夏の強い日差しのもとでは、萎んでいて、なかなか咲いている時にはお目にかかれないけれど、夕方鳴くカナカナの鳴き声が、心なしかトーンが落ちてきたかなと思われる夏の夕暮れ、ふと咲いているのに気がつく花「宵待草」。
月の明るさに冴え、透き通るような黄色のこの花は、植物学的には「待宵草」と呼ばれているのだそうです。
ただ、子供の頃は「月見草」と呼んでいました。とてもシンプルな呼び名だと思います。大人になってからは、竹久夢二の「待てど暮らせど来ぬ人を宵待草のやるせなさ」で歌われた言葉の響きから、私の中ではいつしか「月見草」から「宵待草」に呼び名が変わっていったように思います。
その花の持つ情景が、時代とともに花の呼び名をも変えてしまうものかと、昔と変わらぬ花を見ながら思いました。
月の明るさに冴え、透き通るような黄色のこの花は、植物学的には「待宵草」と呼ばれているのだそうです。
ただ、子供の頃は「月見草」と呼んでいました。とてもシンプルな呼び名だと思います。大人になってからは、竹久夢二の「待てど暮らせど来ぬ人を宵待草のやるせなさ」で歌われた言葉の響きから、私の中ではいつしか「月見草」から「宵待草」に呼び名が変わっていったように思います。
その花の持つ情景が、時代とともに花の呼び名をも変えてしまうものかと、昔と変わらぬ花を見ながら思いました。