新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

レイ・ブライアントが亡くなった

2011-06-06 22:25:25 | 音楽

悲しいニュースが密やかに流れていました。
共同通信の記事を転載しますと、

レイ・ブライアント氏死去 米ジャズピアニスト
 レイ・ブライアント氏(米ジャズピアニスト)米紙ニューヨーク・タイムズ(電子版)によると2日、ニューヨークの病院で死去、79歳。病気療養中だった。
 31年ペンシルベニア州生まれ。戦後のジャズブームの中で注目を集め、同州フィラデルフィアの「ブルーノート・クラブ」で兄のベーシスト、トミー氏と演奏。
 チャーリー・パーカーやマイルス・デイビスとも共演した。(ニューヨーク共同)2011/06/06 01:14   【共同通信】

だそうです。

私は、二度、レイ・ブライアントの演奏を聴きました。
最初はソロ(@ TOKYO FM HALL)で、二度目はトリオ(@ よみうりホール)でした。

どちらの時も、レイのピアノがグルングルンと盛り上がると、会場もどんどんノリノリになって、それに呼応してレイのピアノはますますグルングルン と、まさしくソウルフルかつブルージーで、レイ(トリオ)と聴衆とのインタープレイのようなライヴでしたっけ…

私が最初に買ったレイのアルバムは、

110606_1_1

名盤「アローン・アット・モントルー」でした。
CDではありません。LPレコードです

このアルバムは、タイトルどおり、1972年のモントルー・ジャズ・フェスティバルでのピアノ・ソロの実況録音版です。
よく知られているように、このアルバムに収められている演奏は、レイオスカー・ピーターソンの代役として出演したときのもの。
LP版のライナーノーツ(by 児山紀芳さん)から引用しますと、

そのレイ・ブライアントが第6回モントルー・ジャズ・フェスティヴァルでスターになった。20年目にして、はじめて経験した大きな成功であった。もともとその日、6月22日は、オスカー・ピーターソンが出演するはずであった。トリオを解散して、ソロ・ピアニストになる決意を堅めたオスカーが、この日、デビューすることになっていた。しかし、オスカーは直前になって準備不足を理由に出演を断ってきた。レイ・ブライアントはその大役をプロデューサーのクロード・ノブから申し込まれたのであった。

突然、檜舞台に引きずり出されたせいか、始めはちょっと控えめな演奏ながら、観客の反応で自信を持ったか、中盤からの気の入り具合が凄い

このアルバムは、絶対にシャッフルして聴いてはダメです。
収録順に、時間の経過を感じながら聴かなければもったいない

どうやら現時点では、この名盤が絶版のようです

きっと再版されると信じつつ、レイ・ブライアントの冥福を祈ります…

久しぶりにLPレコードを聴いてみますか…。

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