2月21日の毎○新聞の読者の声の欄「女の気持ち」で次の投稿があった。
”すきま風の中で”
寝室が別々の友の話に、どうして?この世で一番大切な人だったんでしょう。もし夜中に何かあったらどうするの、互いにこれからが一番必要となる年でしょう?「同居別居」。私には考えられない言葉でした。主人が仕事場を、それまでの大阪からわが家の空き部屋に移したその時から、主人は2階、私は1階の生活が始まった(孫の来ない日は土、日までも)。風邪の勢いもあり、早寝早起きで眠りの浅い主人は、夜遅く寝室に入る私の物音に熟睡できぬと、寝室を別にすることになった。ガーン、ついにわが家も・・・・・・。一緒にいるのは食事の時だけ。電気代や暖房費がもったいない。別にけんかしたわけでもなく、平然と通常の会話は進む。私としては一応老後のシルバーライフの楽しい夢を描いていた。こんなはずじゃなかったのに!!
しかし、これが不思議と居心地がいい。誰に遠慮することなく、眠れぬ夜は勝手気ままにラジオの深夜放送を聞いたりしている。ここに至り、新しい発見である。いつも一緒にいることが円満家族ではない。それぞれに自分の時間を持ち、趣味を楽しみ一期一会を大切に、今を精いっぱいに面白おかしく生きることこそが、長生きの秘訣のような気がする。「I can change」。
私が必要になったらいつでも声をかけてください。私はいつもあなたの隣にいるのですから。
奈良市 泰山ひろみ 主婦・60歳
我が家もこれと状況が大変よく似ている。違いと言えば私は1階で女房は2階。「同居別居」を始めたのは、子供が高校生になった時からと記憶している。若いときは、この方がおっしゃるように「同居別居」なんて考えられないことだった。「同居別居」をしてみると、これがとても快適だった。麻雀をして帰るといつも午前様だが、何の気兼ねをすることもない。
そして深夜テレビもビデオも見放題。酒も飲み放題。女房のイビキも、いくらでかくても睡眠の邪魔にはならない。女房は女房で、眠れぬ夜は深夜ラジオ、深夜テレビを視聴している。こう書けばパラダイス以外何ものでもないが、お互いにアラカン(アラフォーに対抗して還暦をいう)を過ぎている。いつ何時、どちらに発作が起こるかも知れない。これだけが唯一の心配ごとだ。
いつも2階から降りてくる時間に顔を見せねば”ひょっとして・・・”と、2階に様子を見に行った回数は数え切れないほどある。
「同居別居」の功罪の罪の一つに、スキンシップが容易でないことが上げられる。毎夜手枕で腕がシビレた昔が懐かしい。