夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

ZARDの坂井泉水からの想いで・・♪   《初出2007.5.29.》

2008-05-13 15:13:43 | 音 楽
私は昨日、旅先の観光ホテルで、
ポップスグループのZARDの作詞家、ボーカリストの坂井泉水さんの死を知った・・。

私はこのお方には、お会いしたことがないが、
私なりに一時は熱愛し、歌の数々に魅了させられた時があった。


平成5年(1993)の春、私はレコード会社の管理畑に勤めていたが、
あるレコード会社と統合となり、
初めて長戸大幸・氏の率いるビーイング系のZARDを知った。

これより少し前の時代は、新田和長・氏の率いるファンハウスが、
岡村孝子、辛島美登里、永井真理子などの全盛の時もあった。

ZARDは透明感ある甘い女性の歌声、若い女性の思いの心情を託した作詞、
そしてビーイング系に多い馴染みやすいメロディーと感じた。
『負けないで』、『君がいない』、『揺れる想い』のシングル大ヒット、
アルバムに於いては、前年の『HOLD ME』に続き、
『揺れる想い』がミリオンとなり、
この1993年は女性ボーカルとしては頂点となった。

その後、ビーイングはヒーグラム社として独立会社し、
私の務めている会社から、離れていったが、
私なりにアルバムのベスト盤などを買い続けたりしていった。

私は統合当時に『負けないで』、『揺れる想い』などで、
時代に勢いのあるZARDを改めて教示を受けたり、
会社の業績にも貢献してくれたり、私のささやかなボーナスにも功してくれた。

結果としては、私は50歳前後で『負けないで』を知り、
定年退職後の3年生の今でも、時折アルバムの5枚を聴いたりしている。


今回、突然に訃報に接し、お若い身なのにと悲しみを覚えたが、
90年代の女性ボーカリストの代表として活躍された坂井泉水さんを、
《大変でしたね・・ご苦労様・・ゆっくりとお休み下さい・・》
と心から冥福を祈ったりした。

彼女の率いたZARDの音楽は、永遠に残ると確信するが、
少なくとも私は、今後もときおり聴くと思っている。




コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 爽(さわ)やかな朝を迎えて・... | トップ | 爽(さわ)やかな朝の陽射しに... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

音 楽」カテゴリの最新記事