朝、食事を済ませたらお出掛けです。
◆高知市を一望出来る五台山展望台へ

地図を見るのは苦手ですが、「リアル地図」は結構好きです。
この後、土曜市に向かったのですが、
開催されていないのか、場所違いだったのか、
露天市は、どこにも見当たりませんでした。 ちょっと残念
。
さて、この日も本格的な移動開始です。
・今回の旅行は、こんな車を借りてみました

可愛い…と言うか、かなり“違和感”のある車ちゃん…
。
トレーラーの頭だけ…みたいなイメージです
。
車輌感覚が掴み辛く、こう見えて、意外と“バック”が大変でした。
でも、細い山道でのUターンは可能ですし、燃費の良さは抜群でした
。
◆山道を通って、四国カルストへ
ですが、小雪とモヤで、よく見えませんでした。
おまけに、本当は“通り抜け”をする予定でしたが、
積雪にて通行止めで、来た道を戻る羽目に
。
(いつも、積雪や土砂崩れに阻まれる私達…です)
◆高知・龍馬ろまん社中
・龍馬が寄り掛って写真に写っている台(?)

ここでは、着物を着て、決めポーズで写真撮影が出来ます。(無料)
(旦那サンは、「絶対に嫌だ!」と逃げてしまいました)
・桂浜の背景に、大河ドラマの衣装…

◆三嶋神社
・神幸橋

四国は、こういった屋根付き橋が沢山存在します。
今回はココしか見られませんでしたが、次回は橋巡りもしてみたいです
。
◆ゆすはら・維新の道社中
・脱藩という大事を前に、4人の志士達が語り合ったであろう囲炉裏…だそうです。

◆維新の門(群像)・和田城
・六志士と坂本龍馬

(見辛い写真だ…
)
そうそう。
高知は、
「○○の生誕地」
「○○がXXした地」
「○○邸があった場所」
「○○の墓」
…有名な人物が多い上に、それぞれの足跡が道々に紹介してあります。
銅像も半端じゃないくらい、沢山あります。
そういった立派な人物が出たのは、高知の誇りなんでしょうね…。
愛知県は、そういう人物があまり存在しないので、羨ましい限りです。
◆韮ケ峠

土佐と伊予の国境で、龍馬はここから脱藩しました。
そして、「土佐藩士」から「日本人」になりました。
梼原から愛媛へ抜ける道中には、「茶堂」という建物が点在しています。
元々は、藩政時代にさかのぼり、
開祖・津野氏の霊を慰さめるため、領内の各所に建立されたもので、
堂内には石像、木像が祀られ、
身近な信仰の場としての役割を果たしていました。
後には、この地を訪れる旅人を茶菓でもてなすようになり、
信仰の場から交流の場へとその役割は移っていったそうです。
茶堂では昭和30年代まで、夏間、町民たちが持ち回りでお茶番を担当し、
そこを通る人なら旅行者であろうと誰彼なしにお茶の接待をしていたそうです。
このように茶堂は、文化交流の窓口、情報交換の場として、
町民にとって、重要な役割を果たしてたということです。
興味深い、素敵な文化ですね…
龍馬の言動も、こういった交流から人々に語り継がれ、
同じく志のある者(志士)が、集まった様です。
実は、この後、
「龍馬脱藩の道」を、車で通り抜けよう…、と計画していたのですが、
基本、「徒歩」での道ですし、調査不足の「山道」の為、
ズパリ“迷子”になりました
。

レンタカーが燃費の良い車で、本当に良かったです。
結局、通りかかった親切な地元のおじちゃんに、
無難な道を教えて頂き、命拾いしました
。
◆道後温泉へ
・道後温泉本館

(カメラの性能が悪いので、夜は上手く写せませんでした
)
この温泉街を訪れるのは、これで二度目です。
私の中では、「絶対に行って欲しい温泉」の一つです。
「千と千尋の神隠し」の“湯屋”のモデルになった温泉でもあります。
温泉街の散策をした後は、ホテルでお食事~
。
大奮発した宿だったので、豪華な料理でした。

(なんで、蓋したままで写真を撮ったんだろう…
)
食い意地を張って食べすぎ、とうとう一歩も動けなくなった私。
深夜になって、やっと大浴場へ行く事が出来ました
。
◆高知市を一望出来る五台山展望台へ

地図を見るのは苦手ですが、「リアル地図」は結構好きです。
この後、土曜市に向かったのですが、
開催されていないのか、場所違いだったのか、
露天市は、どこにも見当たりませんでした。 ちょっと残念

さて、この日も本格的な移動開始です。
・今回の旅行は、こんな車を借りてみました

可愛い…と言うか、かなり“違和感”のある車ちゃん…

トレーラーの頭だけ…みたいなイメージです

車輌感覚が掴み辛く、こう見えて、意外と“バック”が大変でした。
でも、細い山道でのUターンは可能ですし、燃費の良さは抜群でした

◆山道を通って、四国カルストへ
ですが、小雪とモヤで、よく見えませんでした。
おまけに、本当は“通り抜け”をする予定でしたが、
積雪にて通行止めで、来た道を戻る羽目に

(いつも、積雪や土砂崩れに阻まれる私達…です)
◆高知・龍馬ろまん社中
・龍馬が寄り掛って写真に写っている台(?)

ここでは、着物を着て、決めポーズで写真撮影が出来ます。(無料)
(旦那サンは、「絶対に嫌だ!」と逃げてしまいました)
・桂浜の背景に、大河ドラマの衣装…

◆三嶋神社
・神幸橋

四国は、こういった屋根付き橋が沢山存在します。
今回はココしか見られませんでしたが、次回は橋巡りもしてみたいです

◆ゆすはら・維新の道社中
・脱藩という大事を前に、4人の志士達が語り合ったであろう囲炉裏…だそうです。

◆維新の門(群像)・和田城
・六志士と坂本龍馬

(見辛い写真だ…

そうそう。
高知は、
「○○の生誕地」
「○○がXXした地」
「○○邸があった場所」
「○○の墓」
…有名な人物が多い上に、それぞれの足跡が道々に紹介してあります。
銅像も半端じゃないくらい、沢山あります。
そういった立派な人物が出たのは、高知の誇りなんでしょうね…。
愛知県は、そういう人物があまり存在しないので、羨ましい限りです。
◆韮ケ峠

土佐と伊予の国境で、龍馬はここから脱藩しました。
そして、「土佐藩士」から「日本人」になりました。
梼原から愛媛へ抜ける道中には、「茶堂」という建物が点在しています。
元々は、藩政時代にさかのぼり、
開祖・津野氏の霊を慰さめるため、領内の各所に建立されたもので、
堂内には石像、木像が祀られ、
身近な信仰の場としての役割を果たしていました。
後には、この地を訪れる旅人を茶菓でもてなすようになり、
信仰の場から交流の場へとその役割は移っていったそうです。
茶堂では昭和30年代まで、夏間、町民たちが持ち回りでお茶番を担当し、
そこを通る人なら旅行者であろうと誰彼なしにお茶の接待をしていたそうです。
このように茶堂は、文化交流の窓口、情報交換の場として、
町民にとって、重要な役割を果たしてたということです。
興味深い、素敵な文化ですね…

龍馬の言動も、こういった交流から人々に語り継がれ、
同じく志のある者(志士)が、集まった様です。
実は、この後、
「龍馬脱藩の道」を、車で通り抜けよう…、と計画していたのですが、
基本、「徒歩」での道ですし、調査不足の「山道」の為、
ズパリ“迷子”になりました




レンタカーが燃費の良い車で、本当に良かったです。
結局、通りかかった親切な地元のおじちゃんに、
無難な道を教えて頂き、命拾いしました

◆道後温泉へ
・道後温泉本館

(カメラの性能が悪いので、夜は上手く写せませんでした

この温泉街を訪れるのは、これで二度目です。
私の中では、「絶対に行って欲しい温泉」の一つです。
「千と千尋の神隠し」の“湯屋”のモデルになった温泉でもあります。
温泉街の散策をした後は、ホテルでお食事~

大奮発した宿だったので、豪華な料理でした。

(なんで、蓋したままで写真を撮ったんだろう…

食い意地を張って食べすぎ、とうとう一歩も動けなくなった私。
深夜になって、やっと大浴場へ行く事が出来ました
