません。一つはマヒが喉や口の筋肉にまで及び、声を作ることが難しい(構音障害)をきたしている。これはしゃべれないと表現されますが、正確にはしゃべりにくい、ろれつが回らないので周りの人に理解してもらうのが難しい状態です。失語症ではないのです。もう一つは文字通り「しゃべれない」あたかも知らない外国語が話せないようにといえば理解しやすいかもしれません。これが失語症です。

「家族は大変だったに違いない。その頃は、申し訳ないと思う余裕もない。」
後遺症の程度や個人差にもよりますが、このような傾向は右脳障害の後遺症としてのほうがよくみうけられます。
蕾のシモツケソウ

「家に帰ってからのリハビリは試行錯誤。毎日毎日繰り返す。スプーンを手に口にもっていくことができない。手が止まる。「あれ?どうやるんだっけ?」。本当にわからなくなる。それを家族がボクの手の下に手を添えて上にあげる。ボクのスプーンを持った手が口もとまで行きやっと食べることができる。何度かはそれを覚えていて食べることができるが、なんかの拍子にまた忘れる。するとまた手を添えてくれる。何千回やったことだろう。残念ながら自分では覚えていないのだけど、そうやってようやく食べることを思い出す。一事が万事そうである。何千回、何万回の繰り返しでようやくできるようになる。」
これは失行の状態を、後遺症を抱えた人の立場で語っていらっしゃると思います。前にも書きましたがこのようなタイプの後遺症は左脳障害から来るといわれています。
ところが。
「でも、こうして書くことはそんな訓練もなく割と早いうちからできた。いまの自分が思っていることをそのときに書く。」
スプーンや歯ブラシの使い方がわからないほどのひどい後遺症をもちながら「書く」ことはできるのです。「しゃべることは苦手」というのが構音障害だとすると(もう少し情報が必要です)失語症はないことになります。コータリさんは右脳障害を主に考えたほうが、理解してあげやすいかもしれません。
このようなアプローチは、本当に目にすることが少ないです。研究や学会発表を業務の一環にしているようなところだったら、右脳や左脳やたまには前頭葉機能についても、分析していることがありますが、やはりあくまでも少数派でしょうね。
「できないこと」の原因をもう少し知ってあげる、それが脳機能障害による致し方ないものか、気分的なものなのかを見分けるということですが、そうすることでリハビリの効果は上がるものだと思います。
ベニガクアジサイ

「失行」がなぜ起きているのかの説明が不足していますが、これから読み進めていくうちにもう少し的確な推理ができるかもしれません。

 


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