真実を知りたい-NO2                  林 俊嶺

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不敬罪、井上哲次郎と内村鑑三の論争

2020年12月02日 | 国際・政治

 私は、井上哲次郎と内村鑑三の論争で、明治がどのような時代であったかがわかるのではないかと思います。
 特に、西欧の学問に通じていた井上哲次郎が、西欧の学問や思想の発展を考慮せず、歴史の歯車を逆回転させるかのような主張をしたことが見逃せません。私は、井上哲次郎は、信教の自由を否定し、現に存在する天皇を、”天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス”などと神の如く位置づけて専制主義的な政治を展開した明治政府に組みしたのだと思います。井上哲次郎は下記のように書いています。

耶蘇教(キリスト教)は唯一神教にて其徒は自宗奉ずる所の一個の神の外は、天照大神も弥陀如来も、如何なる神も、如何なる仏も、決して崇敬せざるなり、唯一神教は恰も主君独裁の如く、一個の神は一切万物の主にして、此の神の外には神なしとし、他神の其領分中に併存するを許さざるなり、独り自宗の神のみを以て真正の神とし、他の諸宗の奉ずる所は、如何なる神も、皆真正の神と見做さゞるなり、多神教は之れに反して共和政治の如く、他宗の諸神をも併存するを許すこと多く、決して惟一神教の如く、厳に他神崇拝を禁ずるものにあらざるなり、唯一神教と多神教とは此の如く全体の性質を異にするを以て、多神教たる仏教は古来温和なる歴史を成し、唯一神教たる耶蘇教は到る処激烈なる変動を成せり
 
 では、”多神教たる仏教は古来温和なる歴史を成し”また、”我邦は古来神道の教ありて、神の多きこと実に千万を以て数ふ”日本の人間である井上哲次郎が、なぜ、キリスト教徒を”耶蘇教徒は何時の間にか知らず識らず愛国心を失ひ、他人の行為を怪訝し、風俗に逆ひ、秩序を紊り、以て国の統合一致を破らんとす、国の災実に是れより大なるはなし、我邦人たるもの深く此に意を留めざるべからざるなり”などと、キリスト教徒だけが悪者であるかのように断罪するのか、と思います。井上哲次郎のこの主張に対する内村鑑三の下記のような批判は痛烈であり、井上哲次郎が反論することは難しいだろうと思います。

天皇陛下は我等臣民に対し之(教育勅語)に礼拝せよとて賜はりしにあらずして、是を服膺し即ち実行せよとの御意なりしや疑うべからず、而して足下の哲学的公平なる眼光は余輩(ヨハイ:=われら)基督教徒を以て仏教徒よりも、儒者、神道家、無宗教家よりも、我国社会一般公衆よりも、勅語の深意に戻り、国に忠ならず(実行上)、兄弟に友ならず、父母に孝ならず、朋友に信ならず、夫婦相和せず、謙遜ならざるものとなすか、不忠不孝不信不悌不和不遜は基督教徒の特徴とするか、
足下は余が勅語を礼拝せざるが故に余を以て日本国に対して不忠なるものとなせり、然れども店頭御尊影を他の汚穢(オエ)なる絵画と共に鬻(ヒサ)くものは如何、朝に御真影に厳粛なる礼拝を呈し夕に野蛮風の宴会に列する者は如何、加之(シカノミ)ならず粛々として勅語に礼拝するものが盃を取て互に相談するや余輩□くものをして嘔吐の感を生せしむるものあるは未だ足下の目にも耳にも留まらざるや、若し余をして足下の如く新聞雑誌の記録を以て余の論城を築かしめば、余は教育の本原たる我文部省に就ても、足下の職を奉せらるゝ我帝国大学に関しても、若しくは足下の賞賛せらるゝ仏教各派現時実況に就ても、余は足下をしてニ三日も打続きて尚ほ通読するを得ざる程の非国家的反勅語的なる醜聞怪説をして足下の前に陳列し得るなり

 井上哲次郎の一神教と多神教に関する主張はわからなくはないのですが、当時のように、礼拝の対象を、神(天照大神)=天皇=大日本帝国=教育勅語と広げ、内村鑑三を不敬罪に問うのは、やはり如何なる神を信じるかという意味の信教の自由を否定するのみならず、国家と個人の関係における個人の内心の自由をも否定することになると思います。井上哲次郎は、そういう意味で当時の専制主義的な明治政府に加担してしまったのだと思うのです。

 また、近代西欧のキリスト教社会で形成された国家に関する理念や諸原則を超えて、内村鑑三が、自らキリスト教徒として、当時の日本に適応しようとしたと思われることが、”基督教は欧米諸国に於て衰退しつつありとの御説は万々一、事実なりとするも是亦余の弁解するの必要なし、何んとなれば余は欧米を真似せんとするにものにあらざればなり”という文章でわかります。
 また、内村鑑三は、礼拝の対象を神のみならず、国家(日本)や主権者(天皇)、その「御真影」(写真)、「教育勅語」にまで広げ、それらと個人の関係を権力的に縛り、礼拝を強制することに抵抗したのではないかと思います。井上哲次郎は、それを否定したのであり、それは、信教の自由や内心の自由を否定することを意味するのだと思います。

 日本では、代々、記者会見に臨む内閣官房長官が、会場に掲げられた丸に向って頭を下げています。これは、礼拝の対象を神に限定せず、天皇や国家や「御真影」、「教育勅語」、「国旗」(日の丸)その他に広げた明治時代の仕来たりが、今に続いているからではないのでしょうか。神や人に向ってではなく、旗に向って頭を下げる例が他国にもあるでしょうか。

 下記は、いずれも「続・現代史資料 教育 御真影と教育勅語 Ⅰ」(みすず書房)から、その一部を抜粋しました。
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               四 軋轢と悲劇

            (一) 内村鑑三不敬事件

井上哲次郎「教育と宗教の衝突」『教育時論』第279号・280号・281号・283号及び284号所収分

               教育と宗教の衝突
                                   井上哲次郎稿
 余は久しく教育と宗教との関係に就いて一種の意見を抱き居りしも、其事の極めて重大なる為め、敢えて妄(ミダリ)に之を叙述することを好まざりき、然るに或時教育時論の記者余を訪ひ、熊本県に於て教育と宗教と衝突を来せるが、抑々勅語の主意は耶蘇教と相合はざるものにや、如何にと問われたれば、余は最早平生懐抱する所を隠蔽すること能はず、少しくその要点を談話せり、然るに記者は其談話の大意を教育時論第272号に載せたり、是に於てか耶蘇教徒は頗る之れが為めに激昂せしものと見え、其機関たる諸雑誌に於て余が意見を批難し、中には随分人身攻撃をもせり、…
 ・・・
 嚮(サ)きに教育に関する勅語出づるや、之れに抗せしものは、仏者にあらず、儒者にあらず、又神道者にあらず、唯々耶蘇教徒のみ之れに抗せり、或は云はん、耶蘇教徒は勅語其れ自身に抗せしにあらず、勅語を拝することに抗せしなりと、然れども是れ唯々表面上の口実に過ぎず、其実は勅語の主意を好まざるなり、耶蘇教徒は皆忠孝を以て東洋古代の道徳とし、忌嫌に堪へざるなり、故に或は発して不敬事件となり、或は激して宣告文となれり、何故勅語の出づるに当りて唯々耶蘇教徒のみ勅語に対して紛紜(フンウン)を生ぜしや、能く其因りて起る所に注意せざるべからざるなり、耶蘇教徒の中日本の風俗に同化して忠孝の教も採用し、甚だしきは勅語をも会堂に講ぜんとするものあり、是等は保守的の耶蘇教と相容れざるものなり、其相容れざるは、一は我邦に適合せざる旧来の教旨を保存し、一は旧来の教旨をして枉(マ)げて我邦に適合せしめんとするに由るなり、要するに、耶蘇教は元と我邦に適合せざるの教なり、故に我邦の風俗に同化すべき必要も起るなり、若し耶蘇教が始より能く我邦の風俗に適合せるものならば、豈に之れに同化するを要せんや、従ひて又同臭の耶蘇教中に別派を生ずることあらんや、世の教育家は公平なる眼を以て能く近時社会の現象如何に注目せよ、勅語の出づるに当たりて第一高等中学校に不敬事件を演せしは何人ぞ、耶蘇教徒にあらずや、令知会雑誌第八十三号に云く、

 第一高等中学校嘱託教師、内村鑑三が同校の勅語拝戴式に列して、陛下の勅語に対して、尊影に対して、敬礼せざりし、其不遜不敬最も憎むべき所行は云云、其最初よりの顛末を記すべし、抑々此の事の起りは、
 本年一月九日、同校就業始めに於て、木下校長は、生徒一同を衆め校内倫理室を以て式場とし、各教員列席の上、旧臘(キュウロウ)陛下が文部大臣へ下し玉ひし、教育上に関する勅語の拝読式を挙行せり、其砌(ミギリ)教員内村鑑三は、他の生徒教員が何れも粛々として、敬礼を罄(ツク)すにも拘わらず、一人傲然として更に敬礼せざる状の、如何にも不遜なりしより生徒は大いに奮激し、厳しく内村を詰(ナジ)りしに、彼は漫然として、我は基督教者なり、基督教の信者は、斯る偶像や、文書に向て、礼拝せず、又礼拝するの理由なしと答へたるより、生徒は益々激し、一同校長に迫り、校長も捨置かれぬ事なり、とて、内村に問ふところあり、内村も同教徒、金森通倫、木村駿吉、中島力造等と協議の上、前非を悔て、礼拝することとなり、折節内村は病気にて蓐(シトネ)にありしかば、木村をして代拝せしめ、全快の上、自身更めて礼拝することと定まりしも、一旦其真面目を現はせし上は、今設(シツラ)ひ礼拝するも、決して真心に非ざるは勿論、不敬の所為ありし上は、相当の処置あるべしとの論、生徒中に喧しく、到底一同の折合つかざるより、初は免職すべき筈なりしも、故ありて内諭解職となり、此一条先づ事済となりしも、済まざるは基督教者の内幕にて、此事に付、二派に分かれ横井高橋の一派は、礼拝するも不可なしとし、他の多くは、飽迄も不可とするものにて、今尚ほ紛然たりと云ふ、

 是れ実に第一高等中学校に於ける不敬事件の顛末の概要なり、内村氏が此の如き不敬事件を演ぜしは、全く其耶蘇教の信者たるに因由すること亦疑いなきなり、耶蘇教は唯一神教にて其徒は自宗奉ずる所の一個の神の外は、天照大神も弥陀如来も、如何なる神も、如何なる仏も、決して崇敬せざるなり、唯一神教は恰も主君独裁の如く、一個の神は一切万物の主にして、此の神の外には神なしとし、他神の其領分中に併存するを許さざるなり、独り自宗の神のみを以て真正の神とし、他の諸宗の奉ずる所は、如何なる神も、皆真正の神と見做さゞるなり、多神教は之れに反して共和政治の如く、他宗の諸神をも併存するを許すこと多く、決して惟一神教の如く、厳に他神崇拝を禁ずるものにあらざるなり、唯一神教と多神教とは此の如く全体の性質を異にするを以て、多神教たる仏教は古来温和なる歴史を成し、唯一神教たる耶蘇教は到る処激烈なる変動を成せり、内村氏が勅語を敬礼することを拒み、傲然として偶像や文書に向ひて礼拝せずと云ひたるは、全く其信仰する所唯々一個の神に限るに出づるなり……、余は今此に多くの神若くは唯一の神を信ずることに就いて其是非如何んと断案を下だすにあらず、唯々不敬事件の起れる理由を弁明するに止まるなり、……我邦は古来神道の教ありて、神の多きこと実に千万を以て数ふ、然るに其最大の神たる天照大神は実に皇室の祖先なりと称す、然のみならず、倫理に関する教も皇祖皇宗の遺訓と見做さる、是れ現に我邦の国体の存する所とするなり、然るに耶蘇教徒の崇敬する所は、此にあらずして他にあり、他とは何ぞや、猶太(ユダタ)人の創唱に係る所の神に外ならざるなり、余は今耶蘇教徒に対して神道者になれと勧むるにあらず、此には単に耶蘇教者の国体を損傷すること多き所を解釈するに止まるなり。
 ・・・
…耶蘇教徒は多く外国宣教師の庇蔭(ヒイン)を得て生長せしものゆゑ、甚だ愛国の精神に乏しきなり、苟も愛国の精神に富まば勅語を拝するも何かあらん、唯々勅語のみを拝礼して愛国の精神なきものは、固より取るに足らざるの無腸漢に過ぎず、然れども真誠に愛国心あるものは、生命も亦国の犠牲に供することあり、何んぞ復た勅語を拝することを拒むを用ひんや、耶蘇教徒は何時の間にか知らず識らず愛国心を失ひ、他人の行為を怪訝し、風俗に逆ひ、秩序を紊り、以て国の統合一致を破らんとす、国の災実に是れより大なるはなし、我邦人たるもの深く此に意を留めざるべからざるなり、余は此間に耶蘇教徒中の最も甚しきものを挙げて其如何程我邦に不利なるものあるかを明らかにせん、駿河台の上に高大なる建物あり、兀(コツ)として雲表に聳え、我宮城を俯瞰するものゝ如し、是れをニコライの礼拝堂となす、…
 ・・・以下略
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               四 軋轢と悲劇

            (一) 内村鑑三不敬事件

                     『教育時論』第285号(明治26年3月15日発行)
            文学博士井上哲次郎君に呈する公開状
                                       内村鑑三   
 足下(ソッカ:=貴殿)
 余(ヨ:=私)は未だ足下と相識るの栄を有せず、只東洋の一大哲学者として常に足下の雷名を耳にせしのみ、然るに近頃足下が「教育と宗教の衝突」と題して長論文を教育時論に投ぜられ、基督教の非国家的なるを弁せらるゝに際し、余に関する事柄を多く引用せられしに依り余は不得止(ヤムヲエズ)此公開状を足下に呈せざるを得ざるに至れり。
余は如斯(カクノゴトキ)論文が足下の手より出でしを喜ぶなり、若し凡僧(ボンソウ)寒生(=書生)の作たらしめんか、余は之れに答ふるに術なかるべし、然れども哲学的の眼光を有する足下なれば余は事物の研究に於て公平なる学術的論法を足下より請求し得ればなり。
然れども余は今足下の如き長論文を綴る閑暇(カンカ)なし、又その必要もなかるべし、基督教非国家論に就ては已(スデ)に公論のあるあれば、今茲に余の重複を要せず、基督教は欧米諸国に於て衰退しつつありとの御説は万々一、事実なりとするも是亦余の弁解するの必要なし、何んとなれば余は欧米を真似せんとするにものにあらざればなり、彼は彼なり、我は我なり、此点に就ては余は足下に倣ふて欧米の糟糠(ソウコウ)を嘗めざらん事を勉むるものなり、
然れども足下の論法並に論旨に就て余は足下に少しく足下の再考を要求せざるを得ず、足下願くは哲学者の公平を以て余の注意を観過する勿れ。
足下は哲学者として堅固なる事実の上にその論旨を建てられたり、足下は空想虚談に依らずして耳目を以て証し得べき歴史的の材料を以て足下の論城を築かれたり、誰か足下の注意深き帰納法に服せざらんや、然れども其事実の選択法に至りては足下甚だ疎漏ならざりしか、余が足下に申す迄もなけれ共、反対党の記事のみを以て歴史上の批評をなすべからざるは史学の大綱なり、天主教徒の記事のみ依りし独逸三十年戦争史は不公平なる歴史なり、北部合衆党の記事のみに依りたる米国南北戦争史は史学上の価値を有せず、然るに足下が余輩(ヨハイ)基督教徒の行跡を評せらるゝや多くは余輩の正反対党の記事に依らるゝは如何、余の高等中学校に於ける勅語礼拝記事に関して足下の引用せらるゝ記事は実に基督教に対して常に劇烈なる憎悪の念を有する真宗派の機関雑誌なる令知会雑誌なり、或は「仏教」雑誌なり、皆基督教に対して敵意を挟むにあらざれば常に之を貶見賤視する新聞雑誌なり、
憑(ヨリカカ)るべからざるは新聞紙上の記事なり、況んや反対者に関する記事においてをや、若し後来足下の言行記を編纂する者あって足下と主義を異にせる新聞雑誌が足下に関し登載せる所のものを以てせは足下以て如何となす
余は他の記事に就ては真偽を保証する能わざれども、令智会雑誌の余の第一高等中学校礼拝事件に関する報知は誣ゆるの甚しきものと言はざるを得ず、余が尊影に対し奉り敬礼せざりしとは全く虚説に過ぎず、拝戴式当日には生徒教員とも尊影に対し奉ての礼拝を命ぜられし事なし、只教頭久原氏は余輩に命してひとりづゝ御親筆の前に進みて礼拝せしめしなり、而して其記事中「斯かる偶像や文書に向て礼拝せず」云々の語は余の発せし語にあらざるなり、又「前非を悔て」との言は時の事実を伝ふにあらず、余は礼拝とは崇拝の意ならずして敬礼の意たるを校長より聞きしにより喜んで之をなせしなり、又爾来もこれをなすべきなり、故に「決して真心にあらざるの」云々の語は余の真意を伝ふものにあらず、其「免職」云々に関しては最も讒謗(ザンボウ)の甚しきものと云はざるを得ず、木下校長の余に対するや常に同僚の礼を以てせられ、余も亦同氏に対し決して悪感情を有せしことなし。余は奸賊として放逐せられしなり。
然れども是れ余一個人に関する事実なり、余は茲に彼の第一高等中学校事件に就て余を弁護せんとするものにあらず、余の茲に之を言ふは足下が事実の探究に甚だ疎漏なりしを示さんが為めなり、哲理的歴史は如斯不公平不完全の材料を以て建設し得べからざるは足下の能く知る所なり。
足下の基督教徒が我国に対し不忠にして勅語に対し不敬なるを証明せんとするや、該教徒が儀式上足下の注文に従わざるを以てせられたり、然れども茲に儀式に勝る敬礼の存するあり、即ち勅語の実行是なり、勅語に向て低頭せざると勅語を実行せざると不敬何れが大なる、我聖名なる 天皇陛下は儀式上の拝戴に勝りて実行上の拝戴を嘉し賜ふは余が万々信して疑わざる所なり。
畏れ多くも我 天皇陛下が勅語を下し賜はりしは真意を推察し奉るに
天皇陛下は我等臣民に対し之に礼拝せよとて賜はりしにあらずして、是を服膺し即ち実行せよとの御意なりしや疑うべからず、而して足下の哲学的公平なる眼光は余輩基督教徒を以て仏教徒よりも、儒者、神道家、無宗教家よりも、我国社会一般公衆よりも、勅語の深意に戻り、国に忠ならず(実行上)、兄弟に友ならず、父母に孝ならず、朋友に信ならず、夫婦相和せず、謙遜ならざるものとなすか、不忠不孝不信不悌不和不遜は基督教徒の特徴とするか、
足下は余が勅語を礼拝せざるが故に余を以て日本国に対して不忠なるものとなせり、然れども店頭御尊影を他の汚穢(オエ)なる絵画と共に鬻(ヒサ)くものは如何、朝に御真影に厳粛なる礼拝を呈し夕に野蛮風の宴会に列する者は如何、加之ならず粛々として勅語に礼拝するものが盃をを取て互に相談するや余輩□くものをして嘔吐の感を生せしむるものあるは未だ足下の目にも耳にも留まらざるや、若し余をして足下の如く新聞雑誌の記録を以て余の論城を築かしめば、余は教育の本原たる我文部省に就ても、足下の職を奉せらるゝ我帝国大学に関しても、若しくは足下の賞賛せらるゝ仏教各派現時実況に就ても、余は足下をしてニ三日も打続きて尚ほ通読するを得ざる程の非国家的反勅語的なる醜聞怪説をして足下の前に陳列し得るなり。否な若し余をして少しく復讐の念を生□せめ、新聞雑誌より足下自身に関する記事を摘用せんとなあらば、余は文学博士井上哲次郎君を以て至誠国に尽し、恭謙(キョウケン)己を持し、勅語の精神を以て貫徹せらあれた東洋の君子として画くことに甚だ困しむなり。
 勅語発布以来我国教育上の成績に如何なるものあるや、日本国の教育者社会は勅語発布以来その不敬者を責むるに喧噪なる割合に道徳上の進歩ありしや、学生の勤勉恭謙は発布以前に比較して今日は著しき進歩ありしや教員の真率倹節、その学生に対する愛情、犠牲の精神は前日に比して幾何の進歩かある、若し新聞紙の報する所を以て十の二三は真に近きとするも尚ほ余輩民間にある者より之れを見る時は日本帝国現時の教育界は勅語の理想と相離るゝ甚だ遠し、学生が教師に対する不平、教師が学生に対する不親切、理事者の不始末等余輩の耳朶(ジダ)に接する反勅語的の事何ぞ如斯く多きや、不敬事件よ、不敬事件よ、汝は第一高等中学校の倫理室に於てのみ演せられざるなり、
足下曰く「耶蘇教徒は多く外国宣教師の庇蔭を得て生長せしもの故甚だ愛国心に乏しきなり」と、是足下の観察にして余は是に悉く同意を表する得ず、然れども其事実問題は他日に譲る事となし、余は茲に余の観察を足下の前に開陳せざるを得ず、即ち「足下の如き尊王愛国論を維持する人士は多く政府の庇蔭を得て生長せしもの故甚だ平民的思想に乏しきなり」との事なり、広く目を宇宙の形勢に注ぎ、人権の重きを知り、独立思想の発達を希望するの士にして足下の如く重きを儀式上の敬礼に置き実行上の意志如何を問はざるの人は何処にあるや、足下は余輩の不敬を責むるに当て足下の材料を重に仏教の機関雑誌より得るの理由も蓋し茲に存せずんばあらず、足下の尊王愛国論は庇蔭の下に学を修め今尚ほ官禄に衣食するものにあらざれば、或は神官諸氏の如く、或は僧侶諸君の如く、其消長は大に足下の称する尊王愛国論の盛衰如何に関するものを除いて他に多く見さる所以のものは抑何ぞや、
勿論普通感念を有する日本臣民にして誰か日本国と其皇室に対し愛情と尊敬の念を抱かざるものあらんや、然るを愛国心は己の専有物の如くに見做し余輩の行跡を摘発して愛国者の風を装はんとするが如きは、阿世媚俗の徒も喜んで為す所なり、足下の如き博識の士は勿論不偏公平真理を愛する念より余輩を攻撃せらるゝなれども、足下の如き論法を使用し、足下の如き言語を吐かるゝ士は多くは、爵位官禄に与る人に多きを見れば、余輩民間にある者をして所謂尊王愛国論なる者も又自己の為めにする所ありてなすにあらざる乎の疑念を生ぜしむるは決して理由なきにあらざるなり、足下願くは余の疑察を恕せよ、余は唯足下が余輩に加へられし疑察を足下に加へしのみ、而して若し足下の称する尊王愛国論は必しも阿世媚俗の結果にあらずとならば(而して余はその必しも然らざるを知る)其同一の推理法を以て余輩基督教徒も外人の庇蔭に依るが故に基督教を信ずるにあらざるを知れ。
足下は基督教の教義を以て勅語の精神と幷立し能はざるものと論定せられたり、若し足下の論結にして、確実なるものなれば基督教は日本国に於て厳禁せらるべきものにして、耶蘇宗門禁制の表札は再び日本橋端に掲げらるゝに至らん、帝国大学に職を奉ずる基督教徒を始めとして我帝国政府部内にある基督教徒は直に免官すべきなり、足下已に足下の持論を世に公にせられたり、而して誠実なる日本国民として、真理を重んずる学者として、足下の輿論のクルセードを起し、基督教撲滅策を講ぜざるばからず、足下の責任も亦大なる哉。
然れども余は又足下に一の注意を与へざるを得ず、茲に基督教に勝る大害物の我国に輸入せられしあり、即ち無神論不可思議論是れなり、足下の論文に依て見れば足下はハーバート、スペンサーに対し多分の尊敬と信用を置くが如し、ミル、スペンサー、バックル、ベジョウ等は我国洋学者の夙(ハヤ)くより嗜読(シドク)せしものにして、今日の日本を造り出すに所て是等英国碵学の著書与大勢力ありしは蓋し疑なき事実なり、而して足下の公平なる哲学的の眼光は不可思議論と勅語とは並立し得るものと信ぜらるゝや、余は試に茲に一二の実例を挙げて足下の教訓を乞はんと欲す。
スペンサー氏の代議政体論は我国英語研究者の教科書として広く用ひらるゝ書なり、その需要の大なるや数種の翻刻を市上に見るに至れり、我国幾万の子弟は此書を読みつゝあるなり、而して其独裁政治を論するや左の語あり。
 余は茲に余の拙劣なる翻訳を附し此公開状の読者をして英語を解せざる人の為めにす(英文略)
 服従の性(即ち君主政体をあらしむるもの)は無数罪悪の原因となり、高潔の士にして服従を肯ぜ   ざるものを拷問殺戮し、バスチル、シベリアの惨状を演ぜしめしものなり、之れ智識、思想の自由、 真正の進歩の圧抗者なり、之れ何れの時代に於ても王室の弊害を譲し此弊害をして国内に流行せしめしものなり、……… 過去の記載に依るも、地球面上に散布せる未開人種を見るも、欧州今日各国の状態を比対するも、主権に対する服従は道徳と智識の増進すると同時に退減するを見る、昔時の武勇崇拝より今日の「オベッカ主義」(Flunkeyism)に至る迄此服従の精神は人性の最も陋劣なる所に最も強し。

而して之れをその最も甚だしきものにあらざるなり、その前后23ページに渉る記事を見よ、而し如何にして「天壌無窮の皇運を扶翼すべし」との勅語と並行し得るかを余輩に弁明せられよ。
余に若し時と余白とあらしめば余はウオーター、ベジョウの究理政治論より、ミルの代議政体論、其他バックル、ベイン、ホルテヤ、モンテスキウ輩の著作より、我国の尊王心を全然破壊するに足るべき章句を引用し得べきなり、冝なるかな我文部省は一時官立諸学校に令して前述のスペンサー氏代議政体論を教科書として使用するを禁ぜられたる事や。
我国仏学者の中に最も愛読さるゝルソーの民約論(Contract Social)は皇室の尊栄を維持するが為めには害なきものと信ぜらるゝや、欧米の学者にして基督教を攻撃せし記者は王政を攻撃せしものなるは足下の知る所なり、然るに基督教を以て我国体を転覆するものとして嫌悪する我国の教育者がベジョウ、スペンサー等を尊拝するは余の未だ了解し□はざる所なり。
昔時羅馬(ローマ)の虐帝ニーロは手づるから火を羅馬の市街に放ち其焔煙天に漲るを見て一夜の快を得たり、然るに後公衆の疑念と憤慨かその身に鍾るや直に基督教徒を捕へ罪を彼等に帰し彼等を殺戮せりと、今日我国の洋学者も亦ニーロ帝を学ばんとするものにあらざるか、世の軽薄に進み礼儀真率の地を払ふに至て其罪を基督教徒に科せんとするものは誰ぞ。
日本は足下の国にして又余の国なり、偽善と諂媚(テンビ)とは何処に存するとも共に力を合せて排除すべきなり、然れども軽卒と疑察とは志士の共同を計るに於て用なきなり、我等恭倹なる日本国民として、注意深き学者として、公平なる観察者として、他を評するに寛大なるべく、事実を探るに精密なるべく、結論に達するに徐かなるべきなり、足下此公開状を以て足下の所謂「一々答弁を為すほどの価値あるものにあらず」と為さず、余に教訓を垂るゝあらば豈余一人の幸福のみならんや、不備
    明治廿六年ニ月                            大坂に於て
                                          内 村 鑑 三


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