小さな庭

デジタルな仕事について20数年、だからという訳でもありませんが、アナログな世界に惹かれます。

日光街道第6回 小金井宿~雀宮宿

2013-11-07 | 街道歩き

日光の紅葉は最盛期に入り、ちょうど見頃を迎えているころでしょうか。
この3連休はお天気がもうひとつはっきりせず、残念な紅葉スポットもあったかと思います。

連休の最終日、空模様を気にしながら日光街道を栃木県下野市小金井から宇都宮市雀宮まで歩いてきました。
朝、雨が降っていたのですが「午前中には曇りから薄日が射し夕方から雨」という天気予報を信じて出発、
このピンポイント天気予報はほぼ正確にあたり、JR宇都宮線小金井駅に下りた頃には雨も止んでいました。

小金井宿
この日の街道歩きは、ほぼ国道4号線(現在の日光街道)をまっすぐひたすら歩くことになっていました。
小金井は、奈良時代には下野国の国分寺が置かれていたほど古くから開けた地で、4号線沿いの街並みも
旧家の趣が残っている雰囲気がありました。

小金井一里塚は、日光街道中旧道の両側に塚が残り、ほぞ完存していることから唯一日光街道で国の史跡に
指定されている一里塚です。榎とくぬぎの大木が当時を物語っています。


街道には歴代将軍が日光社参詣時に休憩した格式のある古刹も多く見受けられました。
慈眼寺の境内と、高さ11メートルに彫刻も施されている鐘楼、灯篭には葵の御門も入っていました。


金井神社(写真上):小金井宿の鎮守には七五三参りの旗がはためいて、神社も着飾っているように見えました。
薬師堂:歴代の住僧の卵塔や地蔵などが残る
(写真下)当時の門が残されている本陣跡と旧家

小金井宿を抜けると、街道の右側に自治医大の大きな建物が見えてきました。
ただ旧街道は4号線の西側に残され、住宅と畑の中をまっすぐ農道の中を進みます。コスモスが咲き乱れ、
農家の庭先の柿はたわわに実り、白菜の収獲が始まり、牧歌的な風景が広がっていました。
2キロほど続く旧街道はやがて林に阻まれ、再び現日光街道に入ります。


石橋宿
国道352号線の高架下に10体の夕顔橋の石仏群があり、崩れそうな石仏群は屋根をつけた個所に集められ、
風雨から守られていました。夕顔という名前からも、ここ石橋がかんぴょうの特産地であることがわかります。
道路の標識に宇都宮の名前がでてきました。


このあたりから日光道中15番目の宿場石橋宿に入ります。ちょうどお昼になって、石橋駅にも近かったので
駅前のお蕎麦屋さんに入りました。知らない土地の駅前の食堂に入るのはとても楽しみの一つで、
遠い地に来た感じがします。
私が卵あんかけそば、夫は鴨南蛮そば、2品ともこの量で、お蕎麦は太麺、私は食べても食べてもその量が
減らず、蕎麦大好きの夫でさえ、最後を残すと言う、その盛りの多さにギブアップでした。


昼食後は満腹なお腹を抱えて、国道に戻ります。本陣跡、脇本陣跡はここ石橋駅の近くにあったようです。


愛宕神社(写真上):石橋宿の産土神で759年に創建、境内には天照大神、八坂大神、スサノオノミコト、
熊野大伸の4社が祀られています。
開運寺(写真下):かって将軍家の日光社参時の休息所にもなったお寺で、塀に丸や四角の穴が開けてあるのは、
銃眼や矢狭間といって、その警備のためのものだったそうです。

街道筋の家に、大谷石を使った塀や蔵が目立ってきました。軽く、耐火性に優れ、採掘量を誇る宇都宮市大谷町に
近くこのあたりから建築にたくさん使われているようでした。


北関東自動車道の下を潜ると、日本橋より24番目の下古山一里塚があるようですが見付けることはできませんでした。

雀宮宿
宇都宮市に入りました。16番目の宿場・雀宮宿に入ります。天気予報通り雲行きが妖しくなってきました。
左側に広大な場所の陸上自衛隊の宇都宮駐屯所を通り過ぎます。日本橋から99キロ地点を通過します。
JR宇都宮線雀宮駅近くに雀宮本陣跡、道路右側に脇本陣跡を確認して、雨も降り出したので、第6回目の街道歩きは
ここまでとなりました。

来月は木枯らしも吹く季節、果たして寒風の中歩くことができるのか、
多分、現代の街道旅は来年の春に持ち越しとなることでしょう。

コメント (8)
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