真実を知りたい-NO2                  林 俊嶺

HPは hide20.web.fc2.com
ツイッターは HAYASHISYUNREI

今こそ日本人が見直すべき教育勅語?

2020年11月20日 | 国際・政治

 「今こそ日本人が見直すべき 教育勅語 戦後日本人はなぜ〝道義”を忘れたのか」(ごま書房)の表紙カバーの内側に、著者である濤川栄太氏の、”今、なぜ「教育勅語」の見直しが必要なのか”という、下記の短文があります。

今の日本の教育は、目を覆いたくなるほどの惨状に見舞われている。その結果「思いやり」「友情」「慈しみ」といった日本人が本来もっていたはずのたいせつなものが失われつつある。かつての教育には、今の教育にはない「教育勅語」というバックボーンがあった。それこそ、今の日本人に求められている「孝養」「忠義」「勤勉」などといった、精神文化の中心的存在だったのだ。
 私は声を大にしていいたい。いつまでも「教育勅語」をタブー視しつづけることは、この国を崩壊させることになる。今こそ「教育勅語」をまず、鉄扉の中からとりだすことから始めなければなるまい。─── 著者

 こうした考え方をする人は少なくないように思いますが、私には、とても受け入れることができません。
 確かに、日本の教育には様々な問題があると思います。戦後日本の教育に、”目を覆いたくなるほどの惨状”という側面があることもわからなくはありません。でも、「教育勅語」の”縛り”から解き放たれた日本人は、そこから自らの力で、”惨状”を乗り越えていく必要があるのであって、再び「教育勅語」の”縛り”に頼ることは許されないと思いますし、不可能だと思います。

 「教育勅語」がなぜ、”鉄扉の中”に入れられることになったのかは、”「教育勅語」関連資料”で取り上げた衆議院の「教育勅語等排除に関する決議」と参議院の「教育勅語等の失効確認に関する決議」で明らかにされています。

 日本は敗戦後、”日本国憲法の人類普遍の原理に則り、教育基本法を制定して、わが国家及びわが民族を中心とする教育の誤りを徹底的に払拭して”スタートしたのです。日本でしか通用しない神話的国体観に基づく「教育勅語」を復活させようとすることは、「皇国日本」を復活させることであり、基本的人権の一つである、国民の教育を受ける権利を”皇祖皇宗ノ遺訓”のなかに消し去ることを意味します。それは、人類が到達した普遍の原理に反するのです。

 また、「教育勅語」が大きな力を持ったのは、天皇を中心とした家族国家観(神話的国体観)によって、忠君愛国主義儒教的道徳が、(現人神・天皇)と臣民(国民)の関係の中で語られたこと、また、「教育勅語」が「御真影」とともに、神的なものとして「奉体」・「奉安」のシステムに組み込まれ、逆らうことの出来ない強い強制力を持ったからだと思います。

 それは、例えば、児童文学作家でノンフィクション作家、山中 恒氏の「教育勅語が残してくれたもの」と題した文章の中にみることができます。
けれども教育というよりも、練成と言う名の暴力をともなうマインド・コントロールによる過激な天皇絶対の国体護持思想の注入であったと思う。それが、どれほどものすごかったかは、あれから五十年を過ぎようとしているのに、私自身いまだに教育勅語の全文を暗記しているし、旧漢字歴史的仮名遣いでその全文を書くこともできるということでも証明できるような気がする。
                                                        「続・現代史資料月報」(1995.12

 山中 恒氏と同じようなことを書いている人は少なくありません。
 行事のたびに、ものものしい雰囲気の中で「教育勅語」の奉読を聞く子どもたちは、その意味を理解する以前に、畏敬すべきものとして受け止めさせられ、指示されるままに暗記したのだろうと思います。そして、その教えは、皇国日本のための忠君愛国主義や儒教的道徳であり、外国人を考慮の対象にしてはいなので、軍国少年軍国少女が育っていったのではないかと思います。 
 戦後、現人神・天皇が「人間宣言」(「新日本建設に関する詔書」昭和二十一年一月一日)をして、単なる象徴となったことにより、「教育勅語」に掲げられている徳目が、戦前のような絶対的価値をもつことはありえず、「教育勅語」をどのように見直しても、かつてのような意味や力を持たせることはできないと思います。

 また、著者はその「はじめに」で、ドイツと比較しつつ、戦後の日本を卑下して、下記のように書いています。 
歴史の授業なども、あまりに異様。暗記、暗記のオンパレード。子どもの心が戦(オノノ)く歴史話もなく、日本の先人たちに夢を馳せる提起もない。そこにあるのは、「この国はダメな国で、歴史的に悪いことばかりやってきました。外国へ行って性犯罪を犯した民族です」。子どもたちは、何を心の支えにし、生きる指標を求め、自らを豊かに高からしめる意欲と希望心を、いかなるな要素をもって掘りおこし、培えばいいのだろうか。
 子どもの姿をみれば、「一国の本質」が、よく焙り出される。この国の子どもたちの地獄絵図とは、じつに、この国のほんとうの姿なのだと認識していいのだろう。中国の胡錦涛氏が来日したとき、総理の橋本龍太郎氏も、野党頭首の菅直人氏にしても、いかなるよわみをもつのか私にはわかりかねるが、とにかく阿諛諂侫(アユテンネイ)のみにて、媚びてばかりいる。
 いつの日から、この国は正々堂々と胸を張って生きることを放棄する国になってしまったのか。あのナチスという歴史上最悪の蛮行を行った歴史を持つドイツが、胸を張って生きている。「あれは、ナチスというならず者が、十数年間ドイツを占拠したのであり、ドイツ史の連続性の上にはない!」。ドイツ大使の指導者たちはこう明言する。自国の悪を完全に認めきってしまった国家というものが、ことごとく歴史から抹殺されていく恐怖の教訓を、骨身にしみて知り尽くすドイツが、打っている「勧進帳」にちがいない。
 それにしても、この国の住人たちは、あまりにも歴史を知らなさすぎている。あまりにも歴史に学ぶことがすくなく、歴史の教訓と方程式を軽視しすぎている。歴史からも世界からも学べぬ国家というものが、いかに深刻な病理構造に陥り、腐敗し、弱体化するかということを、歴史は多くの事例と現象をもって示し、この国に「自己改革」を迫りつづけている。
 五十数年前に、たしかにこの国は戦争で負けた。だが、一度だけ戦争に負けただけで、かくも卑屈になり、奴隷のごとくただ近隣諸国に謝罪しつづけ、自虐しつづけているさまは、けっして健全なそれではなく、未来を豊かにするものではない。
 「東京裁判」という、国際法にも反する野蛮な裁判を強行し、アメリカは自国の圧倒的な帝国主義的悪と蛮行を隠蔽し、すべての責めを日本に被せようとした企図を、歴史は淡々と、自然体であぶり出そうとしている。
 しかし帝国主義的悪を究極的に実行したアメリカやソ連を、いくらなじって見ても致仕方ない。その米・ソの暴力的強権に屈したこの国が情けないのだ。ドイツを見よ!
「ドイツはたしかにアメリカに戦争で負けた。しかし、教育や文化で、建国二百年のアメリカになどけっして負けてはいない!」と、戦争直後のドイツの指導者たちは一歩も引かず、アメリカの「教育の押しつけ」を、毅然とはね返した。
 では、わが国の教育は、昔からそんなに腐敗していたのか。私は、断じて「否!」と答えたい。もちろん、戦前の教育が完全無欠のものと言うつもりはない。しかし、明治から苦労して近代国家を築いてきたかつての日本の教育には、今の教育にはないバックボーンがあった。その象徴的な存在が、この本で取り上げようとしている「教育勅語」(正式には「教育に関する勅語」)である。

 日本とともに戦争に負けたドイツが ”胸を張って生きている”というのは、ドイツ国民が第二次世界大戦における戦争責任を認め、謝罪し、反省を共有して、新たな歩みを始めたからできることだと思います。
 でも日本は、かつてアジア太平洋戦争を主導した人やその流れを汲む人たちが、戦争の過ちを受け入れず、正当化しつつ活躍しています。そうした人たちは、戦後も新たな歩みを始めることができなかったのではないかと思います。だから、「教育勅語」によって統制された日本が、未だにすばらしい国であったと思えるのではないでしょうか。”今の日本の教育は、目を覆いたくなるほどの惨状に見舞われている。”という受け止め方をするのも、戦前・戦中の意識を引きずっているからではないかと思います。

 「教育勅語」に関する衆議院の「教育勅語等排除に関する決議」や参議院の「教育勅語等の失効確認に関する決議」を踏まえ、戦争責任を認め自らの過ちを受け入れて、日本国憲法の精神で世界に向き合えば、少しも卑屈になることなく、子どもたちも日本に誇りをもって、活躍することができると思います。そして、過去の日本ではなく、現在の日本に誇りを持てるようにすることこそ、大事なのではないかと思います。
 ”一度だけ戦争に負けただけで、かくも卑屈になり、奴隷のごとくただ近隣諸国に謝罪しつづけ、自虐しつづけているさまは、けっして健全なそれではなく、未来を豊かにするものではない。
 というのは、戦争責任を認めず、きちんと謝罪しない結果の現象であると思います。ドイツのような新たな歩みが始まっていないということです。

 また、著者は、下記のように書いてもいますが、私は、思い込みが強すぎると思います。

「教育勅語」は、明治23年に発布されて以来、きわめて優秀で「徳」をたいせつにする日本人をあまりに多く輩出した。日本をまったく柔弱にしたいアメリカは、戦後、この「教育勅語」を最大敵視した。いかなる手段を使っても「教育勅語を葬れ!」は、アメリカの占領政策の絶対命題だった。
 その「教育勅語」の真の中身も精査せず、百年の時代を経て、時代不適応な部分を取り除いて発想することも放棄し、ただ超自虐的に、「無思想・無理念・無道徳」の根無し草教育をしつづけた戦後文明のツケが、今、洪水となってこの国を襲ってもいる。
 いつまでも「教育勅語」をタブー視しつづけることは、この国をさらに崩壊させることにならないか。とにかく、「教育勅語」をまず、鉄扉の中から取り出さねばなるまい。
 とりあえず、次ページに掲げた「教育勅語」の全文を、虚心坦懐に読んでみてほしい。現代人には馴染みのない文語調と難しい用語、そして何よりも神格化された天皇の存在など、割り引かねばならない歴史的要素はある。それらを捨象し、エッセンスのみを汲み取ってもらえるよう、私なりの現代訳を付けてみた。
 内容については本文の後半で詳しく触れるが、まずこの全文のイメージを頭に入れていただいたう えで、なぜ今、「教育勅語」なのか、一章からの問題提起を読んでいただければ幸いである。
  平成10年5月 端午の節句の日に                     濤川栄太

 どういう根拠をもって、
日本をまったく柔弱にしたいアメリカは、戦後、この「教育勅語」を最大敵視した。いかなる手段を使っても「教育勅語を葬れ!」は、アメリカの占領政策の絶対命題だった
 などと断定するのでしょうか。途中で政策転換があったとはいえ、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の対日政策の課題は、日本の民主化であり、「教育勅語」がそれに反する内容であった
ということは明らかではないかと思います。
 また、戦後の日本の教育は、決して”「無思想・無理念・無道徳の根無し草教育”などではありません。世界に誇ることの出来る日本国憲法に基づいて進められているのです。

 さらに、「教育勅語」に関わる下記のような事実も見逃すことができません。
 「教育勅語」が発布される前、すでに明治天皇の公教育への意向を表した「教学聖旨」(資料1)が発せられていますが、それは、明治政府の欧化政策によって、学問や教育の自由の思想が広まり、科学的認識能力の育成も進んで、自由民権運動結びついていくことに、明治政府が脅威を感じ、開化主義を修正して、仁義忠孝の道徳を明らかにしようとする教育政策の転換を意図したものであったと言われています。
 現に「教学聖旨」には、”維新ノ始首トシテ陋習ヲ破リ、知識ヲ世界ニ広ムルノ卓見ヲ以テ、一時西洋ノ所長ヲ取リ、日新ノ効ヲ奏スト雖トモ、其流弊仁義忠孝ヲ後ニシ、徒ニ洋風是競フニ於テハ、将来ノ恐ルヽ所、終ニ君臣父子ノ大義ヲ知ラサルニ至ランモ測ル可カラス、是我邦教学ノ本意ニ非サル也”というような記述があることからも、そうしたことがわかります。したがって、「教育勅語」は、「教学聖旨」をさらに発展させるかたちで、自由民権運動を押さえ込むために発布されたといっても過言ではないと思います。私は、そうしたことも看過できません。
 だから、「教育勅語」の復活など、ごめんです。
資料1------------------------------------------
聖旨
                   教学大旨

教学ノ要、仁義忠孝ヲ明カニシテ、智識才芸ヲ究メ、以テ人道ヲ尽スハ、我祖訓国典ノ大旨、上下一般ノ教トスル所ナリ、然ルニ輓近専ラ智識才芸ノミヲ尚トヒ、文明開化ノ末ニ馳セ、品行ヲ破リ、風俗ヲ傷フ者少ナカラス、然ル所以ノ者ハ、維新ノ始首トシテ陋習ヲ破リ、知識ヲ世界ニ広ムルノ卓見ヲ以テ、一時西洋ノ所長ヲ取リ、日新ノ効ヲ奏スト雖トモ、其流弊仁義忠孝ヲ後ニシ、徒ニ洋風是競フニ於テハ、将来ノ恐ルヽ所、終ニ君臣父子ノ大義ヲ知ラサルニ至ランモ測ル可カラス、是我邦教学ノ本意ニ非サル也、故ニ自今以往、祖宗ノ訓典ニ基ツキ、専ラ仁義忠孝ヲ明カニシ、道徳ノ学ハ孔子ヲ主トシテ、人々誠実品行ヲ尚トヒ、然ル上各科ノ学ハ、其才器ニ隨テ益々長進シ、道徳才芸、本末全備シテ、大中至正ノ教学天下ニ布満セシメハ、我邦独立ノ精紳ニ於テ、宇内ニ恥ルヿ無カル可シ、

小学条目二件

一 仁義忠孝ノ心ハ人皆之有リ、然トモ其幼少ノ始ニ、其脳髄ニ感覚セシメテ培養スルニ非レハ、他ノ物事已ニ耳ニ入リ、先入主トナル時ハ、後奈何トモ為ス可カラス、故ニ当世小学校ニテ絵図ノ設ケアルニ準シ、古今ノ忠臣義士孝子節婦ノ画像写真ヲ掲ケ、幼年生入校ノ始ニ先ツ此画像ヲ示シ、其行事ノ概略ヲ説諭シ、忠孝ノ大義ヲ第一ニ脳髄ニ感覚セシメンヿヲ要ス、然ル後ニ諸物ノ名状ヲ知ラシムレハ、後来忠孝ノ性ヲ養成シ、博物ノ学ニ於テ本末ヲ誤ルヿ無カルヘシ、

一 去秋各県ノ学校ヲ巡覧シ、親シク生徒ノ芸業ヲ験スルニ、或ハ農商ノ子弟ニシテ其説ク所多クハ高尚ノ空論ノミ、甚キニ至テハ善ク洋語ヲ言フト雖トモ、之ヲ邦語ニ訳スルヿ能ハス、此輩他日業卒リ家ニ帰ルトモ、再タヒ本業ニ就キ難ク、又高尚ノ空論ニテハ、官ト為ルモ無用ナル可シ、加之其博聞ニ誇リ長上ヲ侮リ、県官ノ妨害トナルモノ少ナカラサルヘシ、是皆教学ノ其道ヲ得サルノ弊害ナリ、故ニ農商ニハ農商ノ学科ヲ設ケ、高尚ニ馳セス、実地ニ基ツキ、他日学成ル時ハ、其本業ニ帰リテ、益々其業ヲ盛大ニスルノ教則アランヿヲ欲ス、
                                                                                  1879年(明治12年)内示    https://ja.wikisource.org/wiki/


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「教育勅語」を補強・補完し... | トップ | 教育勅語には普遍性がある? »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

国際・政治」カテゴリの最新記事