小さな庭

デジタルな仕事について20数年、だからという訳でもありませんが、アナログな世界に惹かれます。

第19回中山道ウォーク3日目(愛知川宿~武佐宿)

2022-04-07 | 街道歩き

3月27日
8:00に京都のホテルを出てJR、近江鉄道に乗り換えて、昨日の愛知川駅まで戻りました。電車のトラブルで遅延して2時間を要してしまいました。

10:00 愛知川駅
中山道に戻ると間もなく「愛知川宿ゲート」が迎えてくれます。ここは近江商人発祥の地であり、どんな町並みなのか期待がたかまります。 本陣、脇本陣、問屋場などは現存せず、案内板のみでした

古民家風「愛知川駅」                   


10:10 地蔵堂
民家の脇に揃ったお地蔵さん

            黒ポストは当時の書状集箱と言われ実際に使われていたもの

10:20 宿場の中心地
八幡神社は県の有形文化財に指定され
本殿まで石灯篭が続き、参道の入口には高札場跡の標石などがありました
八幡神社                  

                 旧旅籠の「竹の子屋」料亭・竹平楼
 宝暦八年の創業の旅籠で脇には明治天皇御聖蹟の石碑が建っていました

10:30不飲橋
不飲川(のまずかわ)源流で平将門の首を洗ったところ血で濁り、だれも水を飲めなくなったという伝えがあるそうです。


10:30 愛知川の一里塚 (江戸日本橋より百二十二里目)

11:00 秋葉山常夜燈 
愛知川の両岸に建つ常夜灯で睨み燈籠とも呼ばれています

小幡人形窯元 「小幡でこ」と呼ばれる土人形 代々細井家が伝承してきた土人形

11:30 ポケットパーク
 桜には少し早いけれど、のどかな公園でした

             
11:50 旧五個荘局 大正十四年竣工の郵便局(国有形文化財)
梵鐘鋳型の玄関前

近江商人 市田庄兵衛家本宅 呉服繊維商として活躍

12:00 金毘羅大権現常夜燈
大名や公家などの茶屋本陣の役目を果たしていたという草ぶき屋根の家 家の横には常夜燈も残していました


         石塚の一里塚( 江戸日本橋より百二十三里目)

12:50 老蘇の森(国史跡)
荒地を「石辺大連」という人物が、杉松などを植えて神助を仰いだところ、大森林となったと言われる。
その石辺大連も百数十歳まで生きたところから老蘇の森と言われるようになったそうです。

森の中に社殿「奥石神社」                   

                    13:00 緑苔園  

13:40 西福寺 
地蔵堂に僧が飲み残した茶を、茶屋の娘が飲んだところ身ごもり子を産んだ。
三年後、この僧が現れ、子に息を吹きかけたところ、子は泡となって消えてしまったという伝えがあります。境内の松が見事でした


                  おしゃれな弁柄模様の民家の木の塀

13:50 武佐宿の入り口
武佐宿は近くに近江商人の町が控えており物資の往来が盛んにおこなわれたようです。
町並みも古い大きな屋敷が街道筋に並んでいました

14:00 旧八幡警察署武佐分署庁舎 明治19年建築で文化庁登録有形文化財

本陣跡 代々下川七左衛門が勤め、本陣門と土蔵を残しています

まもなく武佐駅を通過して、民家の塀の外でむさりんどうを育てている家がありました

「むさりんどう」 近江八幡市の花で大事に継承されているそうです

15:30 横関橋
国道から離れて旧道に入ると民家もわずかで、田んぼが目立つようになってきました。
日野川に突き当たると昔の渡場で、広重の絵はこの辺りを描いていたようです


土手を迂回するように横関橋を渡ります

15:30 間もなく「西横関」という集落を過ぎます。
交差点の角に道標があり「古よりいせみち みなくち道」と彫られていました。
さすがに3日目となると疲労が出てきました。国道に出たところ、運よく近くに「鏡石」というバス停があり
この日の到達予定のJR野洲駅行きでした。バスにのり、翌日このバス停をスタート地点としました。

17:00 野洲駅
18:00 京都駅前のホテル着(歩数:37,001歩)

コメント (2)
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