真実を知りたい-NO2                  林 俊嶺

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ウウライナ戦争、アメリカによる「メディア・コントロール」を考える

2022年05月21日 | 国際・政治

    知らないのか、知らないふりか、それとも意図的に隠蔽しようということか。
  
 朝日新聞、「日曜に想う」欄に、ヨーロッパ総局長・国末慶人氏の文章があり、はじめて、今までにない情報に接しました。首都キーウ(キエフ)の北約80キロの田舎町、イワンキウからのものでした。侵攻翌日にミサイル攻撃を受け、住宅街に大穴が開いており、半壊した住宅で主婦タチアナ・オサチャさんが語ったといいます。”占領中のロシアの兵は怖かったけど、何もしなかった。子どもたちにクッキーをくれた”と。また、もう一つの半壊住宅のイワン・ダリニチェンコさんも、”戦闘はあったが、暴力はなかったね”と。
 やはり、ロシア兵もさまざまなのだと思います。でも、今まで見聞きしたメディアの報道は、「ロシア兵は残虐」というようなものばかりでした。そういう情報ばかりが伝えられてきたと思います。戦争の当事者であるアメリカやウクライナからもたらされる情報を鵜呑みにし、ロシアからもたらされる情報を受けつけないような姿勢が、西側諸国で広がっているように思います。
 でも私は、ノーム・チョムスキーが、下記の文章で書いている、”国民に提示される世界像は、現実とは似ても似つかぬものなのだ。その問題の真実は、嘘に嘘を重ねた堂々たるつくり話の下に葬られている。民主主義の脅威を防ぐという点からすれば大成功だ。”の可能性を、日々感じます。

 先日、”負傷兵退避「戦闘任務を終了」”などと題する記事が大きく出ていました。記事は”ロシア軍の激しい攻撃が続いていたウクライナ南東部マリウポリ市の製鉄所「アゾフスターリ」から、負傷兵らの退避が始まった。ウクライナ軍は17日、マリウポリでの「戦闘任務を終了した」と発表。…”などとあったのですが、何かおかしな表現だと思いました。
 「退避」といえば、自らの意志でその場を去ることのように思うのですが、負傷兵はロシア軍の用意した車で、ロシア軍の施設に収容されたということです。
 また、「戦闘任務を終了した」という表現も変だと思います。「徹底抗戦」を宣言して戦っていたのに、なぜ、「戦闘任務が終了」するのでしょうか。ロシア軍によって武装解除され、ロシア側が用意したバスに乗ってロシア側の領域に連れていかれたのは、局地的であるとはいえ、ウクライナ軍の敗北を意味するのではないでしょうか。
 だから、私は、「撤退」を「転進」、「全滅」を「玉砕」などと表現した日本軍を思い出しました。日本軍の最高司令部「大本営」も、太平洋戦争中に、嘘と誇張で塗り固めた公式発表を繰り返し、「大本営発表」は「嘘の代名詞」と呼ばれることになったのです。そのくり返しのような気がします。

 だから、ウクライナ戦争にかかわる現在のメディアの報道は、客観情勢を正しく伝えておらず、国際世論を誤まった道に導いているように思います。ロシア側の主張はいつも断片的であり、非難の材料としてつかわれているように思うのです。人と人が殺し合っているのに、ロシアを悪と決めつけるような報道ばかりで、停戦に向う道筋を探るような報道は、ほとんどありません。
 ロシア軍がウクライナ侵攻にする前の、プーチン大統領の演説やロシアの戦勝記念日におけるプーチン大統領の演説には、停戦に向う道筋を探るための主張があるように思うのですが、無視されているように思います。平和憲法をもつ日本でさえ、そういう状態であるのは、やはりこの戦争で、ロシアの影響力拡大を阻止し、ロシアを弱体化させたいアメリカの方針によるのではないでしょうか。

 そういう意味で、 ノーム・チョムスキーの「メディア・コントロール」と題した下記の文章は、きわめて重要だと思います。皮肉を込めて、アメリカの本音を語るようなかたちで書いていますが、特に「ヴェトナム・シンドローム」に関する記述には、衝撃を受けました。

 場合によっては、歴史を完全に捏造することも必要になる。
 それが(武力行使に対する)病的な拒否反応を克服する一つの方法でもある。誰かを攻撃し、殺戮するとき、これは本当のところ自己防衛なのだ。相手は強力な侵略者であり、人間ならぬ怪物なのだと思わせるのだ。・・・”

 ウクライナ戦争にも、ヴェトナム戦争同様、確かにそういう側面があると思います。

 下記は、「メディア・コントロール 正義なき民主主義と国際社会」ノーム・チョムスキー:鈴木主税訳(集英社新書)の「メディア・コントロール」から、その一部を抜萃しました。
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               メディア・コントロール

 世論工作

 国民を鼓舞して海外への進出を支持させることも必要だ。
 普通、国民は平和主義にかたむくものだ。第一次世界大戦のときもそうだった。一般の人びとは、わざわざ外国に進出して殺人や拷問をすることにしかるべき理由など見出せない。
 だから「こちらが」あおってやらなければならない。そして、国民をあおるには、国民を怯えさせることが必要だ。かのバーネイズには、この点でも重要な功績があった。1954年、バーネイズがユナイテッド・フルーツ・カンパニーのために広報作戦を展開すると、それに乗じてアメリカはグアテマラに進出し、資本主義を奉じる民主的な政府を顛覆させ、凶悪な暗殺者集団が牛耳る社会を出現させた。
 その体制は今日までつづいており、ずっとアメリカから支援されている。もちろん、アメリカの目的はグアテマラが空虚なかたちで民主的な偏向をしないようにすることだ。国民が反対する国内政策を実施するには、ごり押しをつづけるしかない。だが、国民にしてみれば、自分にとって有害な国内政策を支持するいわれはない。
 この場合も、大々的な宣伝が必要になる。そういう例は、この十年のあいだにいくつもあった。たとえば、レーガン政権の数々の計画は、圧倒的に不人気だった。1984年の「レーガン圧勝」時にも、有権者のおよそ五分の三はレーガンの政策が法制化されないことを願っていた。軍備の増強にしろ社会的な支出の削減にしろ、レーガンの計画はことごとく国民の強い反対にあった。
 
 しかし、国民が社会の周辺に追いやられ、自分のほんとうの関心から目をそらされて組織をつくることも自分の意見を表明することも許されず、他人も同じ考えをもっていることを知るすべさえなかったら、軍事支出よりも社会的支出のほうが大事だと考え、世論調査にはそのように答える人びとも、そんなばかげた考えをもっているのは自分だけだろうと思いこんでしまう。現実に、圧倒的多数がそう思いこんだのだ。
 そういう意見はどこからも聞こえてこない。誰もそういうふうに考えていないのだろう。したがって、そういうことを考え、そう言うことを世論調査で答えようとする自分はきっと変人にちがいない。意見を同じくする人と知り合って団結する機会はどこにもないので、自分が変わり者のような、ひねくれ者のような気がしてしまう。
 それなら黙っていたほうがいいではないか。世のなかの動きに関心を向けてもしかたがない。それよりはスーパーボウルでも観戦していたほうがましだ。
 このように、彼らの理想はある程度まで達成されている。しかし、まだ完全というわけではなく、どうしても破壊できなかった機関がまだいくつか残っている。たとえば、教会はいまも健在だ。アメリカの異議申し立て活動の大半は教会から起こっている。
 理由は単純で、教会がそこにあったからだ。ヨーロッパのどこかの国へ行って政治的な話をしようとすれば、おそらく組合の集会所がその場所だろう。それはアメリカでは考えられない。そもそも組合がないに等しく、あったとしても組合は政治的な組織ではないからだ。しかし、教会なら存在するから、おのずと教会で話をすることが多くなる。中央アメリカの連帯運動はほとんどが教会を起点にしているが、これも主として教会がそこにあったからなのだ。
 だが、とまどえる群れは決して完全には飼いならされない。つまり、これは止むことのない戦いである。1930年代には、反乱が起こっては鎮圧された。60年代にも、また新たな異議申し立ての運動の波が起こった。これには名前がついていて、特別階級が「民主主義の危機」と呼んだのである。
 民主主義は1960年代には危機に瀕したと見なされた。要するに、危機とは人口の大部分が組織をつくって活動をするようになり、政治の分野に参入しようとしたことだ。前に述べた民主主義社会の二つの概念を思い出してほしい。辞書の定義にしたがえば、これは本来の民主主義の「前進」である。
 しかし優勢なほうの概念にしたがえば、これこそ「問題」であり、なんとか打開しなければならない危機である。国民を再び無気力に、従順に、受動的にしなければならない。それが国民の本来の姿なのだ。どうにかして、この危機を打開しなければならない。そのためにいろいろな努力がはらわれたが、あまりうまくいかなかった。
 民主主義の危機は今日までつづいているが、幸いにも国の政策を変えるまでにはいたっていない。しかし多くの人の予想に反して、少なくとも意見を変えることはできている。
 1960年代以降、この慢性病を追い払い、打ち負かすために数々の努力が傾けられた。この病気のある側面には、専門的な名称までつけられている。「ヴェトナム・シンドローム」(ヴェトナム戦争後遺症)」がそれだ。
 1970年代ごろから使われはじめたこの名称は、おりにふれて定義されてきた。
 レーガンを支持していた知識人、ノーマン・ポドレッツは、これを「軍事力の行使に対する病的な拒否反応」と定義した。国民の大部分には、まさにそのような暴力にたいする病的な拒否反応があった。なぜあちこちへ行って人を拷問し、殺害し、絨毯爆撃などをする必要があるのか、国民にはさっぱり理解できなかった。
 国民がこうした病的な拒否反応に圧倒されるのは非常に危険なことだ。これはヒトラー支配下のナチスの宣伝相ゲッペルスも理解していたことで、そうなってしまうと海外進出が困難になるからだ。湾岸戦争の興奮のなかで『ワシントン・ポスト』が得々と書いたように、「軍事行動の価値」を重視するという考えを国民の頭に吹きこまなければならない。これは重要なことだ。国内のエリートの目的をはたすために世界中で武力を行使する暴力社会を理想とするなら、大衆に軍事行動の価値を正しく理解させ、暴力の行使に病的な拒否反応を引き起こさせないようにしなければならない。
 ヴェトナム・シンドロームなどは克服しなければならないのだ。

   偽りの現実を提示する

 場合によっては、歴史を完全に捏造することも必要になる。
 それが病的な拒否反応を克服する一つの方法でもある。誰かを攻撃し、殺戮するとき、これは本当のところ自己防衛なのだ。相手は強力な侵略者であり、人間ならぬ怪物なのだと思わせるのだ。
 ヴェトナム戦争が始まって以降、当時の歴史を再構築するために払われた努力はたいへんなものだった。あまりにも多くの人が、本当の事情に気づきはじめていたのだ。多数の軍人だけでなく、事実に気づいて平和運動などに参加した若者もたくさんいた。これはいかにもまずい。そうした危険な考えを改めさせ、正気を取り戻させなければならなかった。
 すなわち、われわれのすることはみな高貴で正しいことだと認識させるのだ。われわれが南ヴェトナムを爆撃しているなら、それは南ヴェトナムを防衛しているからにほかならない。いったい誰から? もちろん南ヴェトナム人からだ。ほかの誰がそこにいただろう。ケネディ政権はいみじくも、これを南ヴェトナム「内部の侵略者」にたいする防衛と称したものだ。
 この言い方は民主党の元大統領候補でケネディ政権の国連大使を務めたアンドレイ・スティーブンソンなども使っている。これを公式の見解とし、国民にしっかりと理解させなければならなかった。その結果は申し分なかった。メディアと教育制度を完全に掌握していさえすれば、あとは学者がおとなしくしているかぎり、どんな説でも世間に流布させることができるのだ。
 それを示唆する一つの例が、マサチューセッツ大学でおこなわれた調査にあらわれている。これは湾岸危機にたいする姿勢についての調査だったが、実質的には人びとがテレビを見るときの認識と姿勢についての調査に等しかった。質問の一つに、ヴェトナム戦争におけるヴェトナム人犠牲者は何人くらいと思うか、というのがあった。
 今日のアメリカの学生の平均的な答えは、約十万人。公式の数字は約二百万人である。実際の数字は、300万人から400万人といったところだろう。この調査を実施した人びとは、もっともな疑問を呈している。ホロコーストで何人のユダヤ人が死んだかと今日のドイツ人に聞いたとき、彼らが30万人と答えたならば、われわれはドイツの政治風土をどう思うだろう? その答えから、ドイツの政治風土を推して知るべきではなかろうか? 質問者はあえて答えを求めなかったが、この疑問は追究する価値がある。その答えから、わが国の政治風土も推して知るべきではなかろうか? その答えは、とても多くのことを語っている。
 軍事力の行使にたいする病的な拒否反応をはじめ、民主主義からのもろもろの逸脱は阻止しなければならない。ヴェトナム戦争の場合は、それはうまくいった。
 そして、どんな問題の場合でも同じである。中東問題でも、国際テロでも、中米問題でも何でもいい──国民に提示される世界像は、現実とは似ても似つかぬものなのだ。その問題の真実は、嘘に嘘を重ねた堂々たるつくり話の下に葬られている。民主主義の脅威を防ぐという点からすれば大成功だ。しかも、それが自由な環境のもとで達成されているところがたいへん興味深い。アメリカはもちろん全体主義国家ではない。全体主義国家であれば、力づくでその目的を達成することもできるだろう。
 しかし、ここではそれが自由な環境のもとで達成されているのである。私たち自身のこの社会を理解したければ、こうしたところに目を向けなければならない。これらは重要なポイントだ。自分がどんな社会に住んでいるかをしっかり認識したければ、こうしたことを見過ごしてはならないのである。

 
 


 

 

 


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