原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

大都会のエスカレーター乗車マナー、統一するのは困難かとも感じる…

2021年12月06日 | その他オピニオン
 少し古くなるが。
 
 朝日新聞2021.11.25付夕刊 取材考記 「エスカレーターも片側空け 困難な実情みた 『止まって乗る』当たり前になれば」の一部を、以下に要約引用しよう。

 都市部で見られるエスカレーターの「片側空け」の慣習は、急ぐ人たちのための「マナー」として広がった。 ところが障害がある人達にとっては「困難」につながっている。
 そもそもエスカレーターは、「歩くこと」が前提の構造になっていない。 事故も多発し、鉄道会社も「歩かず立ち止まろう」と呼び掛けている。
 だが、慣習を変えるのは容易でない。 「朝は時間を無駄にしたくない」「歩くのが悪いというのは一方的」といった声もある。

 (以下略すが、以上朝日新聞「取材考記」 デジタル機動報道部 高橋健次郎氏の記載の一部を引用したもの。)


 先だって、この原左都子もJR山手線の某駅を電車乗り換えにて訪れた。

 JR山手線と言えば、おそらく全国一の乗降者数を日々抱えて運行している鉄道路線であろう。
 平日の午後だったが、かなりの混雑の中、既に高齢域に達している私も各駅のエスカレーターのお世話になった。

 既に7年程前になるだろうか、私は自宅バルコニーにて洗濯もの取入中に激しく転び、左鎖骨・右手首同時骨折の重傷を負った経験がある。
 あの同時2箇所骨折事故を未だ高齢域とは言えない頃に経験した事実が、現在の私にとって実に良き教訓となっている。

 特に大都会の階段やエスカレーターでの昇降の際には、今でも緊張する。 (ここで転んだら同時2箇所骨折どころか命が無いだろうし、また周囲の乗客も巻き込んでしまった場合、大変な賠償額を抱えることとなろう。)😫 

 階段の場合、端っこの手すりにつかまってゆっくり歩くのは既に常習化しているが。
 特にエスカレーターへの乗降は、いつもド緊張状態だ。 とてもじゃないが人混みの中歩いて乗降するなどの運動能力は既に無い私は、必ずや左側に立って乗るのが常である。

 そのようにエスカレーターでは必ずや左側に立つ派の私にして、やはり“右側歩き乗り”の危険性を感じる機会はある。
 例えば、歩いている人の荷物が右側に立っている人に当たったり。

 
 ずっと以前の話題になるが。

 我が娘が3歳児の頃、池袋サンシャインシティへ遊びに連れて行った際に、比較的空いているエスカレーターに乗った。
 空いていたからこそなのだが、未だ幼少の娘の手をつないで2人で横列に立ち止まって乗ったら。
 後ろからやってきた若き女性が、携帯で電話をしながらエスカレーターに乗ってきて、電話口で相手に告げるには。
 「非常識な母娘がいて、エスカレーターを横列で塞いでいるのよ! こんなマナー違反ないよね!! こちらは急いでいるのに、まったくもって腹立たしいったらないわ!!」
 はてさて電話の相手は何と答えたのやら、私の知ったことではないが。

 要するに当時より、「エスカレーターでの左側立ち止まり、右側歩行ルール」は既に都会では通用していた、との事件だった。

 
 実際、首都圏東京の鉄道網では、確かに皆さんがそれに従うのがルール化されていると考えてよかろう。
 
 これ、今更鉄道会社が「エスカレーターは歩くことを前提としての構造になっていない」と言ったところで、時既に遅し感もある。
 それを主張したいのならば、もっと強力に実行するか。

 あるいは、歩行困難者にはエスカレーターではなく、エレベーターの使用をそれこそ強力に勧めるべきではなかろうか。
 我が義母など当の昔からエスカレーターを怖がり、いつもエレベーターを愛用している。 (ところが、これが駅内の一体何処にあるのやら分かりにくいし、また随分遠方にあったりして、同伴する者としては難義させられたりもするのだが…)


 私見の結論としては。

 特に大都会においては、今更ながらエスカレーターの右側も「止まって乗る」のを完全ルール化するのは、現実を見た場合、難儀な業であるようにも考察するのだが…