日々の感じた事をつづる
永人のひとごころ
東日本大震災から10年 語る
語る
東日本大震災10年
桜井勝延さん(65)前南相馬市長
国や東電から一切連絡なし
〈東日本大震災の発生時は南相馬市議会3月定例会の一般質問中だった〉
激しい揺れが収まると庁舎の外に飛び出し。駐車場の片隅で災害対策本部を設置した。ヘルメットと防災服姿。ハンドマイクを使っての第一回会議だ。津波の避難勧告をするよう担当者に指示した。まもなく津波が来るという情報が入った。
急いで庁舎の屋上に上がり、海岸の方向を見た。火事のような煙が帯状に伸びていた。家々を破壊しながら押し寄せる津波の土煙だった。
◎
〈その日の夜、東京電力福島第一原発の危機を伝える情報が市民からもたらされる〉
原発作業員の男性が庁舎を訪れ「原発は避難しなければならない状況だ。自分も避難する」と慌てた様子で話した。
直後、市職員からも同様の状況を伝えられた。原発で働いている父親からの携帯メールで、「原発が制御できない状態に陥っている」という趣旨の文面が届いたという。
東電からの連絡は一切なし。非公式の不確かな情報で、
住民避難を判断できなかった。津波で多くの市民が亡くなり、沿岸部の対応が最優先だった。避難所の確保も急がなければならなかった。
◎〈翌日3月午後3時36分に第一原発1号機が水素爆発する〉
対策本部の会議中、警察官が駆け込んで「原発が爆発した」と報告した。嘘だろうって驚いたよ。消防に電話しても確認は取れない。
夕方、テレビで、1号機の原子炉建屋が吹き飛ぶ映像を見た。
原発20キロ圏内に避難指示が出たこともテレビのテロップで知った。20キロと言われても、すぐにはわからない。地図を広げると太田川という2級河川がほぼ20キロの境だった。
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