冒頭から、本日朝方見たネット情報より一部を以下に引用しよう。
生物進化と人間による創造、背後に共通する「言語性」とは?
太刀川英輔
© ダイヤモンド・オンライン 提供
今年4月に発刊された全512ページの大作『進化思考――生き残るコンセプトをつくる「変異と適応」』が、クリエイターのみならず、ビジネスマンの間でも話題を呼んでいる。
「生物の進化と創造性には共通の構造がある」ことを見いだし、発想にはある特定のパターンが現れてしまうと説く太刀川氏。 どうすれば人は創造的になれるのか。はたして優れたアイデアに隠されたルールとは。アイデアの出し方について、進化思考から読み解いてみよう。 (中略)
社会を変えたさまざまな発明。何億円もの値段で取引されるアート。歴史に残る数多くのデザイン。私たちの常識を根底から覆した科学的発見。心に残る文学。こうした創造的な挑戦が連綿と繰り返されて、社会は構成されています。しかしながら現在の日本人のうち、たった8%の人しか自分のことを創造的だと思えていない、という研究結果があります。 世界平均は44%。日本人がいかに創造性に自信を失っているかがわかります。
そこには、創造性はセンスや才能の問題という諦めを感じます。本当にそうでしょうか。そこに疑いを持ったのは、デザインをつくる中で徐々に優れた創造的発想にある、なんらかの共通構造に気づいたからでした。
もし創造性に確固たる構造があって、それを体系的に身に付けられるとしたらどうだろう。そうなれば創造は、誰もが挑戦できる科目になる。
もし創造性がきちんと教えられるなら、92%の人に諦めを感じさせている現在の非創造的な教育への光明となるはずです。
デザインは言語性を持っている
創造性の謎を解き明かすために、まず注目したのはデザインの持つ言葉的な性質でした。表現は、それ自身が伝達性を持っています。認知科学にはモノが意味を伝達する性質を持つことを示す「アフォーダンス」という概念がありますが、これはモノと話しているような現象にも思えます。
デザインと言語は本当によく似ていた。たとえ話や誇張やイントネーションのような言語的性質があり、また言語的に伝達しやすいアイデアを、明快なコンセプトとして捉えているようだ。
こうしてデザインと言語学を比較することを思いつき、休学していた大学院を卒業するために「デザインの言語的認知」というテーマで修士論文を書きました。2006年のことです。それからこの発想の言語的ルールを「デザインの文法」と呼び、イノベーション教育や企業の人材育成などの場で、多くの人に教えるようになりました。
進化にはパターンがある
しかしデザイナーとして世の中の様々な形態を観察すると、奇妙なことにも気づきました。私はもともと生物のデザインに惹かれていましたが、なぜか生物のデザインにも言語的パターンとの共通性が見受けられたのです。発明と生物は全く違う現象なのに、そんな事はあり得るのか。不思議に思いながら、パターンの探求は10年近く続いていきました。これらの生物の進化・言語学・デザインの類似性の探求から、進化思考は生まれました。
生物や発明には、ある種の共通する変異パターンが存在している。そして面白いことに、これは漫才師の笑いのパターンや、アートやデザインに見られるパターンにも共通するのだ。 (中略)
遺伝子という言語
人類史を調べると、約20万年前のホモサピエンスの誕生から、約5万年前まで石器時代が続きます。つまり5万年より以前は、人類はろくに創造性を発揮できていないのです。約5万年前に何があったのか。実はちょうどその時期が、まさに人類が言語を発明した時期と一致するのです。これは偶然ではないでしょう。
そしてもう一つ。進化生物学によって生物の変異は、DNAのコピーエラーが原因であることが証明されました。そしてこのDNAはほぼ、言語と同じ構造を持っていることもまた、証明されています。これは何を示しているのでしょうか。
言語と遺伝子の類似性こそ、言語によって人が道具を発明し、自らを進化させられた理由だと考えると、創造と進化が類似している謎が氷解する。
この二つの出来事に共通する言語性。このことが結びついて、進化思考の基盤となる仮説が生まれました。つまり進化も創造も、新しい可能性は言語構造の「言い間違い・聞き間違い」のようなエラーから発生している、という仮説です。 (中略)
初めに言(ことば)があった。言は神と共にあった。言は神であった。
― ヨハネによる福音書
神様がいるのかいないのか、それは私にはわかりません。でも言語が最初にあったという聖書の一節には、不思議と一つの真理を感じます。ヒトの言語は100年の間にも変わり続けるのに、DNAという変わらない文法が40億年近くにわたって生物に流れ続けているのは、本当に不思議なことです。そして、それが証明された時代に生きているのは幸運なことかもしれません。
そこには、創造性はセンスや才能の問題という諦めを感じます。本当にそうでしょうか。そこに疑いを持ったのは、デザインをつくる中で徐々に優れた創造的発想にある、なんらかの共通構造に気づいたからでした。
もし創造性に確固たる構造があって、それを体系的に身に付けられるとしたらどうだろう。そうなれば創造は、誰もが挑戦できる科目になる。
もし創造性がきちんと教えられるなら、92%の人に諦めを感じさせている現在の非創造的な教育への光明となるはずです。
デザインは言語性を持っている
創造性の謎を解き明かすために、まず注目したのはデザインの持つ言葉的な性質でした。表現は、それ自身が伝達性を持っています。認知科学にはモノが意味を伝達する性質を持つことを示す「アフォーダンス」という概念がありますが、これはモノと話しているような現象にも思えます。
デザインと言語は本当によく似ていた。たとえ話や誇張やイントネーションのような言語的性質があり、また言語的に伝達しやすいアイデアを、明快なコンセプトとして捉えているようだ。
こうしてデザインと言語学を比較することを思いつき、休学していた大学院を卒業するために「デザインの言語的認知」というテーマで修士論文を書きました。2006年のことです。それからこの発想の言語的ルールを「デザインの文法」と呼び、イノベーション教育や企業の人材育成などの場で、多くの人に教えるようになりました。
進化にはパターンがある
しかしデザイナーとして世の中の様々な形態を観察すると、奇妙なことにも気づきました。私はもともと生物のデザインに惹かれていましたが、なぜか生物のデザインにも言語的パターンとの共通性が見受けられたのです。発明と生物は全く違う現象なのに、そんな事はあり得るのか。不思議に思いながら、パターンの探求は10年近く続いていきました。これらの生物の進化・言語学・デザインの類似性の探求から、進化思考は生まれました。
生物や発明には、ある種の共通する変異パターンが存在している。そして面白いことに、これは漫才師の笑いのパターンや、アートやデザインに見られるパターンにも共通するのだ。 (中略)
遺伝子という言語
人類史を調べると、約20万年前のホモサピエンスの誕生から、約5万年前まで石器時代が続きます。つまり5万年より以前は、人類はろくに創造性を発揮できていないのです。約5万年前に何があったのか。実はちょうどその時期が、まさに人類が言語を発明した時期と一致するのです。これは偶然ではないでしょう。
そしてもう一つ。進化生物学によって生物の変異は、DNAのコピーエラーが原因であることが証明されました。そしてこのDNAはほぼ、言語と同じ構造を持っていることもまた、証明されています。これは何を示しているのでしょうか。
言語と遺伝子の類似性こそ、言語によって人が道具を発明し、自らを進化させられた理由だと考えると、創造と進化が類似している謎が氷解する。
この二つの出来事に共通する言語性。このことが結びついて、進化思考の基盤となる仮説が生まれました。つまり進化も創造も、新しい可能性は言語構造の「言い間違い・聞き間違い」のようなエラーから発生している、という仮説です。 (中略)
初めに言(ことば)があった。言は神と共にあった。言は神であった。
― ヨハネによる福音書
神様がいるのかいないのか、それは私にはわかりません。でも言語が最初にあったという聖書の一節には、不思議と一つの真理を感じます。ヒトの言語は100年の間にも変わり続けるのに、DNAという変わらない文法が40億年近くにわたって生物に流れ続けているのは、本当に不思議なことです。そして、それが証明された時代に生きているのは幸運なことかもしれません。
(以下略すが、以上太刀川英輔氏による、「生物進化と人間による創造、背後に共通する『言語性』とは?」 より一部を引用したもの。)
上記文章を読んで、私は独身時代中盤期だった28歳頃から30代前半期頃まで付き合いがあった某工業デザイナー氏(K氏としよう)のことを思い浮かべた。
K氏は、工業デザイナーの新人登竜門として名高い「銀座松屋のデザインコンペ」の入賞歴がある人物だ。 その入賞作品展示会に私も同伴していただいた。
それ以前から工業デザイナーとして実業界で活躍され、当時の通産省による「グッドデザイン賞」を複数回受賞されていた。
その後、独立してデザイン事務所を立ち上げた後も、数々のヒット商品を世に連発している人材であられた。
(残念ながら、現在に至っては音信不通状態だが。)
そのK氏も上記引用文の太刀川英輔氏同様に、デザイナーの分野で活躍する人材であるにもかかわらず、思考幅が大きい人だった。
我が専門である「医学」にも首を突っ込んできて、上記の太刀川氏のごとく、“生物進化と創造性”の類の議論を私に振ってきては、未熟なりにも二人で議論を交わしたものだ。
その当時は医学界においても、DNA解析分野が未だ道半ば頃だっただろうか?
時は流れ我が娘が美大受験すると言い始めた時期に、私は再度世に活躍する複数の美術家氏と出会っている。
K氏の例外でなく、いずれの美術家氏も博学であられ、思考幅が大きかったことを実感してきている。
今回のエッセイに於いては既に字数オーバーのため。
冒頭の引用文を記された太刀川英輔 氏に関する記載に対する私見を省かせていただくことを、最後にお詫び申し上げておこう。