夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

日本は“不健康長寿大国”、高齢者の私は教示されて驚き、やがて悲嘆させられたり、微苦笑したり・・。

2016-11-04 14:16:58 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の片隅に住み年金生活をしている72歳の身であるが、
昨夜、ときおり愛読しているネットの『NEWS ポストセブン』を見ている中で、
【 健康寿命日本一は山梨 沖縄は不健康化が急速に進む 】と題された見出しを見た・・。

私はセカンドライフと称される第二の人生を過ごす中、ささやかな願いを叶えたく健康寿命を保つために、
殆ど毎日歩いたりしているひとりで、どういうことですか、と思いながら精読してしまった・・。

この記事の原文は、『SAPIO』の2016年9月号に掲載された記事のひとつであり、
関連の『NEWS ポストセブン』で2016年8月25日に配信されていたが、 無断ながら転載させて頂く。

《・・健康寿命日本一は山梨 沖縄は不健康化が急速に進む

長生きはしたいが、病気にはなりたくない・・誰もがもつ健康への願い。
だが、「介護の必要などがなく生活できる期間」を表す健康寿命にも、大きな地域差があることを、データは示している。

「日本人は平均寿命の長さで知られるが、本当に大事なのは健康寿命。
この寿命を見ると、実は日本は“不健康長寿大国”なのです」
長尾クリニックの長尾和宏院長は、こう強調する。
            
厚労省によると2013年の日本人の健康寿命は、男性71. 19歳、 女性74. 21歳。
平均寿命との差は、男性で約9歳、女性で約12歳となる。
日本人は、亡くなるまでの10年前後を要介護状態で過ごすのだ。

そうした中、健康寿命の都道府県別ランキングの1位は、男女とも山梨だった。
以下、男性は沖縄、静岡、石川、女性は静岡、秋田、宮崎が続く。

「要介護になるきっかけの多くは、糖尿病や認知症です。
自然が多い山梨や静岡では、日頃から体をよく動かして野菜を多く食べる生活習慣があり、
それが健康寿命の長短に、影響してくると考えられます」(長尾氏)

健康寿命には、人との「つながり」もカギとなる。
山梨には、各人がお金を出しあって旅行や飲み会をする「無尽」という昔ながらの習慣が残っている。

「現在も高齢者を中心に、無尽が盛んです。
地域の人とのつながりが、健康寿命の長さにつながるのでは」(山梨県福祉保健部健康増進課)

静岡も高齢者の就業率が高く、地域のボランティアなど社会活動が盛んだ。

一方、かつて日本一の長寿県として知られた沖縄は、「不健康化」が急速に進む。
平均寿命は女性3位、男性30位まで下落し、急性心筋梗塞や脳血管疾患などによる現役世代の死亡率が高い。
ライフスタイルの欧米化が顕著で、肥満者の割合も全国トップクラスになった。

「外食やコンビニ中心の食事と運動不足は、生活習慣病につながる。
沖縄の凋落は“日本の未来”を暗示しているように見えます」(長尾氏)・・》

注)記事の原文にあえて改行を多くした。
            

私は今回、《・・日本人は、亡くなるまでの10年前後を要介護状態で過ごす“不健康長寿大国”・・》
教示されて、驚いたりした。

しかし冷静に振り返れば、厚生労働省の「平成25年簡易生命表」などによれば、
男性は健康寿命は71.19歳、そして平均寿命は80.21歳、
女性は健康寿命は74.21歳、そして平均寿命は86.61歳、と公表されてきた。

そして平均寿命と健康寿命の間には、男性で約9年、女性で約13年の差があり、
それぞれ人生の晩秋期として、何よりも悩ましい難関の期間となる。

もとより健康寿命は、健康上の問題がない状態で日常生活を送れる期間であり、
やがて要支援・要介護状態となり自立度の低下や寝たきり、終末期となる。

そして誰もが最後まで、健康で心身溌剌とした生活を送りたいと念願して、
自助努力されて過ごされている、と私は深く感じたりしてきた。

昨今、75歳以上の男女は 体力が過去最高に向上された、と私は感じ、微笑んだりした・・。
そして平均寿命が延びて、行動的な高齢者が増えつつある中、
20数年前より、多くの御方が5歳~10歳ぐらい若返りになっている、と私は感じたりしてきた。
                         

しかしながら認知症や様々な病を抱えて、やがて終末期を迎えた時、
殆どの日本では、欧米の主要国と思考が違い、自身が口からを食事ができなくなっても、
栄養などの摂取のために腹部に手術で穴をあけ、胃に直接チューブを入れて流動食を流し込む胃ろうや点滴などの、
延命治療を施(ほどこ)して、ろうそくの火ように命だけは生きさせられている・・。

もとより親族、親戚、知人などのいつまでも長く生き続けて欲しいなどの念願で、
延命治療が行われている、と私は思ったりしている。

そして本人は望んでいないにもかかわらず生かされ、生かすためのコストで国家財政が逼迫しているのが、
実態となっている。


こうした風潮の中、延命治療を施さず、徐々に人生の最終ステップに向かう老衰死が、
少しづつ増えている、と私は過日に学んだりした。

何かしら日本では、老衰による死者が増加し、
1938年の9万8451人をピークに、老衰による死者の数は、減少を続けていたが、
2000年に2万1213人で底を打った後、大幅な増加に転じ、昨年は戦後最高の7万5340人を記録した(厚労省『人口動態調査』)、
と知ったりした。

そしてこの10数年で、およそ3.5倍に増加し、全死因に占める割合を比べても、
2000年の2.3%(死因順位7位)から、昨年の5.9%(同5位)へと急伸している、と学んだりしてきた。

そして老衰死する多くの高齢者の死にゆく様は、安寧そのものであり、
がんや心臓病などに見られる「闘病」というイメージは感じられず、
苦しみはなく、自然な状態とわかっているから、やがて迎える最期の瞬間も、痛みや苦しみとは無縁で、
むしろ“快楽”を覚えるものであるとされている、と私は教えられたりした。
            
    
ここ数年、月刊総合雑誌、新聞などに於いて、
到来する2025年には、団塊の世代が75歳以上となり、やがて2038年前後には、
推計約170万人もの人が亡くなる“多死社会”のピークが来る、と掲載されている記事が多くなっている。

こうした中で、医師の長尾和宏さんは、
「病院で死ぬ人が、在宅死を上回ったのが1976年。
40年前までは、家で死ぬ人のほうが多かった。

終末期を病院のベッドで過ごし、過剰な延命治療をすることが、果たして本当に幸せなのか考えてほしいのです」
穏やかな最期を迎える「平穏死」という考え方を提唱する。

「人が死に向かうときには、体の機能が徐々に落ちて終末期を経てから、やがて死を迎えます。
終末期に食べ物を受け付けなくなるのは、自然なこと。

しかし、点滴で無理に栄養を入れ過ぎてむくみ、もがき苦しみながら亡くなるというケースも。
医療の目的は、命を延ばすこと。
終末期以降も過剰な延命治療を続ける医療機関も少なくありません。

最期をどこで、どのように迎えるか、選択権は患者本人にあります。

しかし認知症や意識不明で病院搬送された後など、意思表明が困難なことも多いのです。
延命治療をどこまで希望するか、終末期医療の選び方によって、
穏やかな最期を迎えられるということを知ってほしいと考えています」

このような記事を私は数年前に読み、延命治療に対して拒否しょう思っていた私は、深く共感を深めてきた。
            

今回の記事に於いて、《・・沖縄は、ライフスタイルの欧米化が顕著の上、
外食やコンビニ中心の食事と運動不足は、生活習慣病につながり、
やがて急性心筋梗塞や脳血管疾患などによる現役世代の死亡率が高い・・》と学んだりしてきた。

私は幼年期に農家の児として育ったので、齢ばかり重ねた今でも、
朝食は、ご飯と汁、おかずと香の物で成り立っていた庶民の『一汁三菜(いちじゅうさんさい)』の真似事をしている。
そして前菜を必ず頂いているし、日本人の波長に合う和食の代表、と思ったりしている。

そして程ほどに毎日歩いたりし、粗食も愛食しているので、長き生きできるかしら、
と何かと気弱な私でも、微苦笑したりしている。

やがて私はいつの年にか、神様か仏様の采配に寄る世界であっても、
何とか最後のお願いとして、穏やかで安らかに、逝きたいと念願している。

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