私は東京の調布市の片隅に住む年金生活の72歳の身であるが、
昼下がりのひととき、ネットでニュースを見ようとパソコンを立ち上げたりした。
私はトップページとしては【YAHOO! JAPAN】に設定しているが、
トピックス・ニュースとして、10ばかり見出しが紹介されているが、
この中のひとつに、【 安楽死 橋田壽賀子さんの覚悟 】と明記されていた。
私は若き日に映画の脚本家の真似事をした時期もあったが、あえなく敗退した身である。
そしてテレビ・ドラマのシナリオ・ライターとしては、
倉本聰さん、向田邦子さん、山田太一さん、橋田壽賀子さんが書かれたドラマだけは、
ときおり視聴して、人生の機敏など多々教示されているので、敬愛しているひとりである。
このような思いを秘めている私は、クリツクして記事を精読した・・。
この原文は、『女性セブン』の2016年12月1日号に掲載された記事のひとつであり、
関連のネット『NEWS ポストセブン』に 11月18日朝7時に配信され、
無断であるが転載させて頂く。
《・・安楽死提言の橋田壽賀子、その胸中と覚悟を明かす
「誰にも迷惑をかけないで安らかに逝きたい」と語る橋田壽賀子
年齢、性別、恰好を伝えた時点で、地域住民は次の言葉に予想がつく。
《行方が、分からなく、なっております》・・・
全国各地の防災無線から、徘徊老人の捜索願いが流れない日はない。
「あぁ、またか」。
他人事のように思いながら、ふとわれに返り足がすくむ。
脚本家の橋田壽賀子(91歳)もその一人だった。
「何歳で背格好はこのくらいで、と。
まぁよく流れてくる。
私が住んでいるのは、都会ではなく山の中。
大勢で山狩りをしても見つからない、なんてことがままあります。
この年になると、明日はわが身です。
認知症が発症しない保証は、どこにもない。
自分がもし何の自覚もないまま、多くの人に迷惑をかけてしまったら・・。
こんな恐ろしいことがありますか。
親しい人の顔もわからず、生きがいもない状態で生きていたくはない。
だからこそ、あえて提言したのです。“私がそうなったら、安らかに殺してください”と」
そう語る橋田は、現在、静岡県熱海市にひとりで暮らしている。
夫を27年前に亡くし、子供はいない。
親戚づきあいも皆無。
今夏、1年半ぶりに自身の代表作『渡る世間』シリーズの最新話を書き終えた橋田は、
筆を休める間もなく、一つの提言をして耳目を集めている。
月刊誌『文藝春秋』(2016年12月号)で、
橋田は『私は安楽死で逝きたい』というエッセイを寄稿した。
安楽死への憧憬を語り、スイスの安楽死団体を自ら調べ、日本の法整備の必要性を説く彼女の言葉は、
覚悟を伴って重い。
《スイスならいつでも行けます。
いつ行くかというタイミングが難しい》
《ベッドで寝ているだけで、生きる希望を失った人は大勢います。
(中略)そういう人が希望するならば、本人の意志をきちんと確かめた上で、
さらに親類縁者がいるならば、判をもらうことを条件に、安楽死を認めてあげるべきです》
橋田の真意を聞くために、改めて取材を申し込むと、快諾。
なぜ今「安楽死」を提言したのか。胸中を明かした。
「きっかけは2年前。いつお迎えがきてもいいように“終活”を始めたんです。
ずっと頭にはありつつも先延ばしにしていたら、あるとき泉ピン子(69歳)から、
“ママ、もうすぐ90歳だよ”って言われて、ハッとなって。
洋服やバッグを全部処分して、捨てきれない宝石や絵画、時計は死んでから処分してもらうことにしました。
どうしても手放せなかったのは、これまで書いた脚本の生原稿とビデオテープくらい。
2年がかりの大整理でした」(橋田)
断捨離を終えた彼女の元には、愛犬の柴犬、さくらだけが寄り添っていた。
だが、16年連れ添ったさくらも、6月に死んだ。
晩年は認知症が進行し、グルグルと右回りだけで回り続けていた。
「かわいそうで見ていられなかった。
亡骸は自宅のいちばんお気に入りだった庭先に埋めてあげました。
私がいなくなっても寂しくないようにと、お地蔵さんを立ててね。
思い残すことは、何もなくなりました。
身寄りもないので気兼ねなく、いつでも旅立てます。
その時にふと思ったのです。
あとは“死に方”だけだと。
お話しした通り、私は認知症になった場合を考えると、恐ろしくてたまらないのです。
何もわからず、ベッドに縛りつけられて生きるなんて考えたくもない。
誰にも迷惑をかけないで安らかに逝きたい。
そう思ってパソコンで調べてみたら、スイスに安楽死させてくれる団体があった。
費用は70万円。これだ、と思いました」(橋田)
橋田が見つけたのは、スイスの医療団体『ディグニタス』。
オランダ、ベルギー、ルクセンブルクでも、安楽死は認められているが、
「外国人の受け入れ」を許可しているのは同団体だけだった。
厳密にいえば、スイスで認められているのは医師による「自殺ほう助」であり、
『ディグニタス』では、希望者が提出した医療記録を審査し、
治癒の見込みがないと裁判所が認めた場合に限り、致死量の麻酔薬が処方される。
医師が見守る中、患者が自らの意志で点滴パックの栓を開く。
20秒後、眠るように死ぬという。
これを目的にスイスに渡航する外国人は、後を絶たず、
チューリヒ大学によれば2008年から2012年までの5年間で、31か国611人の“自死旅行”が確認されている。
年々増加傾向で、今では申込みから実行日まで、3か月待ちだという。
「最後まで自分の意志があることが条件なので、認知症が発症してからでは遅い。
今のうちに周囲には、伝えているのです。
“ボケ始めたと思ったらすぐに言ってね”って。
もしそう言われる日が来たら、私はすぐにでもスイスに行きます」(橋田)・・》
注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
私は過ぎし10日に、47年ばかり購読している『文藝春秋』(12月号)に於いて、
橋田壽賀子さんの寄稿文『私は安楽死で逝きたい』を読み、
清冽な覚悟のいさぎよさ、感動させられたひとりである。
日本に於いて、来たる2025年には団塊の世代が75歳以上に、
やがて2038年には推計約170万人もの人が亡くなる“多死社会”のピークが来るといわれる時代である。
私は昨年の2015年9月、『平穏死』を初めて学び、深く同意したひとりである。
『平穏死』に関しては、『女性セブン』の2014年10月23・30日号に掲載された記事のひとつで、
ネットに2014年10月13日に公開され、私は学んだりした。
《・・(略)・・「病院で死ぬ人が在宅死を上回ったのが1976年。
40年前までは家で死ぬ人のほうが多かった。
終末期を病院のベッドで過ごし、過剰な延命治療をすることが、果たして本当に幸せなのか考えてほしいのです」
医師の長尾和宏さんは、穏やかな最期を迎える「平穏死」という考え方を提唱する。
「人が死に向かうときには、体の機能が徐々に落ちて終末期を経てから、やがて死を迎えます。
終末期に食べ物を受け付けなくなるのは自然なこと。
しかし、点滴で無理に栄養を入れ過ぎてむくみ、もがき苦しみながら亡くなるというケースも。
医療の目的は命を延ばすこと。
終末期以降も過剰な延命治療を続ける医療機関も少なくありません。
最期をどこで、どのように迎えるか、選択権は患者本人にあります。
しかし認知症や意識不明で病院搬送された後など、意思表明が困難なことも多いのです。
延命治療をどこまで希望するか、終末期医療の選び方によって、
穏やかな最期を迎えられるということを知ってほしいと考えています」・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。
私は一昨年の7月下旬、愛読している総合ビジネス情報サイトの【ダイヤモンド・オンライン】を読んでいる中、
竹井善昭・著【長生きすることは、本当に良いことなのか? 親の介護で未来を奪われる若者たち】
と題された見出しを見て、精読したりした。
要約すれば、昨今の若い世代の人が親の介護で、若い世代の自身の人生が大幅に狂い、
悲惨な実態を克明に描かれた後、
欧米の高齢者の終末期の治療の実態、そして竹井善昭氏ご自身の高度な病状に遭遇した時の真情、
氏の死生観を発露された内容であり、私は読み終わった後、頬に涙が流れていた・・。
こうした中で、特に欧米の高齢者の終末期の治療を教示されて、衝撃を受けた。
《・・日本は高齢者に対して、非常に優しい国である。「過剰に優しい」と言ってもよい。
そう言うと、反論したくなる人も多いことはよく分かる。
老人福祉はまだまだ足りていないと主張したい人もいるだろう。
もちろん、僕も日本の老人福祉が完璧だと言いたいわけではない。論じたいのはその「思想」だ。
日本は、ある意味で過剰に人を生きさせようとする。
そのことが、はたして高齢者にとっても若者にとってもよいことなのか、
それで人は幸福になるのか、ということだ。
あまり知られていないようだが、欧米には、いわゆる寝たきり老人はいない。
なぜなら、寝たきりになるような老人は延命処置をしない、つまり「殺してしまう」からだ。
たとえば、イギリスでは、自力で食事できなくなった老人は治療しないという。
福祉大国のイメージが強いスウェーデンやデンマークも同様だという。
また、これは聞いた話なので数字が不確かなのだが、
ニュージーランドではある年齢(75歳だったかと記憶している)を超えると、
病気になっても治療しないという。
モルヒネを打つなどの緩和処置はやるが、それ以上はやらないということだ。
実際に、スウェーデンの高齢者医療の現場を視察してきた医師のブログには、
下記のように紹介されている。
日本のように、高齢で口から食べられなくなったからといって胃ろうは作りませんし、点滴もしません。
肺炎を起こしても抗生剤の注射もしません。内服投与のみです。
したがって両手を拘束する必要もありません。
つまり、多くの患者さんは、寝たきりになる前に亡くなっていました。
寝たきり老人がいないのは当然でした。
(読売新聞の医療サイトyomi Dr.「今こそ考えよう高齢者の終末期医療」より)
日本の病院で同じことをやれば、確実に「人殺し」扱いされて、
マスメディアでもネットでも大炎上必至である。
しかし、欧米ではこのような考え方がスタンダードなのだ。
この差は一体何かと言うと、人の尊厳に対する考え方の違いだ。
つまり、何が何でも生かしておくことが正義なのか、
人の尊厳を守ることが正義なのか、という考え方の違いである。
人の尊厳をどう考えるかは、安楽死、つまり「死ぬ権利」を巡る議論の根幹となる問題だ。
安楽死は基本的に自らの意志で死を選ぶことだが、認知症など、自分の意志では死を選べない場合もある。
そのような場合は「殺される権利」というものも考える必要があるだろう。
人は自分の尊厳を守るために、死ぬことを選んだり、殺されることを選ぶ権利があるのかもしれない。・・》
こうした欧米の高齢者の終末期の治療の実態、欧米と日本の死生観の差異を学んだ後、
果たして・・と深く思案させられたひとりである。
このような思いを根底にあるので、過剰な延命治療を避け、穏やかな最期を迎える「平穏死」には、
私は望みます、と私は心の中で呟(つぶや)いたりしてきた。
こうした思いのある私は、今回の橋田壽賀子さんの死生観を学び、
齢ばかり重ねた私でも、橋田壽賀子さんに改めて敬意を深めたりしている。
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昼下がりのひととき、ネットでニュースを見ようとパソコンを立ち上げたりした。
私はトップページとしては【YAHOO! JAPAN】に設定しているが、
トピックス・ニュースとして、10ばかり見出しが紹介されているが、
この中のひとつに、【 安楽死 橋田壽賀子さんの覚悟 】と明記されていた。
私は若き日に映画の脚本家の真似事をした時期もあったが、あえなく敗退した身である。
そしてテレビ・ドラマのシナリオ・ライターとしては、
倉本聰さん、向田邦子さん、山田太一さん、橋田壽賀子さんが書かれたドラマだけは、
ときおり視聴して、人生の機敏など多々教示されているので、敬愛しているひとりである。
このような思いを秘めている私は、クリツクして記事を精読した・・。
この原文は、『女性セブン』の2016年12月1日号に掲載された記事のひとつであり、
関連のネット『NEWS ポストセブン』に 11月18日朝7時に配信され、
無断であるが転載させて頂く。
《・・安楽死提言の橋田壽賀子、その胸中と覚悟を明かす
「誰にも迷惑をかけないで安らかに逝きたい」と語る橋田壽賀子
年齢、性別、恰好を伝えた時点で、地域住民は次の言葉に予想がつく。
《行方が、分からなく、なっております》・・・
全国各地の防災無線から、徘徊老人の捜索願いが流れない日はない。
「あぁ、またか」。
他人事のように思いながら、ふとわれに返り足がすくむ。
脚本家の橋田壽賀子(91歳)もその一人だった。
「何歳で背格好はこのくらいで、と。
まぁよく流れてくる。
私が住んでいるのは、都会ではなく山の中。
大勢で山狩りをしても見つからない、なんてことがままあります。
この年になると、明日はわが身です。
認知症が発症しない保証は、どこにもない。
自分がもし何の自覚もないまま、多くの人に迷惑をかけてしまったら・・。
こんな恐ろしいことがありますか。
親しい人の顔もわからず、生きがいもない状態で生きていたくはない。
だからこそ、あえて提言したのです。“私がそうなったら、安らかに殺してください”と」
そう語る橋田は、現在、静岡県熱海市にひとりで暮らしている。
夫を27年前に亡くし、子供はいない。
親戚づきあいも皆無。
今夏、1年半ぶりに自身の代表作『渡る世間』シリーズの最新話を書き終えた橋田は、
筆を休める間もなく、一つの提言をして耳目を集めている。
月刊誌『文藝春秋』(2016年12月号)で、
橋田は『私は安楽死で逝きたい』というエッセイを寄稿した。
安楽死への憧憬を語り、スイスの安楽死団体を自ら調べ、日本の法整備の必要性を説く彼女の言葉は、
覚悟を伴って重い。
《スイスならいつでも行けます。
いつ行くかというタイミングが難しい》
《ベッドで寝ているだけで、生きる希望を失った人は大勢います。
(中略)そういう人が希望するならば、本人の意志をきちんと確かめた上で、
さらに親類縁者がいるならば、判をもらうことを条件に、安楽死を認めてあげるべきです》
橋田の真意を聞くために、改めて取材を申し込むと、快諾。
なぜ今「安楽死」を提言したのか。胸中を明かした。
「きっかけは2年前。いつお迎えがきてもいいように“終活”を始めたんです。
ずっと頭にはありつつも先延ばしにしていたら、あるとき泉ピン子(69歳)から、
“ママ、もうすぐ90歳だよ”って言われて、ハッとなって。
洋服やバッグを全部処分して、捨てきれない宝石や絵画、時計は死んでから処分してもらうことにしました。
どうしても手放せなかったのは、これまで書いた脚本の生原稿とビデオテープくらい。
2年がかりの大整理でした」(橋田)
断捨離を終えた彼女の元には、愛犬の柴犬、さくらだけが寄り添っていた。
だが、16年連れ添ったさくらも、6月に死んだ。
晩年は認知症が進行し、グルグルと右回りだけで回り続けていた。
「かわいそうで見ていられなかった。
亡骸は自宅のいちばんお気に入りだった庭先に埋めてあげました。
私がいなくなっても寂しくないようにと、お地蔵さんを立ててね。
思い残すことは、何もなくなりました。
身寄りもないので気兼ねなく、いつでも旅立てます。
その時にふと思ったのです。
あとは“死に方”だけだと。
お話しした通り、私は認知症になった場合を考えると、恐ろしくてたまらないのです。
何もわからず、ベッドに縛りつけられて生きるなんて考えたくもない。
誰にも迷惑をかけないで安らかに逝きたい。
そう思ってパソコンで調べてみたら、スイスに安楽死させてくれる団体があった。
費用は70万円。これだ、と思いました」(橋田)
橋田が見つけたのは、スイスの医療団体『ディグニタス』。
オランダ、ベルギー、ルクセンブルクでも、安楽死は認められているが、
「外国人の受け入れ」を許可しているのは同団体だけだった。
厳密にいえば、スイスで認められているのは医師による「自殺ほう助」であり、
『ディグニタス』では、希望者が提出した医療記録を審査し、
治癒の見込みがないと裁判所が認めた場合に限り、致死量の麻酔薬が処方される。
医師が見守る中、患者が自らの意志で点滴パックの栓を開く。
20秒後、眠るように死ぬという。
これを目的にスイスに渡航する外国人は、後を絶たず、
チューリヒ大学によれば2008年から2012年までの5年間で、31か国611人の“自死旅行”が確認されている。
年々増加傾向で、今では申込みから実行日まで、3か月待ちだという。
「最後まで自分の意志があることが条件なので、認知症が発症してからでは遅い。
今のうちに周囲には、伝えているのです。
“ボケ始めたと思ったらすぐに言ってね”って。
もしそう言われる日が来たら、私はすぐにでもスイスに行きます」(橋田)・・》
注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
私は過ぎし10日に、47年ばかり購読している『文藝春秋』(12月号)に於いて、
橋田壽賀子さんの寄稿文『私は安楽死で逝きたい』を読み、
清冽な覚悟のいさぎよさ、感動させられたひとりである。
日本に於いて、来たる2025年には団塊の世代が75歳以上に、
やがて2038年には推計約170万人もの人が亡くなる“多死社会”のピークが来るといわれる時代である。
私は昨年の2015年9月、『平穏死』を初めて学び、深く同意したひとりである。
『平穏死』に関しては、『女性セブン』の2014年10月23・30日号に掲載された記事のひとつで、
ネットに2014年10月13日に公開され、私は学んだりした。
《・・(略)・・「病院で死ぬ人が在宅死を上回ったのが1976年。
40年前までは家で死ぬ人のほうが多かった。
終末期を病院のベッドで過ごし、過剰な延命治療をすることが、果たして本当に幸せなのか考えてほしいのです」
医師の長尾和宏さんは、穏やかな最期を迎える「平穏死」という考え方を提唱する。
「人が死に向かうときには、体の機能が徐々に落ちて終末期を経てから、やがて死を迎えます。
終末期に食べ物を受け付けなくなるのは自然なこと。
しかし、点滴で無理に栄養を入れ過ぎてむくみ、もがき苦しみながら亡くなるというケースも。
医療の目的は命を延ばすこと。
終末期以降も過剰な延命治療を続ける医療機関も少なくありません。
最期をどこで、どのように迎えるか、選択権は患者本人にあります。
しかし認知症や意識不明で病院搬送された後など、意思表明が困難なことも多いのです。
延命治療をどこまで希望するか、終末期医療の選び方によって、
穏やかな最期を迎えられるということを知ってほしいと考えています」・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。
私は一昨年の7月下旬、愛読している総合ビジネス情報サイトの【ダイヤモンド・オンライン】を読んでいる中、
竹井善昭・著【長生きすることは、本当に良いことなのか? 親の介護で未来を奪われる若者たち】
と題された見出しを見て、精読したりした。
要約すれば、昨今の若い世代の人が親の介護で、若い世代の自身の人生が大幅に狂い、
悲惨な実態を克明に描かれた後、
欧米の高齢者の終末期の治療の実態、そして竹井善昭氏ご自身の高度な病状に遭遇した時の真情、
氏の死生観を発露された内容であり、私は読み終わった後、頬に涙が流れていた・・。
こうした中で、特に欧米の高齢者の終末期の治療を教示されて、衝撃を受けた。
《・・日本は高齢者に対して、非常に優しい国である。「過剰に優しい」と言ってもよい。
そう言うと、反論したくなる人も多いことはよく分かる。
老人福祉はまだまだ足りていないと主張したい人もいるだろう。
もちろん、僕も日本の老人福祉が完璧だと言いたいわけではない。論じたいのはその「思想」だ。
日本は、ある意味で過剰に人を生きさせようとする。
そのことが、はたして高齢者にとっても若者にとってもよいことなのか、
それで人は幸福になるのか、ということだ。
あまり知られていないようだが、欧米には、いわゆる寝たきり老人はいない。
なぜなら、寝たきりになるような老人は延命処置をしない、つまり「殺してしまう」からだ。
たとえば、イギリスでは、自力で食事できなくなった老人は治療しないという。
福祉大国のイメージが強いスウェーデンやデンマークも同様だという。
また、これは聞いた話なので数字が不確かなのだが、
ニュージーランドではある年齢(75歳だったかと記憶している)を超えると、
病気になっても治療しないという。
モルヒネを打つなどの緩和処置はやるが、それ以上はやらないということだ。
実際に、スウェーデンの高齢者医療の現場を視察してきた医師のブログには、
下記のように紹介されている。
日本のように、高齢で口から食べられなくなったからといって胃ろうは作りませんし、点滴もしません。
肺炎を起こしても抗生剤の注射もしません。内服投与のみです。
したがって両手を拘束する必要もありません。
つまり、多くの患者さんは、寝たきりになる前に亡くなっていました。
寝たきり老人がいないのは当然でした。
(読売新聞の医療サイトyomi Dr.「今こそ考えよう高齢者の終末期医療」より)
日本の病院で同じことをやれば、確実に「人殺し」扱いされて、
マスメディアでもネットでも大炎上必至である。
しかし、欧米ではこのような考え方がスタンダードなのだ。
この差は一体何かと言うと、人の尊厳に対する考え方の違いだ。
つまり、何が何でも生かしておくことが正義なのか、
人の尊厳を守ることが正義なのか、という考え方の違いである。
人の尊厳をどう考えるかは、安楽死、つまり「死ぬ権利」を巡る議論の根幹となる問題だ。
安楽死は基本的に自らの意志で死を選ぶことだが、認知症など、自分の意志では死を選べない場合もある。
そのような場合は「殺される権利」というものも考える必要があるだろう。
人は自分の尊厳を守るために、死ぬことを選んだり、殺されることを選ぶ権利があるのかもしれない。・・》
こうした欧米の高齢者の終末期の治療の実態、欧米と日本の死生観の差異を学んだ後、
果たして・・と深く思案させられたひとりである。
このような思いを根底にあるので、過剰な延命治療を避け、穏やかな最期を迎える「平穏死」には、
私は望みます、と私は心の中で呟(つぶや)いたりしてきた。
こうした思いのある私は、今回の橋田壽賀子さんの死生観を学び、
齢ばかり重ねた私でも、橋田壽賀子さんに改めて敬意を深めたりしている。
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