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佐藤愛子 老いはヤケクソ 第3回

佐藤愛子 老いはヤケクソ

「百嫗」という言葉は特権


 リベラル社から出ている私の本の帯は、
「もうすぐ100歳」とか「祝100歳」と変えてるんですね。99歳と100歳では全然違う。

 体力も衰えるし、頭ももうすっかり悪くなりました。
記憶力が無くなった。これは大きいですね.つまりどんどんボケていってるんですよ。
 日常の細かいことがありますでしょ。眼鏡をどこに置いたとか、今日は手伝いの人は来るのか、とか、直ぐに忘れます。今日のインタビューのように、誰か来て話をしていると頭が活性化するんですよ。
人と。喋るのは好きですね。

 「100歳になって周囲の人達は放っておかないでしょう」と言われることもありますが、もうそろそろ忘れられていますよ。
リベラル社の本では肩書に「百嫗」という言葉を使いました。
『新装版・女の背骨』が最初かしら。その後、
『新装版 そもそもこの世を生きるとは』と
『増補新装版 老い力』の三冊の前書きに使いましたね。

 ただ100歳になったということだけど「嫗」⇒(年老いた女性の意)という漢字を使って「百嫗」とすると、感じが強まりますでしょ。文字面に迫力があります。やっぱり大正生まれの人間となるとそういうことに成りますね。
この肩書きを使うことはそうありませんよ。
100年生きた人へ与えられる特権ですからね。


 断筆宣言後に書いた
『九十歳。何がめでたい』
これまで何度も断筆宣言をしてきました。その時はもうだめだ、もう書けない、と思うんですよ。結局書きたくなってしまう。衝動なんですよ。無責任に書いていますから。
『九十歳。何がめでたい』は「女性セブン」の連載ですね。書いたのは何年も前のことだから、覚えていません。

 断筆宣言をしたのに、小学館の編集者の橘高真也さんが断っても断ってもやってきて。

 断筆したっていくら言っても本気にしないんですよ。もう書けないって言ってものらりくらりとかわされる。
のんびりしてそうにみえて頑固なんです。
橘高さんにつられて書いたようなもんです。

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