小さな庭

デジタルな仕事について20数年、だからという訳でもありませんが、アナログな世界に惹かれます。

第2回 中山道ウォーク(板橋~浦和)

2018-11-17 | 街道歩き

第2回目 埼京線板橋駅~板橋宿~蕨~浦和 22.8キロ

10月14日(日) 晴時々薄曇り
今回からツアーではないので、できるだけ早く出発しようということになり、午前8時には板橋駅に
着きました。
この日は、暑くも寒くもない気持ちのいい秋の空が広がっていました。ウォーキングには一番適した
季節なのでしょう。気持ちのいいスタートです。

板橋宿と描いてある商店街のゲートをくぐると板橋宿の中心に入ります。ここには皇女和宮も降嫁の
際に宿泊したという板橋宿本陣跡の標柱がありました。
この先で石神井川に架かる橋が板橋で、板橋宿もこの橋の名前に由来されて往時もちろん板で作られ
ていたのでしょう。

その先にある縁切榎、男女の縁を切りたい時はこの榎の樹皮を煎じて相手に飲ませると願いが叶った
と言われています。男女の縁を成就するものはいろいろあっても縁切りを成就させるというのも珍し
いなとも思いました。

                          蓮沼村の鎮守 氷川神社 

志村の一里塚は日本橋から3番目の一里塚として築かれたもので、2期1対で残っている一里塚は全国
でも珍しいそうです。

脇の3階建ての旧家は区の歴史や文化に関係が深く、意匠的、技術的にも優秀であることから区の登録
文化財となっているのだそうです。

新河岸川(しんがしがわ)に架かる志村橋を渡ります。中山道旧道に逸れたところに、この辺りにあっ
たものが集められた舟渡の板碑がありました。


「中山道本町通り」への分岐が見えてくると、蕨宿の入口となります。

戸田橋を渡って先に進むと入口に案内木柱が出迎えてくれます。
中山道の面影を残す旧家があり、景観建築物の指定を受けているとい案内板がありました。
宿場の中央には市立歴史民俗資料館もあり、蕨の歴史がよく説明・保存されていました。この建物の
隣が本陣跡でした。

お昼も過ぎたので、ここでランチタイム。運よく資料館の前に「街道御膳」という限定ランチがあり、
注文。夜は小料理屋さんになるようで、ランチの味も文句なし。人は美味しい食べ物にありつけると
疲れていても元気になるもので、午後は快調な滑り出しとなりました。

宿場内には古い建物も点在していました。薬屋「鈴木薬局」はすでに閉店されているようでしたが、
ギャラリーになっているようでした。


さらに進むと三学院があります。本堂は立派な建物のようですが、私が目に留まったのは子育て地蔵
で、目に味噌を塗ると目の病気にかからないといわれている「目病地蔵」には、現在でも味噌が塗ら
れているようでした。


三学院の先の路地に「はね橋」が残っていました。江戸の時代では飯盛女が、明治に入ってから紡績
工場の女工が逃げ出さないように作られたようでした。(川の面影はありませんでした)


いよいよさいたま市に入ります。一里塚の石碑が立っていました。中山道5番目の一里塚になります。

17号線を横断すると、道は穏やかな坂になり、この坂は焼米坂と呼ばれ、この辺りに「やき米」を
食べさせる茶屋が数件あったようです。

街道を進めると旧家の中に関東大震災や東京大空襲の時に逃げ延びた人々ののどを潤したと案内板に
記録されている「お助け井戸」がありました。今も使われているかどうかは不明ですが。

いよいよ、この日のゴールが見えてきました。浦和宿の手前に鳥居のない神社「調(つき)神社」が
あり、狛犬でなく兎が置かれているのは、「調」が「月」信仰になりウサギと結びついたようです。


ゴールは浦和駅、ここからはJR一本で最寄りの駅まで1時間ほどで帰ることができました。

コメント (4)
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