私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活の72歳の身であるが、
昨夜、ときおり愛読しているネットの『東洋経済オンライン 』を見たりしていた中で、
【 日本の過剰労働は、「お客様」の暴走が原因だ
~理不尽な要求にノーといえる文化を作ろう~ 】と題された記事を見た。
私はどういうことなのかしら、と思いながら、精読してしまった。
この記事は、フリーライターの雨宮 紫苑さんが寄稿された記事で、
『東洋経済オンライン 』に11月22日に配信され、無断ながら転載させて頂く。
《・・日本の過剰労働は、「お客様」の暴走が原因だ
電通過労自殺問題をきっかけに、「ブラック企業を許すな!」という声が、日本で、ますます大きくなっている。
ブラック企業の話になると、「企業体質」の問題に焦点が当てられることが多い。
長時間労働や、パワハラ上司の存在が当たり前になっているという話だ。
しかし、ブラック企業の問題は、それだけではない。
サービスを受ける「お客」側も、労働環境の悪化に一役買ってしまっているのが、現状だ。
こうした指摘をする、ある会社員の次のようなツイートが、2万6000回以上リツイートされている。
ブラック企業をなくしたいなら、社員にまともな賃金を払っている、
適切な労働時間を働かせていることによって、生じる不便さに寛容でないと。
「土日休みなんで、納品までにもっと時間かかります」
「定時過ぎたんで、会社もう閉めました」と言われて文句言う人は、言ってみれば「ブラック市民」ですよ

☆過剰なサービスを要求する「お客様」
あなたも、理不尽な要求をする客に、うんざりしたことはないだろうか?
私は以前、家具の販売員として働いていたが、過剰なサービスを要求する客は必ずいた。
例を挙げると、次のようなものだ。
「雪が降っている影響で、家具の配送に時間がかかる」と言えば、「値引きしろ!」。
「もう閉店時間だから」と言えば、「少しくらいかまわないだろう!」。
これはまさに、ブラック企業ならぬ、「ブラック客」だ。
日本ではいつだって、カネをもらっている側の人間は、圧倒的に立場が弱い。
なぜ、このような客の振る舞いが、許されてしまうのだろうか。
日本のサービスは、「おもてなし」という言葉で表される。
大辞泉によれば、「もて成す」とは、「心をこめて客の世話をする」ことを意味する。
しかし、心を込めて客の世話をするという意味を、現在は一方的な奉仕をすると理解され、
「お客様は神様」の状況になっている。
客の立場が異常に高く、サービス提供者がへりくだるという、歪んだ関係だ。

☆客に反論することは許されない?
そもそも、神とは、人知を超えた絶対的な存在で、信仰の対象をいう。
人々は昔から、人間の力ではどうにもできないものを「神の仕業」「たたり」として恐れ、敬い、あきらめ、受け入れてきた。
凶作になったとしても、神を責めることはない。
「自分たちが悪かったから、罰が当ったのだ」とせっせと生け贄を捧げたり、祈ったりしていた。
この理屈をサービスにも当てはめると、客が傍若無人な振る舞いをしても、決して反論したり、拒否しないということになる。
まるで自分の気持ちや時間を生け贄に捧げているようである。
そして客側もそれに慣れてしまったため、「思うままに振る舞ってよい」と勘違いしてしまったのではないだろうか。
そう考えると、日本の「お客様」は、確かに「神様」のように扱われており、対等な関係とは程遠い。

☆客に茶を振る舞う、もてなしの作法の中から
一方、「おもてなし」に対して、少し違った見方もある。
城西国際大学観光学部助教の岩本英和氏が、国際学術文化振興センターに所属する高橋謙輔氏と共同で発表した
「日本のおもてなしと西洋のホスピタリティの見解に関する一考察」という研究レポートでは、
おもてなし精神を理解するため、茶道を引き合いに出している。
そこでは、「亭主は、客のために一身に濃茶を練り、その心を感じ取った客は心から感謝の気持ちを礼に込める」と書かれていた。
つまり「おもてなし」とは、まず客を思いやる気持ちがあり、客もその厚意を感じて感謝する、
「互いに心地よくなるための心遣い」であったということだ。
「おもてなし」が「互いが心地よくなるための心遣い」であったことを考えると、
現在の不平等な客とサービス提供者の関係は、その精神とは真逆に位置している。
なぜこんなにも、客の立場が上になってしまったのだろう。
さまざまな要因があるだろうが、他社に負けないように、
「サービス」という付加価値で、勝負しすぎる傾向が強いことが原因ではないだろうか。
値下げや品ぞろえでの差別化には、限界がある。
そこで、精神論でどうにかなる「サービス」で競争を勝ち抜こうという発想になるわけだ。
空気を読むことに長けている日本人にとって、サービス精神を持つこと自体は、難しいことではない。
だが問題は、この状況を当然だと思ってしまった「お客様」の意識だ。
「過剰サービスを当然だと思う発想」を助長するものとしては、
どこにでもあって、24時間営業が当たり前になっているコンビニがいい例だろう。
30年ほど前は、お盆や年末年始は営業していない百貨店が多かったが、
数10年で「年中無休が、当たり前」になった。
かつては商店街でしか食材が手に入らず、夜は店が閉まっていたが、その不便こそが「普通」だった。
「労働環境の改善により不便になる」という指摘も一理あるが、
この感覚こそ、客が当然だと思って要求する過剰サービスの厄介さだ。
それが過剰なサービスであっても、もう「当然」になっているため、当たり前のように要求する。
店が閉まっていれば「不便だ」と言うくせに、店が開いていることに感謝しない。
いくら企業が労働環境を改善しようとしても、過剰なサービスを求める客がいれば、
労働者は仕事を終わらせることができない。
ブラック企業をなくすためには、そういった悪意のない「ブラック客」の意識改革が必要だ。

☆労働者を守るために
「ブラック客」の目を覚まさせるためのいちばん有効な手は、
サービス提供者が、ノーをたたきつけることだろう。
欧米では、過剰なサービスを要求する客を、「客ではない」と店が拒否する。
ヨーロッパ旅行をしたとき、日曜日に店がすべて閉まっていて驚いた、
という経験をお持ちの方も多いのではないだろうか。
筆者が住むドイツでは、閉店法という法律により、店の営業時間が規制されている。
キリスト教では日曜日が安息日と定められているので、「日曜、祝日は閉店」が基本だ。
また、労働者の休息時間を守り、小売店の営業時間延長による競争を阻止するため、
「月曜日から土曜日までの小売店の営業時間は、6時から20時」という決まりが守られていた。
ただ、2006年には、閉店法の権限が国から州に移り、その後は各州で規制緩和が続いた。
現在は16の州のうち、9つの州が月曜から土曜、3つの州が月曜から金曜の24時間営業を認め、
14の州が年4回、またはそれ以上の日曜日の営業を認めた。
しかし、法律改正後、ドイツ人は喜んで、店の営業時間を長くしたかというと、そうではない。
今でも多くの店で、24時間営業や日曜営業は行っていない。
フランクフルト中央駅には、スーパーとパン屋が合計17店舗入っているが、24時間営業しているのは、2軒のパン屋だけだ。

☆自分も休めば、他人にサービスを要求することはない
フランクフルトの中心街にある、ドイツの2大デパートのうちのひとつKaufhofは、
月~水が9時半から20時まで、木~土が9時半から21時までで、日曜は休館。
もうひとつのKARSTADTは、月~土の10時から20時までの営業で、同じく日曜休館。
ショッピングセンターのMyZeil、Skyline Plazaは、月~水が10時から20時まで、
木~土が10時から21時まで営業、同じく日曜は休みだ。
フランクフルトにある4つの巨大商業施設でさえ、この営業時間なのだから、あとは推して知るべしだ。
日曜や深夜にどうしても食料品が必要になったら、
大きい駅の構内の店か、閉店法の規制から外されているガソリンスタンドに行くしかない。
一見不便に思うだろうが、ドイツ人は深夜や日曜に買い物をする習慣がないので、大して気にしていない。
「なぜドイツ人は店が閉まっていても気にしないのか」といえば、
「自分も休んでいるから」の一言に尽きる。
ドイツには「深夜や日曜日は休むべき」という価値観が前提としてあり、
自分自身が休んでいるのだから、他人に「働け」とは言わない。
店が閉まっているのなら、前日に食料品を買って、家でのんびりしていればいいのだ。
それでも「店を開けろ」「働け」という客には、はっきりとNOを突き付ける。
ドイツだけでなく、欧米では客にNOと言うことが許される。
だから対等な立場でいられるのだ。
客の要求を拒否することは、サービスの質を下げることではない。
労働者を守るために必要なのだ。
日本の「お客様」は、自分の立場が上で、過剰なサービスも当然だと思ってしまっている。
だがサービス提供者がNOと言えば、「この要求は過剰なものだった」と気づくのではないだろうか。
日本でも、極端な話、コンビニのオーナーたちが口をそろえて「営業時間は10時から18時」と決めてしまえば、
客が泣こうがわめこうが、18時に店を閉めればいい。
客がサービスに感謝し、サービス提供者の目線に立つことができて初めて、
日本ご自慢の本当の意味での「おもてなし」になる。
客が相手を思いやる気持ちを持てれば、労働環境も少しはマシになるだろう。・・》
注)記事の原文に、あえて改行を多くした。

私は読み終わった後、確かに日本は多彩なそれぞれの販売店、宅配便などは、
過当競争に基づき、過剰サービスと私は思ったりしている・・。
過ぎし日、デパートの伊勢丹・三越グループが、来年度から元旦は休業致します、と知り、
これだったら社員、契約・パートの従業員、そして納品されるの方たちが、
せめて元旦はお休みできる、と思いながら微笑んだりした。
或いはコンビニは、過当競争をせずに、朝の7時から夜は11時まで営業時間として、
協定を結び、店主、従業員、そして納品されるの方たちの過重な労働環境を改善しないか、
不思議に思ったりしてきた・・。
私が現役サラリーマン時代、朝から勤めて、やがて徹夜になる時は、
夕方に夜食を買い求めて対処してきたりしてきた。
業界が営業時間の協定を結ぶことが問題であるならば、
厚生労働省が積極的に関与して、それぞれ労働環境の改善のすべきである、
と無力な私でも憂いたりしている。
そして宅配便、スーバーの配達など・・。
配達に時間指定制度があるが、せめて午前中(9時から12時)、午後は(2時から6時)と制限し、
該当しない客は、土日など自身の休日で対処すれば・・と思ったりしてきた。

いずれも日本は過当競争に基づき、過剰サービスで、提供する側、そしてお客、お互いにクタビレ果てて、
悪しき習慣が続いているので、根幹から打破致したく、今回の記事には賛意している。
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昨夜、ときおり愛読しているネットの『東洋経済オンライン 』を見たりしていた中で、
【 日本の過剰労働は、「お客様」の暴走が原因だ
~理不尽な要求にノーといえる文化を作ろう~ 】と題された記事を見た。
私はどういうことなのかしら、と思いながら、精読してしまった。
この記事は、フリーライターの雨宮 紫苑さんが寄稿された記事で、
『東洋経済オンライン 』に11月22日に配信され、無断ながら転載させて頂く。
《・・日本の過剰労働は、「お客様」の暴走が原因だ
電通過労自殺問題をきっかけに、「ブラック企業を許すな!」という声が、日本で、ますます大きくなっている。
ブラック企業の話になると、「企業体質」の問題に焦点が当てられることが多い。
長時間労働や、パワハラ上司の存在が当たり前になっているという話だ。
しかし、ブラック企業の問題は、それだけではない。
サービスを受ける「お客」側も、労働環境の悪化に一役買ってしまっているのが、現状だ。
こうした指摘をする、ある会社員の次のようなツイートが、2万6000回以上リツイートされている。
ブラック企業をなくしたいなら、社員にまともな賃金を払っている、
適切な労働時間を働かせていることによって、生じる不便さに寛容でないと。
「土日休みなんで、納品までにもっと時間かかります」
「定時過ぎたんで、会社もう閉めました」と言われて文句言う人は、言ってみれば「ブラック市民」ですよ

☆過剰なサービスを要求する「お客様」
あなたも、理不尽な要求をする客に、うんざりしたことはないだろうか?
私は以前、家具の販売員として働いていたが、過剰なサービスを要求する客は必ずいた。
例を挙げると、次のようなものだ。
「雪が降っている影響で、家具の配送に時間がかかる」と言えば、「値引きしろ!」。
「もう閉店時間だから」と言えば、「少しくらいかまわないだろう!」。
これはまさに、ブラック企業ならぬ、「ブラック客」だ。
日本ではいつだって、カネをもらっている側の人間は、圧倒的に立場が弱い。
なぜ、このような客の振る舞いが、許されてしまうのだろうか。
日本のサービスは、「おもてなし」という言葉で表される。
大辞泉によれば、「もて成す」とは、「心をこめて客の世話をする」ことを意味する。
しかし、心を込めて客の世話をするという意味を、現在は一方的な奉仕をすると理解され、
「お客様は神様」の状況になっている。
客の立場が異常に高く、サービス提供者がへりくだるという、歪んだ関係だ。

☆客に反論することは許されない?
そもそも、神とは、人知を超えた絶対的な存在で、信仰の対象をいう。
人々は昔から、人間の力ではどうにもできないものを「神の仕業」「たたり」として恐れ、敬い、あきらめ、受け入れてきた。
凶作になったとしても、神を責めることはない。
「自分たちが悪かったから、罰が当ったのだ」とせっせと生け贄を捧げたり、祈ったりしていた。
この理屈をサービスにも当てはめると、客が傍若無人な振る舞いをしても、決して反論したり、拒否しないということになる。
まるで自分の気持ちや時間を生け贄に捧げているようである。
そして客側もそれに慣れてしまったため、「思うままに振る舞ってよい」と勘違いしてしまったのではないだろうか。
そう考えると、日本の「お客様」は、確かに「神様」のように扱われており、対等な関係とは程遠い。

☆客に茶を振る舞う、もてなしの作法の中から
一方、「おもてなし」に対して、少し違った見方もある。
城西国際大学観光学部助教の岩本英和氏が、国際学術文化振興センターに所属する高橋謙輔氏と共同で発表した
「日本のおもてなしと西洋のホスピタリティの見解に関する一考察」という研究レポートでは、
おもてなし精神を理解するため、茶道を引き合いに出している。
そこでは、「亭主は、客のために一身に濃茶を練り、その心を感じ取った客は心から感謝の気持ちを礼に込める」と書かれていた。
つまり「おもてなし」とは、まず客を思いやる気持ちがあり、客もその厚意を感じて感謝する、
「互いに心地よくなるための心遣い」であったということだ。
「おもてなし」が「互いが心地よくなるための心遣い」であったことを考えると、
現在の不平等な客とサービス提供者の関係は、その精神とは真逆に位置している。
なぜこんなにも、客の立場が上になってしまったのだろう。
さまざまな要因があるだろうが、他社に負けないように、
「サービス」という付加価値で、勝負しすぎる傾向が強いことが原因ではないだろうか。
値下げや品ぞろえでの差別化には、限界がある。
そこで、精神論でどうにかなる「サービス」で競争を勝ち抜こうという発想になるわけだ。
空気を読むことに長けている日本人にとって、サービス精神を持つこと自体は、難しいことではない。
だが問題は、この状況を当然だと思ってしまった「お客様」の意識だ。
「過剰サービスを当然だと思う発想」を助長するものとしては、
どこにでもあって、24時間営業が当たり前になっているコンビニがいい例だろう。
30年ほど前は、お盆や年末年始は営業していない百貨店が多かったが、
数10年で「年中無休が、当たり前」になった。
かつては商店街でしか食材が手に入らず、夜は店が閉まっていたが、その不便こそが「普通」だった。
「労働環境の改善により不便になる」という指摘も一理あるが、
この感覚こそ、客が当然だと思って要求する過剰サービスの厄介さだ。
それが過剰なサービスであっても、もう「当然」になっているため、当たり前のように要求する。
店が閉まっていれば「不便だ」と言うくせに、店が開いていることに感謝しない。
いくら企業が労働環境を改善しようとしても、過剰なサービスを求める客がいれば、
労働者は仕事を終わらせることができない。
ブラック企業をなくすためには、そういった悪意のない「ブラック客」の意識改革が必要だ。

☆労働者を守るために
「ブラック客」の目を覚まさせるためのいちばん有効な手は、
サービス提供者が、ノーをたたきつけることだろう。
欧米では、過剰なサービスを要求する客を、「客ではない」と店が拒否する。
ヨーロッパ旅行をしたとき、日曜日に店がすべて閉まっていて驚いた、
という経験をお持ちの方も多いのではないだろうか。
筆者が住むドイツでは、閉店法という法律により、店の営業時間が規制されている。
キリスト教では日曜日が安息日と定められているので、「日曜、祝日は閉店」が基本だ。
また、労働者の休息時間を守り、小売店の営業時間延長による競争を阻止するため、
「月曜日から土曜日までの小売店の営業時間は、6時から20時」という決まりが守られていた。
ただ、2006年には、閉店法の権限が国から州に移り、その後は各州で規制緩和が続いた。
現在は16の州のうち、9つの州が月曜から土曜、3つの州が月曜から金曜の24時間営業を認め、
14の州が年4回、またはそれ以上の日曜日の営業を認めた。
しかし、法律改正後、ドイツ人は喜んで、店の営業時間を長くしたかというと、そうではない。
今でも多くの店で、24時間営業や日曜営業は行っていない。
フランクフルト中央駅には、スーパーとパン屋が合計17店舗入っているが、24時間営業しているのは、2軒のパン屋だけだ。

☆自分も休めば、他人にサービスを要求することはない
フランクフルトの中心街にある、ドイツの2大デパートのうちのひとつKaufhofは、
月~水が9時半から20時まで、木~土が9時半から21時までで、日曜は休館。
もうひとつのKARSTADTは、月~土の10時から20時までの営業で、同じく日曜休館。
ショッピングセンターのMyZeil、Skyline Plazaは、月~水が10時から20時まで、
木~土が10時から21時まで営業、同じく日曜は休みだ。
フランクフルトにある4つの巨大商業施設でさえ、この営業時間なのだから、あとは推して知るべしだ。
日曜や深夜にどうしても食料品が必要になったら、
大きい駅の構内の店か、閉店法の規制から外されているガソリンスタンドに行くしかない。
一見不便に思うだろうが、ドイツ人は深夜や日曜に買い物をする習慣がないので、大して気にしていない。
「なぜドイツ人は店が閉まっていても気にしないのか」といえば、
「自分も休んでいるから」の一言に尽きる。
ドイツには「深夜や日曜日は休むべき」という価値観が前提としてあり、
自分自身が休んでいるのだから、他人に「働け」とは言わない。
店が閉まっているのなら、前日に食料品を買って、家でのんびりしていればいいのだ。
それでも「店を開けろ」「働け」という客には、はっきりとNOを突き付ける。
ドイツだけでなく、欧米では客にNOと言うことが許される。
だから対等な立場でいられるのだ。
客の要求を拒否することは、サービスの質を下げることではない。
労働者を守るために必要なのだ。
日本の「お客様」は、自分の立場が上で、過剰なサービスも当然だと思ってしまっている。
だがサービス提供者がNOと言えば、「この要求は過剰なものだった」と気づくのではないだろうか。
日本でも、極端な話、コンビニのオーナーたちが口をそろえて「営業時間は10時から18時」と決めてしまえば、
客が泣こうがわめこうが、18時に店を閉めればいい。
客がサービスに感謝し、サービス提供者の目線に立つことができて初めて、
日本ご自慢の本当の意味での「おもてなし」になる。
客が相手を思いやる気持ちを持てれば、労働環境も少しはマシになるだろう。・・》
注)記事の原文に、あえて改行を多くした。

私は読み終わった後、確かに日本は多彩なそれぞれの販売店、宅配便などは、
過当競争に基づき、過剰サービスと私は思ったりしている・・。
過ぎし日、デパートの伊勢丹・三越グループが、来年度から元旦は休業致します、と知り、
これだったら社員、契約・パートの従業員、そして納品されるの方たちが、
せめて元旦はお休みできる、と思いながら微笑んだりした。
或いはコンビニは、過当競争をせずに、朝の7時から夜は11時まで営業時間として、
協定を結び、店主、従業員、そして納品されるの方たちの過重な労働環境を改善しないか、
不思議に思ったりしてきた・・。
私が現役サラリーマン時代、朝から勤めて、やがて徹夜になる時は、
夕方に夜食を買い求めて対処してきたりしてきた。
業界が営業時間の協定を結ぶことが問題であるならば、
厚生労働省が積極的に関与して、それぞれ労働環境の改善のすべきである、
と無力な私でも憂いたりしている。
そして宅配便、スーバーの配達など・・。
配達に時間指定制度があるが、せめて午前中(9時から12時)、午後は(2時から6時)と制限し、
該当しない客は、土日など自身の休日で対処すれば・・と思ったりしてきた。

いずれも日本は過当競争に基づき、過剰サービスで、提供する側、そしてお客、お互いにクタビレ果てて、
悪しき習慣が続いているので、根幹から打破致したく、今回の記事には賛意している。
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