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高嶋政伸と美元・その四

                   高嶋政伸と美元

                     その四

                    
                    犯行の理由

この女中Aはもともと高島忠夫と寿美花代夫妻のファンであり、新潟県の中学校を1963年(昭和38年)に卒業してから、都内の墨田区にある会社で仕事をしていた。

そしてこの墨田区にある会社に、たまたま高島夫妻の知り合いがいる縁で、1963年暮れより高島夫妻宅で
住み込みで女中として働くことになった。

高島夫妻はこの女中を良く可愛がり、また女中も高島夫妻によく尽くしていたが、高島夫妻に長男が生まれた後は、「長男へ愛情が移ってしまい、自分は疎遠に扱われるようになった」と感じていた。

そして高島夫妻が仕事でアメリカへ行くことが決まった時に、「他の女中にはお土産を買って来ると約束していたのに、自分は何も言われなかった」として、思い悩んだ末に犯行に及んだという。

                     (犯行の瞬間)

犯行当日、女中Aは高島夫妻の食事の後片付けなどを済ませた後、午前1時過ぎころに一人で風呂に入った。入浴後、自室に戻ったところ、隣の部屋から長男のグズル声が聞こえたため、長男の寝ている部屋に行ったところ、長男は女中Aの足をつかむなどしてきた。

女中はその姿を可愛いと感じて、長男を抱きあげ、夕涼み目的で庭先に出て長男を抱いたままあやしたりしていた。

その後足が汚れたので足を洗おうと長男を抱いたまま、再び風呂場へ戻ったが、このときに、「この赤ん坊さえいなければ高島夫妻の愛情は自分に戻るのではないか」と考え、気がついたら、長男を湯船に沈めていたという。

長男は激しく咳きこんだが女中Aはなおも長男を湯船の中に押さえつけた。

そして「このままでは犯行がバレる」と思い、風呂から出た後に、物盗りの犯行に見せかけるため、室内を物色されたように装ったという。

1963年8月25日自宅で通夜が営まれたが、寿美花代はショックで参加できず、高島忠夫ひとりで記者会見を行った。長男の名は父親の忠夫から「夫」の字を採って「道夫=みちお」としたのであろう。戸籍は高嶋。

高嶋道夫(10・14・16・4)運気5点準絶対的短命運辶は辵で7画
ゆえに道は16画。

天格高嶋  14画
人格嶋道  30画大凶
地格道夫  20画大凶
外格高夫  14画大凶
総格高嶋道夫34画 大凶 

成功運・天(四)-人(十)大凶:乱離・困窮・急禍あり。
基礎運・人(十)―地(十)大凶:一時的に大勢力を発揮すること有るも、多くは病災、孤独に陥る。

三才の配置・天(四)―(人)十―(地)十:大凶。第三型準絶対的短命運。負傷遭難などすべて他動的、外傷的危険に陥り短命を余儀なくさる。

この道夫さんの事件があってのち、2年後に政宏が二男として、3年後に政伸が三男として誕生しております。

生後5か月で女中Aのねたみと誤解によって殺された因縁を一日も早く消すためにも、高嶋家はそろって供養してあげることが大事です。それをしないと、よくない命名をもらい、運気を悪くして美元のような女性と縁を結び、苦しむことになるのです。寿美花代の「美」と美元の「美」は同文字の縁です。
                     ★★★

政伸の妻にたいする暴言と暴力を見ていると、道夫君が「弟たちだけを幸せにしてなるものか」と嫉妬の情を持っているとの解釈も成り立ちます。

したがって高島兄弟はそろって夫婦仲良くし、いつも兄貴と一緒に幸せにやっているんだという自覚を持って暮らせば、家庭円満と幸福になるはずなのだが、それを分かっても実行できない運気を持っているから厄介だ。

したがって、運気のよい芸名を工夫することが大事でこれは高島忠夫・寿美花代(高嶋節子)・高嶋政宏・高嶋政伸の四者に共通して言えるわけである。      

高嶋忠夫が女中Aに「君にもお土産を買ってくるからよろしく頼むぞ」と一声かければ、この事件は起きなかっただろう。

言葉は『言の刃』になって相手を傷つけ、場合によっては言葉一つで命の取り合いさえある。

馬鹿ヤロー!。テメエ!。白痴!。ブス!。出て行けっ!
そして殴り合い!!
                       ◎

政伸夫妻は、このままでは事件に発展し、芸能生活の命取りになりかねない。裁判所の結論が出る前にすぐ別居するのが互いのためだろう。 終わり


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釈尊のことば149

                 釈尊のことば

                  149
           スピリチュアルなものや人に依存しない。

ストレスに脅かされて心に落着きがなくなると、人は神様を信じてそれに依存しようとする。

あるいはどこかの教祖様を信じ、あるいは守護霊を信じて拝みあるいは「スピリチュアル(霊的)」な木を拝み、それらにすがろうとする。

こういった「霊的な」ものに依存したり、「霊的な」人に洗脳されたりすることで、現実から目をそらし、つかの間の安心を得ようとする。

けれどもそれらは、安心できる拠(よ)りどころではない。

あなたがこれらに依存しても自由を奪われて洗脳されるだけで、「ストレスを生み出す心の仕組み」は変わらないのだから。



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