夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

都心の郊外も朱色、紅色、黄色などに染められる錦繍の中、晩秋のバラにめぐり逢い、老ボーイの私は微笑み・・。

2016-11-19 13:58:37 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の世田谷区と狛江市に隣接する調布市の片隅の地域に住んでいる年金生活13年生の老ボーイの身であるが、
過ぎし3日の『文化の日』の頃から、あまたの落葉樹の葉は、朱色、紅色、黄色などに多彩に染め始め、
やがて11月23日の『勤労感謝の日』の頃になると、
周囲一帯までは朱色、紅色、黄色などに染められる錦繍(きんしゅう)の情景となる。

私は1944年(昭和19年)の秋に、農家の三男坊として生を受け、
私が地元の小学校に入学した当時は、祖父、父が中心となって先祖代々から農業を引き継いで、
程ほど広い田畑、雑木林、竹林などを所有し、小作人だった御方の手をお借りながらも田畑を耕していた。

やがて小学2年に父が病死、まもなく小学3年に祖父も亡くなった。

どの農家も同じと思われるが、一家の大黒柱が農作物のノウハウを把握しているので、
母と父の妹の二十歳前後の未婚のふたりの叔母、そして長兄は中学1年で一番下の妹6歳の5人兄妹が残されたので、
家は急速に没落なり、生活は困窮となり、やがて母は農業を断念し、転業した。

私が今住んでいる近くに生家もあり、私自身としてはこの地域に住んで、
結婚前後5年を除き、早や66年が過ぎている。

ここ数週間、いつもように私は自宅の3キロ範囲にある遊歩道、小公園を散策していると、
あまたの落葉樹の葉は、恥ずかしげに色合いを染め、スキップしたくなるような心情で散策をしてきた・・。
                       
              ☆今回、掲載した写真のすべては昨日の18日に撮った情景である☆
    
私は中小業の民間会社に35年近く奮戦して2004年(平成16年)の秋に定年退職後、
多々の理由で年金生活を始めた・・。

しかしながら、この間は幾たびのリストラを何とか通過したが、最後の5年半はデフレ烈風の中、
あえなく出向となったりし、私のサラリーマン時代は悪戦苦闘が多かったりした。

そして年金生活を当初は、解放感で高揚し、独りで近所の遊歩道を散策したりすると、
こんなに自由に散歩できるなんて、許されても良いのかしら、
と定年直前までの多忙期を思い重ねたりし、戸惑いながら甘受したりした。

何よりも朝の陽射し、昼下りのひととき、そして夕暮れ時に、
ゆっくりと時を過ごし、苦楽の激しかった現役時代を思いながら、微苦笑を重ねたりした。

こうした時、若き時期に映画、そして文学青年の真似事を敗退した私は、
情念の残り火りのように西行、鴨長明、芭蕉が遺(の)こされた作品に思いを寄せることが多かった。

もとより西行(さいぎょう)は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての武士・僧侶・歌人であり、
  ねかはくは 花のしたにて 春しなん そのきさらきの もちつきのころ 『山家集』もある。

そして鴨 長明(かもの・ ちょうめい)は、平安時代末期から鎌倉時代にかけての日本の歌人・随筆家。
『方丈記』が代表作となっている。

松尾 芭蕉(まつお ・ばしょう)は、江戸時代前期の俳諧師。
数多い中で私は、旅に病んで夢は枯野をかけ廻る、一句に圧倒的に魅せられてきた。
                       

しかしながらに身過ぎ世過ぎの多い年金生活を数年過ごすと、
日常生活とか幾たびかの旅先に於いては、春夏秋冬の情景、この間の季節のうつろう情景に、
心を寄せて、深めて今日に至っている。

そして人影の少ない遊歩道、小公園などで、今の時節であったならば、
♪秋の夕日に照る山紅葉(やまもみじ)・・と高野辰之さんが作詞された『紅葉(もみじ)』を、
かぼそい声で唄ったり、心の中で唄ったりしてきた。
                        

私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。
そして雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

そして私たち夫婦はお互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。

私たち夫婦の両親は、無念ながら家内の母だけとなり、
独り住まいの家内の母が今年の5月過ぎに『要介護1』となり、長女の家内と家内の妹が交互に、
家内の母宅に殆ど宿泊して、家内の母の食事、洗濯、掃除、或いは通院の付き添いなどしている。

こうした事情で、我が家では私が独りぼっちの『おひとりさま』の生活になることも多々ある。
             

昨日、たまたま『おひとりさま』の私は、都立『神代植物公園』に行ったりした。
我が家から45分ばかり歩くと深大寺があり、隣接した所に都立『神代植物公園』がある。

私は『神代植物公園』に関しては、年金生活の中、散策代わり毎月のように訪れ、
季節のうつろいを享受されてきた。

この時節、あまたの落葉樹の葉は、朱色、紅色、黄色などに染められる錦繍(きんしゅう)の情景がどのようになったかしら、
と思いながら訪れたりした。

この園内では、過ぎし10月8日より恒例の『秋のバラフェスタ 』開催されて、
そして30日まで圧倒的に多いバラの各種で彩られ、殆どバラに無知な私でも、幾たびか鑑賞したりしてきた。

しかしながらバラだって、春に咲き、夏には少し休んで、秋に彩(いろど)ってきたので、
晩秋時期は初冬支度で、やがて春先までは見られないだろう、と思ったりした。


やがて入園して、数多く落葉樹を彷徨(さまよ)うように歩き廻ったりした・・。
             

             

こうした中で、背の高い花にめぐり逢い、一期一会ねぇ、と記憶のかたみとして、撮ったりした。
             

やがて、こっそりと解説文を読み、別名コウテイダリア、と明記されていたので、
これが有名な皇帝ダリアかょ、初めて見たょ、と心の中で呟(つぶや)いたりした。
             

まもなく私は、晩秋から初冬期に健気(けなげ)に咲く山茶花(サザンカ)を褒(ほ)めたくて、
園内にある『サザンカ園』に向かった。

私は小学校の登下校に通った村道に山茶花(サザンカ)の花を眺めたりしてきたので、
私に取っては山茶花(サザンカ)は、愛惜花のひとつとなっている。
             

そして今年も逢えたよねぇ、と思いながら撮ったりした。
             

やがて雑木林に向かう時、冬の花として好きな椿の花にめぐり逢い、
早くも咲いてくれた、と私は思いながら、微笑みながら撮ったりした。
             


そして雑木林に向い、まもなく陽射しが燦々と照らすバラ園には、人出が多く見られ、
近づいていくと、名残り花のように晩秋時期に咲いている数多くのバラが咲いていた・・。
             

私は幼年期に農家の児として育てられた為か、父の妹である叔母が畑の一角に、花壇を作り、
仏様とかお墓にささげる花を見たりしてきたので、里花には愛惜を秘めているひとりである。

或いは田圃(たんぼ)とか遊歩道の片隅に咲いている野花も恋しく、長年に見惚(みと)れたりしている。

そして家内は中学生の頃から茶事を習ってきたので、私は婚約の頃から茶花を教えられて、
魅了されたりしてきた・・。

このように里花、野花、茶花に関しては、少しばかり知っているが、洋花に関しては、殆ど無知な男である。
                        

こうした中で、薔薇(バラ)の花に関しては、何かしら気品のある女性が高価なドレスを召したような、
或いは裕福な家庭で育っている高嶺の花のような女性と感じたり、
私は定年退職した60歳の頃まで、近寄りがたく気後(きおく)れしまい敬遠してきた・・。

そして何かと卑屈と劣等感を秘めてきた私でも、遅ればせながらイギリス、フランスなどの文化を知る為には、
やはり薔薇(バラ)は欠かせない、と確信を深めたりした。

やがて年金生活の60代に国内旅行で『バラ園』があった時、鑑賞する時もあったりし、
私の住む地域の都立『神代植物公園』に於いて、恒例の『春のバラフェスタ 』、『秋のバラフェスタ 』などで、
数多くの美麗な薔薇(バラ)を鑑賞して、感性の衰えた私でも、魅了された。
             

そして今回、何かと単細胞の私は、映画のフィナーレのような美麗なバラが、私を待っていてくれた、と微笑んだりした。
             

やがて高貴なバラに敬意をして、ときおり私は下男のような膝まづいたりして、撮ったりした。
             

こうした中で、多く人が高価なデジカメ一眼レフで望遠レンズで撮ったり、中には三脚を立てて撮られている御方もいて、
私は恥ずかしながらコンパクト・デジカメであったが、
バラにささげる思いは、ボクだって・・と思いながら、数多く撮ったりした。
             

やがて私は、少し疲れを感じて、近くにあるベンチに腰を下ろした。
そして入園したのは9時半で、今は12時半過ぎで、3時間ばかり歩いたり立ち止まったりして鑑賞してきたので、
老ボーイの私だって、疲れるょねぇ、と心の中で呟(つぶや)いたりした。
             

まもなく私は、夢のようなひとときを過ごした『神代植物公園』に別れを告げて、
やがて私は独りぼっちの『おひとりさま』の生活となっているので、
現実に還り、駅前のスーパーで買物をして、自宅に向かったりした・・。

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