今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

立春は1年で最も重要な日だった

2023年02月03日 | 歳時

節分の翌日が立春。
いや正しくは、立春の前日が節分で、日にちの決定権は立春の方にある。
立春は、冬至と春分の間の中日だから、地球の公転によって若干の誤差が発生するため。

お天気番組では明日の立春を「こよみの上で春」と言いうも、北海道の流氷が着岸したばかりで、本格的な寒気はむしろこれからの雰囲気。

その「こよみ」では、冬至・春分・夏至・秋分を四季の頂点とし、それらの中日を立春・立夏・立秋・立冬として機械的に季節を分割している。
なので「こよみ」上の季節(四季)は太陽光の周期によるものであって、それと位相がずれる気温の周期ではない。
この位相のずれが地球の公転上の「こよみ」と人間の季節感のずれに相当する。

さて、立春が、春の初日というわけだが、実は我々は立春よりも一ヶ月も前に「春」を謳っている。
1月の正月を「新春」と称して祝っているではないか。
なぜか。

1月1日は、冬至から10日ほど後の、どう考えても(気温ではなく太陽光の基準でも)厳冬期で、春の兆しなんてない。
なぜ厳冬期の正月を初/新”春”というのか。

それは、大昔は、立春が正月元日だったから。
つまり、立春こそ1年の始まりの最も大切な日だったのだ。
立春なら、寒さこそ厳しいが日も伸びて春の兆しくらいは感じられる(梅もそろそろ)。

立春が正月元日だったから、その前日の「節分」、すなわち”季かれ目”は本来なら年に4回あるのだが、大晦日の節分(冬→春)が年も切り替わるので最も重要だった。
なので大晦日の節分の行事(だけ)が、今でも立春の前日に残っているわけ。
その行事は、”追儺(ついな)”あるいは鬼やらい”といって、冬(陰)の邪気としての鬼に春(陽)のエネルギーの豆を投げて追い払う行事。
というわけで、節分の豆まきは、陰陽論に即した日本の伝統文化なので、少々馬鹿馬鹿しい気がするものの、一応私も実行する。
※:スーパーに行くと、大豆だけでなく落花生も同じコーナーに売っている。一部地域では落花生を撒くらしい。

ただし伝統文化でもなんでもない”恵方巻”はハナから無視する。
もっとも、豆まきしかない節分を、食で楽しく盛り上げる方向性には賛成(その方向性で七夕を素麺で盛り上げてほしい)
大晦日としての節分にふさわしい食は、”年越しそば”に相当する”節分そば”かな。
節分そばは、シンプルな”もり”ではなく、温かい”かけ”に春の具材をふんだんに載せたい。


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