今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

久々の鎌倉:東慶寺から扇ヶ谷

2023年02月18日 | 東京周辺

武士の都・鎌倉(神奈川県鎌倉市)は高校時代に好きになって、市内のほとんどの寺社・名所は巡ったが、当時は公開に消極的な寺が多く、拝観できない仏像があった。

”縁切寺”で有名な東慶寺の水月観音も敷居の高い仏像で、拝観するには特定日に事前申し込みが必要だったが、現在は毎月18日に一般公開されるようになり、在京していた本日、満を持して東慶寺に向かった。
久々の鎌倉なので、周辺の寺にも訪れたい。


横須賀線の「北鎌倉」で降り、まずは昔からある駅前の蕎麦屋(立ち食いチェーン店でなく、かといって気取ってもいないリーズナブルな)「やま本」で腹ごしらえ。
北鎌倉駅は円覚寺(鎌倉五山二位)の境内にあるようなロケーションだが、降りた客がそぞろ向かう円覚寺にはあえて目もくれず(入ると時間を要するから)、第一目的の東慶寺に向かう。
※:昔は尼寺で、夫と別れたい女性が逃げ込んでここで修行の身なれば女性からの離婚が認められたので"縁切り寺"として有名。
このあたりは山ノ内といい、狭義の鎌倉(幕府が置かれた平地)を囲む山の外側だ。


東慶寺は、水月観音の公開日なのに、拝観料を取らない。
ただし境内は全面的に撮影禁止。
すなわち”観光寺院”になることを拒否し、あくまで宗教施設としての寺であろうとしている。

まずは仏殿で本尊を拝み、廊下を渡った和室で水月観音を拝む。
小ぶりながら、姿勢を崩してリラックスするその姿は日本の観音像では珍しく、美術的には”県指定”文化財レベルながら、多くの人に慕われている。

和室でゆったりできることもあり、座り込んで心いくまで拝観できた。
あと別の堂で似た雰囲気の聖観音も拝観できる。
寺の奥には有名人がたくさん眠る墓地があり、さすが鎌倉の墓は、有名人でなくても五輪塔だったり、石仏も質が高い。


次に、鎌倉五山第四位の浄智寺を訪れる(拝観料200円。案内パンフをくれる)。
ここは山門が個性的で、あと仏殿裏の竹林(写真)とやぐらの風情もいい。

浄智寺の奥の道を進んで山に入り、稜線を乗越して、踏み跡程度の滑りそうな道を慎重に下ると、鎌倉の内側の扇ヶ谷(おうぎがやつ)に降り立つ。
室町時代に関東管領職を務めた上杉氏の一門で、江戸城を造った太田道灌の主人・扇谷上杉氏の居館があった地域(その碑もある)。

鎌倉は、普通の民家ですら、立派な玄関と茶室のような趣きある和風建築が多く、寺がなくても格式ある雰囲気を維持している。
なので、寺と寺との間も飽きずに散策を楽しめる。


政子と頼朝の愛娘で若くして亡くなった大姫のために建てられたという岩船地蔵堂を参拝し、さらに進んだ住宅地の中にある浄光明寺(拝観料など同上)では、受付の人の詳しい解説付きで、土紋のついた重要文化財の阿弥陀如来を拝む。
※:土に漆を混ぜて模様の型にはめて仏像の衣や膝などに貼り付ける、鎌倉地方独特の装飾法
ここの阿弥陀如来は、中品(ちゅうぼん)という胸の前で印を結ぶ珍しい形態で、鎌倉で好きな仏像の1つ。
そのほか本堂の三世仏(弥勒、釈迦、阿弥陀)を拝み、また観音堂の千手観音、不動堂の不動明王もガラス越しに拝めた。


横須賀線の踏切を越えた側にある現在唯一の尼寺英勝寺は、以前は入れなかったが、今回は拝観(同上)できた。
※:英勝寺も東慶寺同様格式高い尼寺だった。

山門と仏殿が重要文化財で、仏殿の本尊(阿弥陀)はガラス窓を開けて拝む。
ここも裏に竹林が整備されていて、石塔が配置されていたり、また木で削ったベンチもあり一服するのによい(写真:座って水筒に詰めてきた茶を飲んだ)。

こんな感じで、鎌倉の寺もずいぶん開放的になってくれて嬉しい。
だが次の鎌倉五山第三位すなわち建長寺・円覚寺に次ぐ寺格の寿福寺は、相変わらず門から先に入れなかった。
ただ裏山の墓地にある北条政子と実朝の墓には行くことができた。


実は上記のいずれも高校時代に訪れた寺なのだが、この扇ヶ谷界隈に新たな観光スポットが誕生した。
鎌倉歴史文化交流館である(写真)。
ここはいわゆる郷土博物館だが、鎌倉市のそれなので建物も立派(写真:入館料400円)。
そう、今回は”郷土博物館巡り”も兼ねていたのだ。
「鎌倉殿の13人」にちなんで北条氏の特別展をやっていた。

ここから坂を下って鎌倉駅に達する。
やって来た電車は、湘南新宿ラインの古河行き。
なんと鎌倉から古河へ直通なんて、室町時代の関東公方の移転を彷彿させる。
それに乗って途中の江戸で降りた。

東鎌倉を巡る