オペラファンの仕事の合間に パート2

大好きなクラッシック音楽やフィギュアスケート、映画などを語ります。メインは荒川静香さんの美しさを語るブログ。

クナッパーツブッシュのワーグナー 

2009年08月10日 10時31分06秒 | 今日、聴いたCD
①ワーグナー 楽劇「神々の黄昏」より「夜明けとジークフリートのラインの旅」「ジークフリートの葬送行進曲」
②ワーグナー 歌劇「さまよえるオランダ人」より「期限は切れた」
③ワーグナー 楽劇「ニュールンベルクのマイスタージンガー」より「リラの花が何とやわらかく」「迷いだ、迷いだ、どこも迷いだ」
④ワーグナー 楽劇「ワルキューレ」よりヴォータンの告別「さようなら、勇ましいわが子」

ハンス・クナッパーツブッシュ指揮ウィーンフィルハーモニー管弦楽団 ②~④ジョージ・ロンドン(バリトン)
1956年、1958年 ウィーン・ゾフィエンザールでのスタジオ録音

GRAND SLAM RECORDS GS-2036 (デッカ 初期LPレコードよりの復刻盤)

昨日の深夜NHK・BS2でカラヤンの特集があり、少しだけ見る。カラヤンのコンサートの映像を見るのは久し振りである。曲目はチャイコフスキーの交響曲第4番。オケはベルリンフィル。1970年代の映像である。指揮者もオケもオーバーアクションで、とにかく見せようと意識の強い映像である。
しかし、見ていて、そのアクションが本当に音楽を感じて生まれてきたものとは、どうしても感じ取れなかった。第1楽章、オケはよく鳴っていたが、オケが鳴るばかりで当時の作曲者の苦悩など置き忘れているかのようである。暗さとメランコリックな面の両方持ち合わせた旋律の美しさなど、どこにも無い。そして第2楽章の冒頭のオーボエのソロを聴いてテレビのスイッチを消して寝てしまった。単にオーボエという楽器を鳴らしているだけ。あのムラヴィンスキー指揮の録音での陰鬱さ、悲しさが漂う演奏とは全く別世界の演奏である。私の世界ではない!ここでギブアップしてしまった。見ないで、さっさと寝るべきだった。
しかし世の中にはカラヤンの支持者の方が大勢いるので、私の感じ方が、おかしいと言われてもしかたがありませんが、私自身、カラヤンの反対側の岸にいる人間と言われても、しかたないでしょう。

一夜明けて、まだモヤモヤした気持ちが残っていましたが、それを吹き飛ばしてくれたのはクナッパーツブッシュの録音でした。やはり私は、こちらの世界の方が生に合っているようである。
数日前、デッカの初期LPレコードより復刻したクナのワーグナーの録音のCDが届きました。昔から定評のある演奏なのでレコードもCDも当然持っていましたが特に私が持っている物は「神々の黄昏」の演奏がどれもオケの響きが、たいへん痩せて聞こえるので、実際はこうではないのでは?といつも思っていたので、今回の復刻盤は、何か祈るような気持ちで聴いたのですが、やっと満足できる響きを得ることが出来たという気持ちで一杯になりました。まさに人間業を超えた凄まじい演奏である。
「神々の黄昏」の「葬送行進曲」でのノートゥングにこめられた怒りと悲しみ。
「ワルキューレ」よりヴォータンの告別での冒頭の金管の凄まじさ!眠りの動機では愛する娘を眠らせたヴォータンの悲しさが伝わってくる。そして最後の魔の炎の音楽での色彩感。ウィーンフィルの演奏も最高である。素晴らしい音色である。

なお今回の復刻盤の解説書には合唱指揮者で有名な田中信昭氏のコメントがありますが、何と驚いたことに田中氏は、この録音セクションに立ち会ったとのことである。次のコメントが印象に残りました。
①クナが現れるとウィーンフィルの様子がサッと変わった。
②クナの肉体から発せられる「気」は尋常なものではなかった。
③クナがいるだけで空気が変わった。
クナは指揮法など技術的な事を超越し、自己の存在だけでオーケストラを動かし神業的な演奏を生み出していたのでしょう。
おそらく、きっとフルトヴェングラーもそうだったのでは・・・と思いを馳せるものがあります。

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