夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

現役漫才師の94歳の内海桂子さんの夕食、72歳の私は学び、恐れ入りました、と降参して・・。

2016-11-27 13:35:32 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の片隅に住み年金生活をしている72歳の身であるが、
ときおり愛読している朝日新聞社系の基幹サイト【dot.(ドット)】を見ていたら、
【 傘寿の食卓 内海桂子「1合の晩酌を欠かさず」減塩も気にしない? 】
と見出しを見てしまった。

私は傘寿(さんじゅ)は80歳を越えたご高齢の御方ぐらいは知っているけれど、
こうした御方が「1合の晩酌を欠かさず」減塩も気にしない?、と公言されていたことに、
何かと好奇心の強い私は、精読してしまった・・。

この記事の原文は、『週刊朝日』2016年12月2日号に掲載された記事のひとつであり、
そして【dot.(ドット)】に11月26日に配信されていて、無断ながら転載させて頂く。

《・・傘寿の食卓 内海桂子「1合の晩酌を欠かさず」減塩も気にしない?〈週刊朝日〉

超高齢化社会が到来したいま、健康寿命を延ばすことに注目が集まっている。
食生活は健康の基本。
80を超えてもなお、各方面で活躍し続ける有名人の食卓から、秘訣を探った。

「桂子師匠」として幅広い世代から親しまれる、現役漫才師の内海桂子さん。
94歳になった今も、月に8回は舞台に立つ。
             

「私ら芸人は、外へ出るとみなさんが、それはよくしてくださる。
おかげさまで戦時中も、慰問で三味線を弾いていたので、食べ物には困らなかった。
出してもらう食事は何でもありがたい。
家でも外でも、好き嫌いなんて生意気なことは言いませんよ」(内海さん)

家では、夫の成田常也さんが食事の支度をする。
夕食は、夜7時ごろ。
取材した日は、ご飯、ワカメの吸い物、カボチャの煮つけ、金時豆、みそのしそ巻き、野菜の塩もみ、
サラダ、焼き魚(サケ)と、バラエティーに富んだ献立だった。

表舞台に立ち続けるため、さぞかし食事には、神経を使っているかと思えば、意外な答えが返ってきた。

「実は、7割がた買ってきたお総菜ですけどね。
お吸い物も即席ですよ」(成田さん)

毎日少なくとも7、8品は並ぶが、決して豪勢なものではないという。
近所に5軒ほど行きつけのスーパーがある。

「それぞれの店に、お気に入りのお総菜がある。1週間まかなえちゃう」(同)
普通の店に並ぶお総菜なので、年配の人向けにと食材を、ことさら細かく刻むことも、
軟らかく煮ることもしていない。

私、入れ歯は4本だけ。あとは全部、自分の歯ですよ。お煎餅も大好き」
と内海さんが言えば、

成田さんもこう話す。
「江戸っ子なもので、しっかりした味付けじゃないと嫌みたいで。減塩なんて気にしてません」

それでいて血圧も正常、どこも具合の悪いところはないのだという。
             

「サラダも野菜だけじゃだめなんですよ。お肉を炒めたものや、ハムを散らしたりなんかすると喜びます」(成田さん)

そして、欠かせないのが、日本酒だという。
「お酒は常温。毎日いただきます。
でもね、この人に、1合までって決められちゃってて。
それ以上は飲ませてくれないのよ」(内海さん)

ぼやく内海さんの隣で、成田さんはほほ笑んでいる。

「浅草には、私と同世代のお客さんも、まだまだいらっしゃいますからね。
こっちも老け込んでなんぞ、いられませんよ」(同)

日本酒をさしつ、さされつする二人の姿は、おしどり夫婦そのもの。
当初は24歳の年の差婚と騒がれたが、今年で結婚17年を迎えた。
健康の秘訣は夫婦で囲む食卓なのかもしれない。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
             

私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であるが、
食事に関しては、私は幼年期に農家の児として育ったので、齢ばかり重ねた今でも、
朝食は、ご飯と汁、おかずと香の物で成り立っていた庶民の『一汁三菜(いちじゅうさんさい)』の真似事をしている。

私の朝食の原則として、前菜を必ず頂いている。
タマネギをスライスし、生ワカメとあえて、そしてミッカンぽん酢とお醤油をかけて、
大きな皿に盛大に食べたりしている。

やがて十六穀米の入った白米のご飯、インスタントのワカメの味噌汁、
納豆、コブの佃煮、ラッキョの塩漬け、福神漬け、カブの醤油漬け、カブの葉の塩漬け、焼きノリ、
そしてシャケの瓶づめ、或いはサバ缶のミソ煮で頂くことが多い。

家内は時折つきあうが、大半は食パンにジャム、オレンジ・ママレード、或いはブルーベリーを塗り、
二枚ばかり食べながら、ホット・コーヒーを飲みながら頂くことが多い。
そしてバナナなど果物も食べたりしている。

昼食は私はホット・コーヒーか煎茶を飲みながら、小さな塩フランスバンを三ばかり食べたりしているが、
家内はケーキのような菓子パンを食べることが多い。

そして昼食は、お互いに自由な時間を過ごしているので、
それぞれ自在に食べることが多いのが、実態となっている。
                                                               
やがて夕食の時は、私は前菜として、冷凍のブロッコリーを電子レンジで少し温めて、
やはりミッカンぽん酢とお醤油をかけて、食べている。

そして牛肉、豚肉、鶏肉、ラム肉などのいずれかを野菜を加えて、多めに頂いたりし、
ときにはシイタケ、シメジ、マイタケなどの茸(きのこ)も好きで、食べたりしている。

家内は肉と野菜を食べたりした後、プリンかショートケーキを食べたりしている。

こうした朝食、夕食を頂いている中でも、 私は平素は亡き母の遺伝を素直に受け継いだ為か、
男の癖におしゃべりで、家内と談笑をしたりしている。

こうした日常生活の食事となり、ときおり駅前に買物とか旅行の旅先の時は、
家内の要望を聞いて、食事処で少し背延びした料理も頂いたりしている。
                          
ときおり家内が独り住まいの家内の母宅に、家内の妹と交代で、看病で宿泊することも多くなっていて、
私は我が家で『おひとりさま』の生活になるが、こうした時でも殆ど食事内容が変わらなく過ごしたりしている。
             

しかしながら私は、お酒に関しては5日に一回ぐらい飲んだりしている。

私は民間の中小業のある会社に35年近く奮戦し、2004年(平成16年)の秋に定年退職後、
多々の理由で直ちに年金生活に入り、現役サラリーマン時代は悪戦苦闘が多かった為か、解放感で高揚したりした・・。

そして年金生活を当初は、独りで近所の遊歩道を散策したりすると、
こんなに自由に散歩できるなんて、許されても良いのかしら、
と定年直前までの多忙期を思い重ねたりし、戸惑いながら甘受したりした。

何よりも朝の陽射し、昼下りのひととき、そして夕暮れ時に、
ゆっくりと時を過ごし、苦楽の激しかった現役時代を思いながら、微苦笑を重ねたりした。

こうした中で、純米酒の辛口が好きの私は、晩酌の時は現役時代と同様に2合、ときには3合を呑んだり、
或い日はビールの時は500mlの缶ビールを数本を呑んだりした。

ときには日中に小庭のテラスに下り立ち、簡易椅子に座り、缶ビールを呑みながら、
リストラ烈風の中、最後の出向時代の5年間は、何かと大変だったなぁ、と思い重ねたりした・・。

この結果、身長は170センチ、体重は70キロだった私は、毎年少しずつ体重が増えてしまった・・。
                            
  
やがて2008年(平成20年)の秋に健康診断を受診した後、肥満体と診断され、
まもなく市の斡旋の『メタボの研修』を受講した後、少し節制したりした。

こうした中、日常生活は散策と買物ぐらいの運動不足、その後の猛暑でエアコンの冷風の中で昼寝も多くなり、
2010年(平成22年)の秋に健康診断の結果、『糖尿病で、内科に受診して下さい』と明記されてしまった。

私は青ざめ、翌日に自宅から徒歩10分ばかりの内科専門病院に行き、検査、そして問診の時、
『国内旅行に何とか70歳ぐらいまで行きたいので・・何なりと御指導をお願い致します』
と私は内科の医師に懇願した。

そして高橋真梨子さんが唄われた『桃色吐息』は妖艶であるが、
体力の衰えた66歳の私は、青色吐息のような表情で、内科の医師のアドバイスを聴いたりした・・。

私は家内との共通趣味は国内旅行であり、糖尿病の場合は、もとより食事制約がある。

このような時、家内と共に旅行の宿泊先で美味しい夕食を頂けそうな時、
私は食べてはいけない料理だったら、余りにも惨(みじ)めである、と思ったりした。

やがて医師から、料理のカロリー試算表を渡された上、軽い運動を毎日して下さい、と私は言われた・・。
この後、6週間の私は、家内が料理のカロリー試算表を確認しながら野菜を多くした料理を作って貰い、
これ以来、朝夕頂いたりした。

そして私は、ウォーキングをしたり、或いは早足で遊歩道を歩いたりし、
お酒はしばらく・・さよならねぇ、と夕食の時も煎茶を飲んだりしていた。

この間、私は最寄の内科に4週間毎に定期健診を受けて、
糖尿病の範囲の対象から克服でき、悪玉コレステロールは基準値の90%、
これ以外はすべて優等生となったのは、2011年(平成23年)の3月の初旬であった。
                                   

こうした中、私としては何よりも不思議と感じたのは、冷蔵庫の中にビールがあること、
台所の片隅の収納所に日本酒の一升瓶、四合瓶も忘れてしまっていることである。

かって呑兵衛と自任してきた私は、平素の夕食に煎茶でもまったく違和感が感じることなく、過ぎている・・。

このように私は20代から何かと日本酒、ビールを中核にワイン、ウィスキーも呑んできたが、
歌を忘れたカナリヤのようにアルコールから遠ざかり、
国内旅行、冠婚葬祭、或いは懇親会の時は例外として、そして我が家で週に一度ぐらい呑むぐらいとなり、激少となった。

この後、国内旅行で家内と共に、各地を幾たびも行ったりすると、
やはり宿泊処で地酒を呑んだりしてきたが、体重が増えてしまった。
         
やむえなく糖分の多い日本酒、ビールとお別れして、ウィスキーに氷を入れただけのオンザ・ロックとし、
弱くなったので、少しだけ水を入れた濃いめの水割りで呑むこととして、
5日に一度ぐらい自宅で呑んだりしているのが現状となっている。
                           
こうした中、過ぎし40代前後に弐合徳利、ぐい呑むを幾種類も買い求めて、
晩酌の時に、今宵はどの弐合徳利にしようかしら、と選定しながら夜の友のひとりとしてきたが、
今やガラス戸の棚に、ひっそりと鎮座していることも、忘れていることが多くなっている。

このように過ぎゆく人生は、無念ながら何かしら断念することもあり、
ささやかな年金生活を継続を望むなら、私の場合は愛飲していた日本酒となったりしている。
             

今回、現役漫才師の94歳の内海桂子さんの夕食を私は学び、
「1合の晩酌を欠かさず」ご健在と知り、恐れ入りました、と降参したりしている。

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