(冒頭写真は、朝日新聞本日2021.12.04付別刷「be」記事 「浅草に根差す明治期のバー 洋酒に込めた傳兵衛の思い」より転載した、「デンキブラン」。)
東京にお住いの飲兵衛の皆様の中には、この“神谷バー”にて「デンキブラン(旧名:電氣ブランデー)をたしなまれた方々は数多いことであろう。
何を隠そう、この原左都子もその一人である。
いやいや、そもそもアルコール濃度の高い酒好みの私だが。
デンキブランを一口飲んだ時から、その何とも言えない風合いや味わい、そしてアルコール度の高さに唸ったものだ。
時は、我が子が3歳児の頃に遡る。
写真は、我が娘が3歳頃に撮影したもの。
上は、当時の我が家にて。
下は、我が郷里の海にて。 写真の右側は当時40代前半頃の原左都子。
未だ3歳頃の娘が一番喜んだのが、この小規模遊園地である浅草「花やしき」だった。
都内には他にも数々の遊園地が存在したが、とにかく娘の体形に合う遊具が用意されていたこの「花やしき」を娘が好むため、よく連れて訪れた。
その帰り路に私が発見したのが、この「神谷バー」だ。
正真正銘酒好きの私であり、当然ながら20代前半期の上京後、様々な地の飲み処を訪れていたのだが。
「神谷バー」は、未だ制覇していなかった!
通勤電車の中刷等で、その名の広告は幾度も周知していたにもかかわらず。
早速、亭主に尋ねた。
「神谷バーって、“デンキブラン”とやらの強い酒で有名な老舗だよね。一度行ってみたいのだけど。」
がってん承知の亭主が、すぐさま私を当該飲み処に誘ってくれた。(参考だが、我が娘はもっと幼少の頃より飲み処は慣れていて、別段問題はなかった、と言っておこう。)😜
初めて口にした “デンキブラン” に大感激だった私である!!
何と申しますか、アルコール度が高いにもかかわらず、我が口には優しい感覚だった記憶がある。
3杯くらい堪能したであろうか?? 娘の保護者として帰路を安全に保つのに何らの違和感も無かったものだ。
これぞ「良酒」と心得、その後娘を引き連れて“花やしき”を訪れた帰り路に、“デンキブラン”を堪能する機会が続いた。
最後になったが、「神谷バー」及び「デンキブラン」に関して朝日新聞記事よりほんの少しだけ引用しておこう。
1880(明治13)年に創業し、「日本最古の洋風酒場」と呼ばれる神谷バー。 その数年後に生まれたのが店の代名詞でもある「デンキブラン」だ。
成分はブランデーを主体にワインやジン、薬草など。 製造法は今も秘伝である。
我が娘は、現在28歳にまで成長している。
そろそろ放っておいて私ひとりで浅草まで出向き、再びの「デンキブラン」を堪能しようか?!?
これが困ったことには、“コロナ・オミクロン株” だ… 😱