「ハーグ密使事件」とは、韓国の高宗皇帝がオランダの首都ハーグでひらかれる第2回万国平和会議の場で、韓国における日本の統監統治を告発し、国際世論に訴えて国権の回復を図ろうと親書と信任状を託して密使を派遣した事件である。日本政府は、日本の保護権を拒否するとはけしからんと、この事件をきっかけにして韓国併合へさらに大きな一歩を進める。「日韓併合小史」山辺健太郎(岩波新書)からの抜粋である。
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8 保護条約反対の運動
ハーグ密使事件と皇帝の譲位
1907年(明治40年)6月オランダの首府ハーグでロシアのニコラス2世の招集する第2回万国平和会議がひらかれたのであるが、この会議に、朝鮮の使節として元議政府参賛李相?(リソウカ)、前平理院検事李儁(リシュン)前駐露公使館参事官李琦鐘(リキショウ)の3名があらわれ、議長であるロシアの委員ネフリュードフに韓国皇帝の信任状を示し、平和会議に出席を要求した。これがハーグ密使事件である。
この事件は、宮廷の御雇教師であったハルバートと李太王の甥趙南昇が画策して、李相?、李懏の両名が李太王の信任状をもらって、まずロシアの首府セントペテルスブルグにいたり、ここに滞在していた前駐露公使の李範晋に託して、ロシアの皇帝ニコラス2世につぎのような要旨の親書を伝達してもらった。
朕今日ノ境遇愈々艱難ニシテ四顧之ヲ訴フル所ナシ。唯々陛下ニ向ツテ之ヲ煩陳センノミ。弊邦振興ノ期全ク陛下ノ顧念ニ係ル。今ヤ幸ニ万国平和会議ノ開カルルアリ。該会議ニ於テ弊邦所遇ノ実ニ理由ナキヲ声明スルヲ得ム。韓国ハ曾テ露日開戦ノ前ニ於テ中立ヲ各国ニ宣言シタリ。是レ世界ノ共ニ知ル所也。現時ノ状勢ハ深ク憤慨ニ堪ヘス。陛下弊邦ノ故ナクシテ禍ヲ被ルノ情ヲ特念セラレ、務メテ朕カ使節ヲシテ弊邦ノ形勢ヲ将ツテ該会議開催ニ際シ説明スルヲ得セシメ、以テ万国公然ノ物議ヲ致サバ、則チ之ニ因リテ弊邦原権庶クハ収回スルヲ得ム。果シテ然ラハ朕及ヒ我カ韓全国ハ感激シテ陛下ノ恵沢ヲ忘レサルヘシ。前駐韓貴国公使回去ニ際シ、願望ノ深衷ヲ付陳シ、該公使ニ託スル所アリ、唯垂諒アランコトヲ望ム。
それから李範晋の息子で前駐露公使館参事官の李琦鐘を一行に加え、直ちにオランダのハーグへ向かった。ハーグについた一行は平和会議の委員に面会を求めた。
しかしポーツマス条約で日本の朝鮮支配をみとめていたロシア、アメリカ、イギリスは、この韓国皇帝の派遣した代表との面会を断った。オランダ駐在の都築公使から外務省にきた報告によると、小国の代表は概して朝鮮のいうことには同情していたが、大国はこれを取り上げなかった、といっている。
このハーグ密使事件のことは、都築公使から外務省にすぐに電報がきた。政府はただちに閣議をひらき、つぎのような方針をきめて、朝鮮にいた統監伊藤博文に通知した。この方針のなかにもう併合の計画がでてきていることは注目していい。
韓国皇帝ノ密使派遣ニ関連シ廟議決定ノ対韓処理方針通報ノ件
明治40年7月12日 第141号(極秘)
西園寺総理大臣ヨリ
外務大臣宛57号貴電ノ件ニ関シテハ元老諸公及閣僚トモ慎重熟議ノ末左ノ方針ヲ決定シ本日御裁可ヲ受ケタリ即チ帝国政府ハ現下ノ機会ヲ逸セス韓国内政ニ関スル全権ヲ掌握セムコトヲ希望ス其ノ実行ニ付テハ実施ノ情況ヲ参酌スルノ必要アルニ依リ之ヲ統監ニ一任スルコト
若シ前記ノ希望ヲ安全ニ達スルコト能ハサル事情アルニ於テハ少クトモ内閣大臣以下重要官憲ノ任命ハ統監ノ同意ヲ以テ之ヲ行ヒ且統監ノ推薦ニ係ル本邦人ヲ内閣大臣以下重要官憲ニ任命スヘキコト前記ノ主旨ニ基キ我地位ヲ確立スルノ方法ハ韓国皇帝ノ勅諚ニ依ラス両国政府間ノ協約ヲ以テスルコト
本件ハ極メテ重要ナル問題ナルカ故ニ外務大臣韓国ニ赴キ親シク統監ニ説明スルコト
以上
本件ニ付キテハ陛下ヨリ閣下ニ対シ特ニ優渥ナル御言葉アリ委細外務大臣ヨリ御伝達致スヘク同大臣ハ来ル15日出発貴地ヘ直行ノ筈
処理要綱案
第1案 韓国皇帝ヲシテ其大権ニ属スル内容政務ノ実行ヲ統監ニ委任セシムル
コト
第2案 韓国政府ヲシテ内政ニ関スル重要事項ハ総テ統監ノ同意ヲ得テ之ヲ施
行シ且施政改善ニ付キ統監ノ指導ヲ受クヘキコトヲ約セシムルコト
第3案 軍部大臣度支部大臣ハ日本人ヲ以テ之ニ任スルコト
第2要綱案
韓皇帝ヲシテ皇太子ニ譲位セシムルコト
将来ノ禍根ヲ杜絶セシムルニハ斯ノ手段ニ出ルモ止ムヲ得サルヘシ
但シ本件ノ実行ハ韓国政府ヲシテ実行セシムルヲ得策ト為スヘシ国王扜政府ハ統監ノ副署ナクシテ政務ヲ実行シ得ス(統監ハ副王若クハ摂政ノ権ヲ有スルコト)
各省ノ中主要ノ部ハ日本政府ノ派遣シタル官僚ヲシテ大臣若クハ次官ノ職務ヲ実行セシムルコト
賛否情況
山県 寺内 多数
1 韓皇日本皇帝ニ譲位 今日ハ否 今日ハ否 否
2 韓国皇太子ニ譲位 今日ハ否 今日実行 否
3 関白設置(統監) 可 可 可
4 各省ニ大臣又ハ次官ヲ入レル 可 可 可
5 顧問ヲ廃ス 可 可 可
6 統監府ハ幕僚ニ限リ他ハ韓政府ニ合併 可 可 可
7 実行ハ統監ニ一任ス 可 可 可
8 外務省ヨリ高官派出統監ト打合(外相) 可 可 可
9 勅諚説 否 否 否
10 協約説 可 可 可
11 協約ニ国王同意セサルトキハ合併ノ決心 可 可 可
(即チ(1)ヲ実行ス)
これはかなりの強硬方針であったが、伊藤博文もこれとはべつに独自の強硬方針をとっていた。彼は密使事件の報告をうけると、7月3日に練習艦隊乗組将校とともに参内した際、ハーグ事件に関する電報の写しを皇帝に見せ、将校の謁見が終わって退出する際皇帝に対して、「かくの如き陰険なる手段を以て日本の保護権を拒否せんとするは、寧ろ日本に対して堂々宣戦を布告せらるるの捷径なるに若かず」といい、「其ノ責任全ク陛下一人ニ帰スルモノナルコトヲ宣言シ、併セテ其ノ行為ハ日本ニ対シ公然設意ヲ発表シ、協約違反タルコトヲ免レス。故ニ日本ハ韓国ニ対シ宣戦ノ権利アルモノナルコトヲ総理大臣ヲ以テ告ケシメ」た(同書、伊藤博文の西園寺首相宛電報)。
・・・(以下略)
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8 保護条約反対の運動
ハーグ密使事件と皇帝の譲位
1907年(明治40年)6月オランダの首府ハーグでロシアのニコラス2世の招集する第2回万国平和会議がひらかれたのであるが、この会議に、朝鮮の使節として元議政府参賛李相?(リソウカ)、前平理院検事李儁(リシュン)前駐露公使館参事官李琦鐘(リキショウ)の3名があらわれ、議長であるロシアの委員ネフリュードフに韓国皇帝の信任状を示し、平和会議に出席を要求した。これがハーグ密使事件である。
この事件は、宮廷の御雇教師であったハルバートと李太王の甥趙南昇が画策して、李相?、李懏の両名が李太王の信任状をもらって、まずロシアの首府セントペテルスブルグにいたり、ここに滞在していた前駐露公使の李範晋に託して、ロシアの皇帝ニコラス2世につぎのような要旨の親書を伝達してもらった。
朕今日ノ境遇愈々艱難ニシテ四顧之ヲ訴フル所ナシ。唯々陛下ニ向ツテ之ヲ煩陳センノミ。弊邦振興ノ期全ク陛下ノ顧念ニ係ル。今ヤ幸ニ万国平和会議ノ開カルルアリ。該会議ニ於テ弊邦所遇ノ実ニ理由ナキヲ声明スルヲ得ム。韓国ハ曾テ露日開戦ノ前ニ於テ中立ヲ各国ニ宣言シタリ。是レ世界ノ共ニ知ル所也。現時ノ状勢ハ深ク憤慨ニ堪ヘス。陛下弊邦ノ故ナクシテ禍ヲ被ルノ情ヲ特念セラレ、務メテ朕カ使節ヲシテ弊邦ノ形勢ヲ将ツテ該会議開催ニ際シ説明スルヲ得セシメ、以テ万国公然ノ物議ヲ致サバ、則チ之ニ因リテ弊邦原権庶クハ収回スルヲ得ム。果シテ然ラハ朕及ヒ我カ韓全国ハ感激シテ陛下ノ恵沢ヲ忘レサルヘシ。前駐韓貴国公使回去ニ際シ、願望ノ深衷ヲ付陳シ、該公使ニ託スル所アリ、唯垂諒アランコトヲ望ム。
それから李範晋の息子で前駐露公使館参事官の李琦鐘を一行に加え、直ちにオランダのハーグへ向かった。ハーグについた一行は平和会議の委員に面会を求めた。
しかしポーツマス条約で日本の朝鮮支配をみとめていたロシア、アメリカ、イギリスは、この韓国皇帝の派遣した代表との面会を断った。オランダ駐在の都築公使から外務省にきた報告によると、小国の代表は概して朝鮮のいうことには同情していたが、大国はこれを取り上げなかった、といっている。
このハーグ密使事件のことは、都築公使から外務省にすぐに電報がきた。政府はただちに閣議をひらき、つぎのような方針をきめて、朝鮮にいた統監伊藤博文に通知した。この方針のなかにもう併合の計画がでてきていることは注目していい。
韓国皇帝ノ密使派遣ニ関連シ廟議決定ノ対韓処理方針通報ノ件
明治40年7月12日 第141号(極秘)
西園寺総理大臣ヨリ
外務大臣宛57号貴電ノ件ニ関シテハ元老諸公及閣僚トモ慎重熟議ノ末左ノ方針ヲ決定シ本日御裁可ヲ受ケタリ即チ帝国政府ハ現下ノ機会ヲ逸セス韓国内政ニ関スル全権ヲ掌握セムコトヲ希望ス其ノ実行ニ付テハ実施ノ情況ヲ参酌スルノ必要アルニ依リ之ヲ統監ニ一任スルコト
若シ前記ノ希望ヲ安全ニ達スルコト能ハサル事情アルニ於テハ少クトモ内閣大臣以下重要官憲ノ任命ハ統監ノ同意ヲ以テ之ヲ行ヒ且統監ノ推薦ニ係ル本邦人ヲ内閣大臣以下重要官憲ニ任命スヘキコト前記ノ主旨ニ基キ我地位ヲ確立スルノ方法ハ韓国皇帝ノ勅諚ニ依ラス両国政府間ノ協約ヲ以テスルコト
本件ハ極メテ重要ナル問題ナルカ故ニ外務大臣韓国ニ赴キ親シク統監ニ説明スルコト
以上
本件ニ付キテハ陛下ヨリ閣下ニ対シ特ニ優渥ナル御言葉アリ委細外務大臣ヨリ御伝達致スヘク同大臣ハ来ル15日出発貴地ヘ直行ノ筈
処理要綱案
第1案 韓国皇帝ヲシテ其大権ニ属スル内容政務ノ実行ヲ統監ニ委任セシムル
コト
第2案 韓国政府ヲシテ内政ニ関スル重要事項ハ総テ統監ノ同意ヲ得テ之ヲ施
行シ且施政改善ニ付キ統監ノ指導ヲ受クヘキコトヲ約セシムルコト
第3案 軍部大臣度支部大臣ハ日本人ヲ以テ之ニ任スルコト
第2要綱案
韓皇帝ヲシテ皇太子ニ譲位セシムルコト
将来ノ禍根ヲ杜絶セシムルニハ斯ノ手段ニ出ルモ止ムヲ得サルヘシ
但シ本件ノ実行ハ韓国政府ヲシテ実行セシムルヲ得策ト為スヘシ国王扜政府ハ統監ノ副署ナクシテ政務ヲ実行シ得ス(統監ハ副王若クハ摂政ノ権ヲ有スルコト)
各省ノ中主要ノ部ハ日本政府ノ派遣シタル官僚ヲシテ大臣若クハ次官ノ職務ヲ実行セシムルコト
賛否情況
山県 寺内 多数
1 韓皇日本皇帝ニ譲位 今日ハ否 今日ハ否 否
2 韓国皇太子ニ譲位 今日ハ否 今日実行 否
3 関白設置(統監) 可 可 可
4 各省ニ大臣又ハ次官ヲ入レル 可 可 可
5 顧問ヲ廃ス 可 可 可
6 統監府ハ幕僚ニ限リ他ハ韓政府ニ合併 可 可 可
7 実行ハ統監ニ一任ス 可 可 可
8 外務省ヨリ高官派出統監ト打合(外相) 可 可 可
9 勅諚説 否 否 否
10 協約説 可 可 可
11 協約ニ国王同意セサルトキハ合併ノ決心 可 可 可
(即チ(1)ヲ実行ス)
これはかなりの強硬方針であったが、伊藤博文もこれとはべつに独自の強硬方針をとっていた。彼は密使事件の報告をうけると、7月3日に練習艦隊乗組将校とともに参内した際、ハーグ事件に関する電報の写しを皇帝に見せ、将校の謁見が終わって退出する際皇帝に対して、「かくの如き陰険なる手段を以て日本の保護権を拒否せんとするは、寧ろ日本に対して堂々宣戦を布告せらるるの捷径なるに若かず」といい、「其ノ責任全ク陛下一人ニ帰スルモノナルコトヲ宣言シ、併セテ其ノ行為ハ日本ニ対シ公然設意ヲ発表シ、協約違反タルコトヲ免レス。故ニ日本ハ韓国ニ対シ宣戦ノ権利アルモノナルコトヲ総理大臣ヲ以テ告ケシメ」た(同書、伊藤博文の西園寺首相宛電報)。
・・・(以下略)
http://www15.ocn.ne.jp/~hide20/ に投稿記事一覧表および一覧表とリンクさせた記事全文があります。一部漢数字をアラビア数字に換えたり、読点を省略または追加したりしています。また、ところどころに空行を挿入しています。旧字体は新字体に変えています。青字が書名や抜粋部分です。赤字は特に記憶したい部分です。「・・・」は段落全体の省略を「……」は、文の一部省略を示します。
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