新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

紀伊半島旅行記(その31:奈良⑦)

2014-07-20 09:52:54 | 旅行記

「紀伊半島旅行記(その30:奈良⑥)」のつづきです。

140720_1_01 私が奈良の街を歩き回ったのは5月2日でした。
この日の朝の散歩で見かけた市の広報板には、

5月2日 東大寺 聖武祭

というポスターが貼られていて、聖武祭って何だろな?」と思っていました。

正式には「聖武天皇祭」というもので、聖武天皇ご命日に合わせて、その遺徳を偲ぶ法要のようです。
もっとも、東大寺のHPには、聖武天皇のご命日云々の直接的な話は書かれていません。恐らく、「5月2日」旧暦「天平勝宝8年5月2日」だからなのでしょう。

聖武天皇祭では練り行列なんぞも行われたようですが、私はそんなことをつゆ知らず、マイペースで東大寺の境内を散策しました
その東大寺の境内は、(ばん)が掲げられて、なんだか華やいだ雰囲気

140720_1_02

でも鹿ちゃんは、「我関せず」とばかりにまどろんでいらっしゃいました。

140720_1_03

私、この日が「聖武天皇祭」だと奈良に来て知ったくらいですから、まったく期待も何もしていなかったのですが、「聖武天皇祭」特典として、通常は非公開「天皇殿」を拝観することができました

140720_1_05

こりゃLucky

天皇殿は、南大門を入ってすぐ右手、寺務所の区域内にあるのですが、こんなところに聖武天皇をお奉りする建物があるとは知りませんでした

140720_1_04

普段はしっかりと扉が閉められて目立たない存在なんでしょうけれど(気にしたこともなかった…)、この日はの紋章が染め抜かれた紫の幕で目立ちまくり

140720_1_06

門を入ると、すぐ右手にあるのが、国宝「本坊経庫」

140720_1_07

正倉院正倉でもおなじみ(?)の校倉造の「倉庫」です。
東大寺が創建された際に、大仏殿の裏手に貯蔵庫として建てられ、江戸時代に現在の場所に移築されたものらしい。
これで、私は東大寺の国宝建造物コンプです

さて、この日のメイン、天皇殿五色幕おめかししていました。

140720_1_08

この五色幕、遠目だと「染められたただの布」ですが、よくよく見ると牡丹唐草文様が織り込まれていてかなり美しい

140720_1_09

んでもって、天皇殿の内部は、寝殿造りっぽいっつうか、神社みたいでした。「拝殿」の奥から廊下で「本殿」に繋がっているみたいで…

140720_1_10

横から見ると、ホント、神社みたいでしょ?

140720_1_11

「拝殿」は三方が蔀戸(しとみど)になっていて、夏には心地良い風が吹き抜けそうです。

140720_1_12

というわけで、天皇殿は、東大寺の境内ではかなり異色の存在だと思った次第です。

140720_1_13 結構満足して、そして、南大門を通って、次の目的地へと向かいました。

何度観てもデカいなぁ、金剛力士像

140720_1_14 そういえば、今秋から20年振り金剛力士像修理が行われるとか。こちらの記事によれば、修理期間中は拝観できないそうですから、お出かけにあたっては注意が必要ですゾ。

【追記】天皇殿は、そもそも東照宮として建てられたものらしいです。神社っぽいのも宜(むべ)なるかな… (2014/07/21 22:23)

つづき:2014/07/21 紀伊半島旅行記(その32:奈良⑧)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする