小さな庭

デジタルな仕事について20数年、だからという訳でもありませんが、アナログな世界に惹かれます。

奥州街道2日目 氏家宿~喜連川宿~佐久山宿~大田原宿

2015-05-11 | 街道歩き

5月3日、ホテルで目を覚ましたら、昨日の歩き疲れか足の筋肉疲労が残っていました。
けれど今日の行程はさらに長く、大田原市までを目指しているので、6時50分ホテルを出発しました。
奥州街道は今までの街道歩きと違い、鉄道が通っている駅が遠く、駅間の距離もあるので、
なんとかその日の予定行程までは辿り着かなくてはならないということになります。

連休の朝早い氏家の町は静かで、豊かな用水路から田んぼに流れ込む水音だけが聞こえてきます。


門がまえの大きな家が続きます。特に立派な長屋門を備えた滝沢家は、明治時代に紡績業を営んだ旧家で
陸軍の大演習が行われたときに明治天皇の休息所であったと、門の前に記録が残っていました。

しばらく続いた家並みが途切れる頃、あたりは田園地帯に変わります。


この先に日本橋から32番目の「狭間田一里塚」があり、民家の敷地内には祠が祭られて現存されていました。
氏家地内には一里塚が2か所あったということですが、1か所は消滅してしまったそうです。

目の前にこんもりとした小高い山道の、弥五郎坂が見えてきました。
この坂は、江戸を出て初めての本格的な坂だったようですが、今では左手にゴルフ場、
右手には喜連川早乙女温泉と書かれた施設がありました。

この山越えは、旧街道からさらに古道を通って行くこともでき、お天気もよかったので山の中へ踏み込んでみました。
木漏れ日が漏れ、滅多に人も通らない木立の中、小鳥たちが頭上を飛び交い、足元ではなんとニリンソウに
出合うことができました。


古道を抜けると細い田んぼの一本道、さあ左か右なのか、地図を見ながら迷っていると、農道を通り過ぎた
軽トラックの農家の方が引き返して来て、親切に現在地を教えてくれました。
土地の方はほんとにみんな親切で、歩いているとよく声をかけてくれます。
農作業の手を休めたおばあさん(?)に、「どこまで行くの」と聞かれ、「大田原まで」と答えたら、
何度も「へぇー、元気だね」と感心され、私は腰を屈めて田んぼに入っているおばあさんの方が
もっと元気ですごいな~と感心しているのにと思いました。
いよいよ喜連川宿へ一息となりました。

荒川に架かる連城橋を渡ると奥州街道20番目の宿場喜連川宿に入ります。

ここは、友人の持つ温泉付きの別荘があり、何度かお邪魔したことがありました。喜連川温泉地として、
近辺には保養センターや国民宿舎もあるようです。
喜連川藩主足利家の菩提樹である龍光寺に寄り、境内には喜連川藩主の廟所が残されていました。

喜連川宿の本陣跡は、現在「街の駅本陣」というコミュニティールームになっていて、建物自体は、大正期に立てられ
現存する警察庁舎として、全国でも珍しいものだそうです。
建物の前庭には自噴している井戸があり、喜連川が地下水の豊かな地であることが理解できます。

喜連川宿は県道74号線と旧奥州街道114号線の追分で、喜連川を後にします。
やがて内川に架かる金竜橋を渡ると、次の宿場佐久山宿に向かいます。

街道の道端にはほっとするような双体道祖神があり、広い庭には鯉のぼりが泳ぎ、一面の田んぼは
今が田植えの真っ盛り、この広大な景色に疲れと暑さに重くなる足もわずかながら軽やかな気持ちにもなります。

この先、街道は緩いカーブを続けながら、長い登り坂になります。当時は険しい峠越えだったのでしょうか。
坂を下りると南和田、曾根田集落と続きます。

さくら市をやっと過ぎて、大田原市へと入ります。
ここは与一の里、あちこちの看板に那須与一が弓を射る絵が目立ち、奥州街道21番目の宿場・佐久山宿に入ります。
佐久山宿は、那須与一の兄泰隆が佐久山城を築いた場所でその城址も残されていました。

                              那須連山が近くはっきり見えるようになってきました。

田んぼは一層広く大きく、ここは栃木の穀倉地帯!この田んぼを見ていると、四季を通して農家の方の丹精込めた
おコメ作りを思います。そしてお米こそが日本ブランド、未来へ向けて大切にしていかなければと思いもしてきます。

佐久山宿を出ると、箒川にかかる岩井橋を渡ります。次の宿場は2日間の街道歩きの最後大田原宿になります。
この街道沿いには道祖神なども多く目立ちました。ただ、ほとんどは風化も激しく読みとれないものでしたが。

箒川一体は豊かな伏流水が湧いているところで、生息しているイトヨ(糸魚)は天然記念物に指定されているもので、
この清流を見ているとうなずけます。

間もなく大田原市親園に入ります。
この地区はかっての間宿でもあり、名木「与一の松」があり、周りも豪農や豪商の佇まいが多く目立ちました。

今日のゴールが間近になってきました。大田原宿に向かい百村川に沿った長い長い一本道が続きます。
実は、この大田原宿への3キロの道のりが私にとっては一番長く辛かったように思いました。
目的地も見えて、気持ちも緩んだのでしょう。

                               武家の守護神 八幡神社

大田原市に入り、この日の行程を終えました。ところが、帰路に着くJR東北本線の西那須野駅へのばす便が
ありません。近くの床屋さんが親切にタクシーを呼んでくれました。
今回の旅は、訪れた土地の方の暖かさに触れた街道歩きでもありました。

コメント (8)
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