真実を知りたい-NO2                  林 俊嶺

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「阿片王」里見甫(里見機関)と関東軍軍事機密費

2011年05月21日 | 国際・政治
 里見甫は、満州事変勃発直後、関東軍第4課の嘱託辞令を受け密命を帯びて、半官的な「聯合」と民間経営の「電通」を合併させるために動いた人物である。そして「一国一通信社」というメディア統合に力を発揮し、満蒙通信社(後の満州国通信社・略称国通)を設立させた。それは満州にとどまらず、その後日本国内の通信統制に発展していったという。そうした里見甫の新聞記者、国通時代の活動が「続 現代史資料ー12ー阿片問題」岡田芳政・多田井喜生・高橋正衛編(みすず書房)付録「里見甫のこと」と題して、伊達宗嗣名で、詳しく紹介されている。
 しかしここでは、敢えてその部分をカットして、彼のもう一つの活動、すなわち阿片工作に関わる部分のみを抜粋する。戦中「大陸新報」の社長をつとめ、里見甫と親しく、戦後自民党代議士となった福家俊一の証言によると、「里見は上海の阿片の総元締めだった。その莫大な阿片のあがりが関東軍の軍事機密費として使われた。関東軍が一株、満州国政府が一株、甘粕が一株という形でもっていた」という。
(「阿片王ー満州の夜と霧」(新潮文庫)の著者佐野眞一は、関係者をしらみつぶしに当たり、里見甫はもちろん、「里見甫のこと」の著者「伊達宗嗣」についても、里見の晩年の秘書的存在だった人物でるが、伊達順之介の息子(伊達一族の末裔)ではなく、本名は「伊達弘視(ダテヒロミ)」であると、その素性を明らかにしている。)
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                 里見甫のこと
                                         伊達宗嗣
     はじめに

 わが国の阿片問題について語るとき、避けて通ることのできないのが、「里見機関」(宏済善堂)の存在である。主宰者の里見甫(リーチェンプ)(東亜同文書院13期=大正5年6月25日卒業 昭和40年3月21日歿、享年68歳)は、戦後、極東国際軍事裁判でA級戦犯として、巣鴨拘置所に収容されたが、何故か無罪放免になった。その理由について里見は、「供述調書を読んだ米国の情報関係者が、利用価値があるとみて釈放してくれたのではないか」と、多くを語るのを避けていたが、ロッキード事件で公然化した米国流の「司法取引」が行われたのかも知れない。
 法廷に提出されたのは、供述調書の一部で、阿片取引の収益金の具体的な用途、とくに軍の情報謀略工作関係については、大部分が隠蔽されたと、里見は語っている。


 後年、ベトナム戦争当時、米国がベトナム半島の山岳民族(阿片栽培が唯一の現金収入)に対し情報工作を展開するに当たって、里見機関の阿片工作のやり方が流用され、グリーンベレーの送り込みには成功したものの、反面、米軍内部に大量の阿片吸引患者の発生を余儀なくされ、本国送還による戦力低下とともに、米国内における阿片吸引患者の激増をみたことは、関係者の知るところであり、阿片の持つ危険な両面性を遺憾なく物語っている。

 里見が阿片謀略工作に手を染めたのは、参謀本部支那課長であった影佐貞昭大佐が初代の参謀本部第8課長(謀略担当)になったとき(昭和12年11月)影佐に懇望されたことによるもので、昭和12年から終戦までの8年間にすぎない。それも軍が阿片取引に深入りするのを心配された天皇が、しばしば侍従武官に「どうなっているのか?」と御下問になるので、里見に旨を含め、軍の隠れミノとするため発足させたもので、侍従武官を務めた塩沢清宣中将(陸士26期)が、里見の没後筆者に詳細に説明してくれた。

 里見と軍の関係については後述するが、この間の消息を伝える意味慎重な撰文が、里見の墓誌銘に刻まれている。

  「凡俗に堕ちて、凡俗を超え
  名利を追って 名利を絶つ
  流れに従って 波を揚げ
  其の逝く処を知らず」

 撰文は里見の後輩で、新聞記者時代から陰に陽に里見を見守ってきた大矢信彦(東亜同文書院16期=大正8年6月29日卒業)。書は1期先輩の清水董三(東亜同文書院12期=大正4年6月27日卒業)の筆になる。墓誌は元満州国熱河禁烟総局長から経済部次長、国務院総務庁次長になった古海忠之(戦後、中国戦犯として撫順収容所で18年間服役し、帰国後、岸信介元総理の世話で東京卸売りセンター所長)が


  「……昭和7年満州で新聞聯合社専務理事岩永裕吉、総支配人古野伊之助の協力を得て国通を設立した。時に37歳。支那事変の拡大とともに大本営参謀影佐貞昭の懇望により上海に移り大陸経営に参画、国策の遂行に当たった。……」

と記している。
 阿片工作については直接触れていないが、「大陸経営」とは汪兆銘政権、国策とは宏済善堂の経営つまり阿片工作の遂行であったことは、指摘しておかねばなるまい。ちなみに「里見家之墓」の五文字は、岸元総理の書いたものである。墓地は千葉県市川市の里見公園を見下ろす安国山総寧寺の境内にある。


     新聞記者・国通時代 ・・・(略)

     里見機関

 当時阿片市場として最大なのが上海であった。阿片の最大供給国はは英国で、インド阿片を持ち込んでいた。わが国の三井、三菱両財閥もペルシャ阿片の確保に鎬を削り、上海租界の運搬は専ら青幇(清幇)の手に委ねられ、その販路を牛耳っていた。
 大使館付武官補佐官で上海陸軍特務部の楠本実隆大佐(陸士24期)が、販路の確保を里見に持ちかけたが、その背景には影佐の特命があった。当時塩沢大佐は経済課長で上海後方建設の主任で、中支那新興会社の創立に当たり、満鉄から人間と事務所を調達、日本国内からは鉄道省、日銀など各機関から若手キャリア組を出向させた。佐藤栄作元総理はこの時、鉄道省から派遣されている。中支那新興会社は海軍と提携し、子会社として鉱山会社を現物出資の資本金100万円で発足した、維新政府設立第1号の鉄鉱会社が2000万円で発足した。当時上海だけは陸海軍武官府を構成、他の各地とは異なり陸海の協力は密で、海軍は津田静枝中将がその任に当たっていた。

 これら上海後方建設の合弁会社が続々と設立されるにつれ、既存の維新政府財源では予算がなくなり、次第に阿片の収益金に目をつけるようになり、その責任者として里見に白羽の矢を向けたのである。

 軍の信頼が厚く「滅死奉公(滅私奉公?)」の念に燃えていた(塩沢の評価)里見に、謀略の元締めである影佐第8課長が特命を下したわけで、ナショナルエージェンシーの確立、ハルビン工作に手腕を発揮した里見に阿片工作でも、軍の期待が賭けられていた。
 阿片工作の対象として期待した青幇のボス杜月笙は巧みに上海から重慶に逃れた。里見との出会いはなかったのである。国民政府の参議少将の肩書きを持つ杜月笙としては、莫大な阿片の独占権を目の前にしながら、里見の手を振り切った。替って上海租界に入った大物が盛宣懐である。武漢大冶の漢冶萍公司の総経理である盛は維新政府の鉄鉱会社に大冶の鉄鉱石を供給、維新政府は利ザヤを稼いで八幡製鉄(現新日鉄)に売るという形である。盛は阿片癮者で、里見の手から阿片を供給され、ここに奇妙な実業家と虚業の結び付が生まれている。

 また軍は昭和12年秋の大場鎮の戦闘で、日本軍の損害が大きく、攻めあぐんだすえ、里見に対策を求めた。里見は伝手(ツテ)を求めてフランス租界で敵将と極秘裏に会見、折衝の結果、支那軍総退却の合意を取りつけたが、約束が実行されるかどうかに一抹の不安を持った軍当局は、その代償金の金額前渡しを、ニセ札で行なおうと主張したが、里見は烈火の如く怒り、「日本の武士道いずくにありや」と責め、真札を贈って信義を守った。敵将も里見との約束を守って、打合せ通りの日時に合図の号砲を発射し、これに応じて開始された日本軍の総攻撃と同時に、敵は全線にわたる総退却にうつり、前日まで寸土も許さなかった大場鎮の堅塁は、大した犠牲もなく陥落した。(新聞通信調査会報1965年5月号「里見甫さんのあれこれ」佐々木健児=元同盟通信記者)
 これなど里見機関の真骨頂を示すもので、日本内地で大場鎮陥落の提灯行列が行われた戦闘の裏面史である。


 阿片の収益は主として軍の特務機関工作に使われたが、日本が設立した傀儡政府=蒙疆政府、華北政府、維新政府などいずれも阿片の収益で赤字を補填する形になっており、大東亜聖戦を呼号した軍の在り方が疑われる所以でもあるが、戦争末期、中国民衆が上海でわが国の阿片工作機関である宏済善堂に対する攻撃を始め出してから、阿片の収益は次第に低下、里見機関のカネは軍関係者によってむしり取られてゆく。軍関係者だけでなく、政治家もコネを頼って里見機関のカネを狙い、昭和17年4月の翼賛選挙では岸も元総理(当時商工大臣)が500万円(当時)の資金調達を依頼したことは有名な話になった。新聞ゴロも里見が新聞記者をやっていた関係上セビリにゆく者が多く、里見機関はこれら悪性日本人の資金供給源となっていたことは否めない。したがって里見は中国民衆の抗議を潮時とみて地下に潜伏、上海の表面から消えた。終戦引揚までその消息は杳としてわからなかった。

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