東京裁判(極東国際軍事裁判)で、ただ一人起訴された被告の起訴事実全部につき、すべて「無罪」であると主張したパル判事の根拠の一つは「共同謀議」の証拠が提出されていないということにありました。
その「共同謀議」と関連して、今回は、すでに抜粋した文章と重複する部分も多いのですが、パル判事が「諸作戦地において俘虜に与えられた待遇が非人道的であったということは否定できない。これらの残虐行為を実際に行った者はすでに他の場所で処分されたのであり、またかれらの事件が厳正な裁判によって適切に処断されなかったなどと想像すべき理由はまったくない」ということで、具体的に取りあげている「パターン死の行進」や「泰緬鉄道工事」その他における俘虜使役の問題の部分を抜粋しました。
戦地における日本軍の残虐行為の事実を認めつつ、それらについて、ニュルンベルク裁判とは異なり、被告による「命令、授権、または許可」の証拠はないということで、「無罪」だという具体例です。パル判事は、ルース・ベネディクト女史の言葉を引いて、日本兵が残虐行為にいたる文化的背景をも指摘しています。
”「パターン死の行進」は、「実に極悪な残虐である」”と認めつつ、
”本官は、このできごとがすこしでも正当化しうるものであるとは考えない。同時に、本官は、これにたいしてどのようにして現在の被告のうちのだれかに責任を負わすことができるか、理解することができない。これは残虐行為の孤立した一事例である”
というわけです。
また、泰緬鉄道の工事における俘虜の過酷な使役に関しても、”検察側は十分な証拠をもって、俘虜の死亡が、虐待、過労、飢餓、疾病および医療不備によるものであることを示している”と検察側主張を認めています。ただ、この具体例に関しては、
”この使役に関しては、被告東条が全面的に責任があると、本官は、躊躇なく言明する。しかしながら、俘虜の使役に関する規則の右の違反は、たんなる国家の行為である。それはそれ自体としては犯罪ではなく、本官は東条に刑事責任を負わすものではない。”
と、めずらしく、その責任者を名指ししながら、「刑事責任を負わすものではない」としています。
この部分に関しては、私にはよく理解できません。「たんなる国家の行為」とはどういうものであり、また、「たんなる国家の行為」であれば、それを画策した責任者が罪に問われないのはなぜなのか、よくわからないのです。
パル判事は、さらに「裁判なしに行われた航空機搭乗員の処刑」についても取り上げていますが、パル判事が、あらゆる問題で政治的判断を退け、厳格に法による裁きをしようとしていることがわかります。また、信頼できる「証拠」しか採用しないという姿勢も徹底しています。マギー牧師の証言を「伝聞」として退けるのも、そうした姿勢によるものだと思います。
下記は、『共同研究 パル判決書』東京裁判研究会(講談社学術文庫)からの抜粋です。
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第六部 厳密なる意味における戦争犯罪
殺人および共同謀議の訴因(訴因第三十七ないし第五十三)
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本官は、前述の第一および第二の主張のふくむところの問題にたいする自分の意見を、侵略戦争の定義を検討するさいにすでに述べておいた。本官は、これらの訴因において言及された敵対行為は、その開始に付随して種々の手落ちがあり、またそれが諸条約その他に違反したものであるにもかかわらず、やはり、国際法の意味する「戦争」を構成したものと考える。主張されているような事実、欠陥または違反はあっても、これらの敵対行為、交戦状態に付帯する通常の法律上の権利義務を、必然的にともなっていたのである。
・・・
本官は本件において提出された各証拠を注意して読み通したが、この点について、共同計画もしくは共謀があったという結論にみずからを到達させるなにものをも見出せなかったといわなければならない。たしかに残虐行為がたがいに似かよっていたであろう。しかし本官には、これらの残虐行為が共同謀議の罪の訴追を受けている人々による共同計画もしくは共同謀議の結果であったという推論をくだす基礎となるものを、なんら見出すことができない。この段階にたいする訴因中に指名されている人々の同意が、こういう残虐行為の遂行になくてはならないものであったことを遺憾なく証明する証拠を提出することは不可能であった。本官の判断するところでは、マンスフィールド氏の言及した諸残虐行為の類似点というものは、かならずしもこの点に関する日本政府の政策を示すものではない。多くの場合、この類似点は拷問のこまかい点にあるのである。本官はこういう詳細な点が政府によって決定されるなどとは信じられない。虐待の項目中の一つにあたるものは俘虜が支給された食糧の量と医療とである。しかし検察側の証拠でさえ、この点についての日本政府よりの支給品がつねに不足であったわけではないことを立証している。とにかくこの類似点にもとづいてマンスフィールド検事が論告したことをすべて仮定に入れてみても、検察側の主張する共同謀議が存在したという結論には到達しないであろう。…
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日本占領下の諸地域の一般人に関する訴因(訴因第五十四および第五十五)
・・・
この点に関して、ニュルンベルク裁判の起訴状中には、本件の起訴状の訴因第五十五に含まれている訴追に該当するものはなんらないことが注目されよう。ニュルンベルク裁判における被告は、すべてなにか特定の残虐行為を犯したという訴追を受けているいるのである。ニュルンベルク裁判の起訴状の訴因第三は戦争犯罪に関する訴追である。罪状を述べるにあたって訴追されているところは、全被告は他の人々と協力し、戦争犯罪を犯す共同計画または共同謀議を立案し、実行した……というにある。この計画は犯された諸犯罪の遂行をふくむものであると訴追されている。後者の所業については被告らが責任を負うべきである。けだしこれは他の人々はその戦争犯罪を犯すにあたり、その戦争犯罪を犯すための共同計画または共同謀議を実行に移すために行為したゆえである。……と主張されている。この点に就いての訴追は以下のようである。すなわち、
… 略
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(二十) フィリピン群島
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それらは戦争の全期間を通じて、異なった地域において日本軍により、非戦闘員にたいして行われた残虐行為の事例である。主張された残虐行為の鬼畜のような性格は否定しえない。
本官は事件の裏づけとして提出された証拠の性質を、各件ごとに列挙した。この証拠がいかに不満足なものであろうとも、これらの鬼畜行為の多くのものは、実際行われたのであるということは否定できない。
しかしながら、これらの恐るべき残虐行為を犯したかもしれない人物は、この法廷には現れていない。そのなかで生きて逮捕されえたものの多くは、己の非行にたいして、すでにみずからの命をその代価として支払わされている。かような罪人の、各所の裁判所で裁かれ、断罪された者の長い表が、いくつか検察側によってわれわれに示されている。かような表が長文にわたっているということ自体が、すべてのかかる暴行の容疑者にたいして、どこにおいてもけっして誤った酌量がなされなかったということについて、十分な保証を与えてくれるものである。しかしながら、現在われわれが考慮しているのは、これらの残虐行為の遂行に、なんら明らかな参加を示していない人々に関する事件である。
本件の当面部分に関するかぎり、訴因第五十四において訴追されているような命令、授権、または許可が与えられたという証拠は絶無である。訴因第五十三にあげられ、訴因第五十四に訴追されているような犯行を命じ、授権し、また許可したという主張を裏づける材料は、記録にはまったく載っていない。この点において、本裁判の対象である事件は、ヨーロッパ枢軸の重大な戦争犯罪人の裁判において、証拠により立証されたと判決されたところのそれとは、まったく異なった立脚点に立っているのである。
本官がすでに指摘したように、ニュルンベルク裁判では、あのような無謀にして無残な方法で戦争を遂行することが、かれらの政策であったということを示すような重大な戦争犯罪人から発せられた多くの命令、通牒および指令が証拠として提出されたのである。われわれは第一次欧州大戦中にも、またドイツ皇帝がかような指令を発したとの罪に問われていることを知っている。
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いずれにしても、本官が考察したように、証拠に対して悪くいうことのできることがらをすべて考慮に入れても、南京における日本兵の行動は凶暴であり、かつベイツ博士が証言したように、残虐はほとんど三週間にわたって惨烈なものであり、合計六週間にわたって、続いて深刻であったことは疑いない。事態に顕著な改善が見えたのは、ようやく二月六日あるいは七日すぎてからである。
弁護側は、南京において残虐行為が行われたとの事実を否定しなかった。かれらはたんに誇張されていることを訴えているのであり、かつ退却中の中国兵が、相当数残虐を犯したことを暗示したのである。
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俘虜にたいする訴因
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…日本人にとっては、「名誉は死ぬまで戦うということに結びつけられているのである」。「日本軍人は絶望的な状態に陥った場合は最後の手榴弾で自殺するか、敵にたいし武器なしといえどもいっせいに自殺的攻撃を敢行しなければならない。決して降伏してはならないのである。たとえ負傷して意識を失っているうちに俘虜になったとしても、かれは日本ではふたたび頭があがらないのである。かれは名誉を失ったのであり、かれのかつての生涯は終わったのである。…」以上はルース・ベネディクト女史の言葉である。…
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本官はすでに降伏さい日本人の措置について述べた。それは共同謀議者団の措置ではない。それは、日本人の国民生活と終始一貫したものである。この伝統的措置は、日本の軍人の心境を形づくるに大きな影響を与え、われわれがいま関係している 多くの事件の原因となるものであった。もちろんこれはかれらの非行をすこしも正当ならしめるものではなく、またたしかにかような非行を裁く裁判において、戦勝国はそれによってかれらの行動を正当ならしめようとすることを許してはいないと信ずる。しかしわれわれはここで、これらの行動が犯罪性を有するものであるか否かを考慮しているのではない。われわれはたんにここにおける被告のいずれによっても「命令、授権、または許可」がなされたという証拠がないのに、すべての戦闘地域においてかような非行が、一般的に行われていただけのことによって、かような軍命、授権、または許可があったという推論に導きうるかということだけを考慮しているのである。
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諸作戦地において俘虜に与えられた待遇が非人道的であったということは否定できない。これらの残虐行為を実際に行った者はすでに他の場所で処分されたのであり、またかれらの事件が厳正な裁判によって適切に処断されなかったなどと想像すべき理由はまったくない。これらの実際の犯行者は本裁判の対象ではない。…
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本官はすでに、本件において、いかなる目的のために、いかなる種類の不作為が立証されなければならないかを指摘した。本官の意見によれば、俘虜にたいして行われた非人道的取り扱いが、被告の中のだれかによって、命令、授権、または許可されたと推定する権利を裁判所に与えるような被告の不作為は、なんら本件において立証されなかった。ここで問題になっている戦争は、あるいは侵略的であったかもしれない。あるいは多くの残虐行為があったかもしれない。しかし被告にたいして公平であるためには、被告が残忍な方法をもってこの戦争を行おうと企てたということは、本裁判においてまったく立証されていない一事であるといわなければならない。
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「パターン死の行進」は、実に極悪な残虐である。輸送機関もなく、また食糧も入手しえなかったために止むをえなかったという理由でこれを弁護しようと試みられたのである。(英文記録27764ページ)
それが事実であったと仮定しても、それは行軍中の俘虜に与えた取り扱いを正当化するものではない。灼熱の太陽下、120キロメートルにわたる9日間の行軍の全期中、約6万5000名の米国人およびフィリピン人俘虜は、その警備員によって蹴られ、殴打された。与えられた唯一の飲料水は水牛の水呑場の水であり、唯一の食物はフィリピン人がかれらに投げ与えたものであった。病気あるいは疲労のため行進から落伍した者は、射殺されあるいは銃剣で刺されたのであった(英文記録12579─12591ページ)。
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いずれにしても、本官は、このできごとがすこしでも正当化しうるものであるとは考えない。同時に、本官は、これにたいしてどのようにして現在の被告のうちのだれかに責任を負わすことができるか、理解することができない。これは残虐行為の孤立した一事例である。その責任は、その生命をもって、償いをさせられたのである。本官は現在の被告のうちのだれも、この事件に関係を持たせることはできない。
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作戦行動に関係のある仕事に俘虜を用いたことに関する主張は、1907年のハーグ条約第六条ならびに1929年のジュネーブ条約の第三十一条に違反して、日本政府が俘虜をかように用いたというのである。1907年のハーグ条約第六条の条文中に、俘虜を用いるところの仕事は「イッサイ作戦行動ニ関係ヲ有スベカラズ」と規定している。
1929年のジュネーブ条約の第三十一条には、「俘虜ニヨリナサルル労働ハ作戦行動ニ何ラ直接関係ナキモノタルベシ」とある。
証拠となった一連の日本政府公文書は、日本政府が、故意に、かつまた政策として、俘虜をこのような労働に就かせたことを示している。次にあげるのは、これらの文書の一部である。
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本件において、ハーグ条約、あるいはジュネーブ俘虜条約が適用されるかどうかは別問題として、これらの条約規定は、ある種の禁止労務について言及しているのである。
現在の総力戦の時代において「作戦行動に直接関係」という表現の意味がどのようなものであるにしても、俘虜が戦闘部隊にあてられた物資を輸送するために使用された若干証拠があることは否定できない。
しかしながら、本官はこの違反をたんなる国家の義務違反と考えたい。これらはたんなる国家の行為である。本官はこのような違反にたいして、被告のうちのだれにも刑事上の責任を負わそうとは思わない。俘虜将校の強制使用の問題にも同じ見解が適用される。
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泰緬鉄道に関しては、検察側の主張はつぎのとおり要約して差しつかえないであろう。
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検察側は十分な証拠をもって、俘虜の死亡が、虐待、過労、飢餓、疾病および医療不備によるものであることを示している。
「F」部隊および「H」部隊は、それぞれ1943年四月および五月に、シンガポールからタイ国に到着した。「H」部隊は3000名中、七ヶ月間に900名死亡した。鉄道建設の決定は、南方軍総司令部の要請にもとづいて大本営によってなされた(法廷記録14633ページ)。ついで1943年二月に、大本営は作戦上の理由から建設期間を四ヶ月短縮することに決定したが、後にその新期間を二ヶ月延長した。その結果として路線は、最初の計画より二ヶ月早く、1943年10月に完成した。
弁護側は、事実を一般的に否認はしていないが、死亡率の原因は、雨期が早くきたために給与の輸送が妨げられたことであると主張している。(法廷証第475号、法廷記録27412─27414ページ、27746ページ)。弁護側のいうには、南方軍総司令部官は建設の成否が衛生状態にかかっていることを認識し、衛生状況を研究改善し、防遏の目的をもってマラリヤを研究し、また用水を浄化するために、現地に衛生隊を派遣した。南方軍司令部は医務官から、俘虜の罹病の重大な危険と、また1942年以降の俘虜の死亡率増加についての報告を受けていた。
右のとおりであったと仮定しても、すなわち、日本側があらゆる注意を払ったのであり、また死亡の原因はまったく雨期が予想外に早くきたことに帰しうるものと仮定しても、この状況のもとでは日本側は戦争犯罪を犯したことになる。南方軍司令部は、俘虜を作業のために、いちじるしく不健康地であることを承知のうえで、ある地域に派遣する権利はなく、また軍事上の目的のために使用される鉄道線路の建設に俘虜を使役する権利もなかった。当時日本側は、この鉄道を、もっぱら軍事上の目的のために、すなわち、ビルマ駐屯部隊の補給と増援のために、使用する意図を持っていたことは疑いの余地がない。
しかしながら、雨期は死亡を増したかもしれないが、死亡の原因は雨期ではなかったことは明瞭である。日本側の数字によっても、三月、四月という早い時期において、一ヶ月の死亡数はすでに200名を超えていた。もし雨期が当時すでに始まっていたとしたならば、なぜそこにF部隊とH部隊とを四月末と五月に送る理由があったか。さらには、死亡は、ほとんどすべて俘虜にかぎられていた。とすれば、俘虜の死亡は、日本人の服しなかった条件に俘虜が服したという事実によるものである。俘虜たちは、虐待、過度の労働、医療の不行届と飢餓によって死んだのである。以上が検察側の主張である。本官は、本件をつぎの二部に分ける。すなわち、
一、作戦行動と直接関係のある作業に俘虜を使役したこと。
二、俘虜の人道的な取り扱い
この使役に関しては、被告東条が全面的に責任があると、本官は、躊躇なく言明する。しかしながら、俘虜の使役に関する規則の右の違反は、たんなる国家の行為である。それはそれ自体としては犯罪ではなく、本官は東条に刑事責任を負わすものではない。
この使役中の俘虜の非人道的な取り扱いが、東条をふくむ被告のうちのだれかの不作為に原因し、または被告のうちのだれかがなんらかの方法によって予見しえたということについては、本官を満足させる証拠は提出されていない。
本件に関して取り調べを受けたもっとも重要な証人はダルリンプル・ワイルド大佐であった。同人の証言のなかで重要な部分は法廷記録5434ページから始まっている。この証言を分析すると以下のことが明瞭となる。すなわち、
・・・ 略
本証人の証言からして、惹起された不幸なできごとは大部分現地係将校の職務上の行過ぎの結果であったことが明らかとなる。法廷記録5445ページにチャンギーにおける有村少将のとった行過ぎの一例が出ている。…
それからさらにワイルド大佐が法廷記録5457ページにおいて述べていることは、たんに一伍長の残忍性を示すに過ぎない。50人の俘虜が病気していた。その伍長は、それにもかかわらずかれらを夜間行軍させた。…
F部隊の日本部隊長坂野中佐が示した職務上の行過ぎの話も同様である。この事件は法廷記録5459─5460ページにおいて本証人が述べている。オーストラリアの行進隊は多数のアジア人労働者がコレラによって死亡している小屋から数ヤードの距離に収容されていた。…
本証人が法廷記録5477ページで述べている日本軍工兵の数名による不必要な残忍行為の話も同様である。これらの残忍行為の実際の犯行者は法廷に出ておらない。本官はかれらのうちで生存していて逮捕しうる者はすでにその残忍行為にたいして受くべき責は受けていると信ずる。ワイルド大佐みずから本法廷にたいして法廷記録5684─5685ページに記録されている証言のなかで、同人が「東南アジア司令部において東南アジア戦争犯罪調査に従事していらい、およそ400件が裁判に付せられた。そのうち300件以上はすでに裁判が終了し、100以上の死刑宣告と約150の投獄刑」の結果となったと申し立てた。このなかにはオーストラリア、オランダおよび米国の手によって裁判された事件はふくまれていない。したがってこれらすべての不法行為の犯行者と称せられる者の何人にたいしても、なんら誤った寛容が示されたと憂慮する余地はない。われわれがここにおいて関心をもっているのは、右とは全然別個の人間たちなのである。これらの者たちがこの不法行為または職務上の行過ぎを予知すべきであったとわれわれにいわせるようなものは、なんらわれわれには提出されておらない。
ワイルド大佐の証言は、むしろこれらの現地将校たちは、かようなあまりに行過ぎを示した自分たちの罪を自覚し、したがってこれら行過ぎの結果を東京の当局から隠そうとする手段をとったことを示すものである。…
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この鉄道を急いで完成させるということは、そこで生じた不祥事の原因ではなかった。もし俘虜と労働者たちがよい待遇を与えられていたならば、予定時間以内にその完成を見ることになんら困難はなかったであろうということは、ワイルド大佐の証言中にある。虐待がその完成遅延の原因であった。したがって、時間制限を定めた責任者であったかもしれない人々は、なんら誤算をしたのではない。そしてたしかにかれらの計算は俘虜にたいして発生したことについて責任あるものではなかった。
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裁判なしに行われた航空機搭乗員の処刑と主張されている事件は、その基礎となっている証拠とともに左記に註記してある。本官はまず最初に、本件のこの部分を支持する検察側の証拠は、概して無価値であると述べたい。われわれにはJAG報告書というものの抜粋が提出され、同報告書は、米軍「法務部長」によって作成されたものであると聞いている。法務部長というものは、高級な地位にある責任ある人物であることには疑いはないであろう。しかし同報告書の基礎をなしたであろうところの資料が本法廷に提出されていないかぎり、本官はかれの権威だけによってそれを受諾する用意はない。もしかれの結論がほんとうに関連性ある資料にもとづくものであるなあらば、われわれはその資料を入手して、そしてわれわれ自身も同一結論に到達しうるかどうかをただす権利を有するものである。…
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