今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

渋谷の博物館巡り

2023年02月09日 | 東京周辺

ローカルな郷土博物館(ミュージアムとして美術館等も含む)巡りは、気楽に行けて大した費用もかからず、それでいて日頃にない情報に接して、充実した時間を過ごせるので、毎回楽しみしている。

東京では山手線内から巡っていこうとしたが中心部の千代田区には無いので、池袋・新宿そして港区を巡った。→記事
同じ山手線の渋谷を残しておいたのは、ここには博物館が集中していてここだけで1日を要し、しかもそのうちのいくつかが週末閉館で月曜以外の平日しか行けないため、通常の帰京スケジュールでは回れなかったから。
2月はウイークデーに東京にいられるので、降雪予想の前日の今日、渋谷の博物館巡りを挙行した。

まずは駅そば(蕎麦)で腹ごしらえをしたいのだが、渋谷駅といえば「渋そば」だったのに、駅の改装に伴って無くなってしまった。
仕方なしに地元駅の駅そばを食べて、改装工事が終わっていない渋谷で降り、渋谷区が運行するハチ公バスに乗る。


「郷土博物館・文学館」で降りて、目の前の渋谷区立の白根記念郷土博物館に入る。

高齢者割で入館し、2階に上がると、まずはナウマン象の化石(レプリカ)。
渋谷区は人類より先にナウマン象が住んでいたのだ。
旧石器〜弥生・古墳までの出土品はある程度あるものの(区内に古墳が3つ)、いわゆる古代は都内区部の例に漏れず展示する情報に乏しい(話題になる地域ではなかったので文献史料がない)。
渋谷の地名が出くるのは、戦国の小田原北条氏の支配から。
江戸時代になると、江戸の郊外としての存在感が出てきて、また大山街道(今の国道246)の起点としての役割も出てくる。
明治になって山手線が開通し、さらに玉電・井の頭線、そして地下鉄銀座線が開通することで、新しいターミナルとして発展し始める(関東大震災によって、一番の繁華街・浅草が衰退し、下町から会社が移転してきた)。
※:最初の地下鉄銀座線は、浅草-日本橋-銀座-表参道-渋谷と、山手線では行けない東京の繁華街を結ぶ。

地下の文学館に行くと、渋谷に縁のある文学者がずらりと紹介してある。
その中で、渋谷で生まれずっと渋谷で活動した生粋の渋谷っ子は、平岩弓枝(放送作家として有名だが直木賞受賞者)と奥野健男(文学評論家)の二人。
あと唱歌「春の小川」は高野辰之が渋谷区内の川(河骨川)を散策して作詞したという。

1時間ほどでここを出て左に進む。


あたりは國學院大学のキャンパス区域となり、その一角にある國學院大学博物館に入る(無料)。
企画展示は源氏物語の物語絵で、常設展は神道と考古学(縄文土器のコレクションがすごい)。
ミュージアムショップもある。
この大学は、大学としては中堅所の印象だが、神道に関してはトップ(教育の中心)で、その意味では貴重な存在意義がある。
そんな個性ある大学が運営する博物館だから、同業者として羨ましい限り。
キャンパスの向かい側の敷地には「神殿」とされる神社があり(写真)、参拝する。


氷川神社に沿って進むと、特徴のある古い建物があり、入り口に閉眼した塙保己一の像がある(右下写真)。
温故学会が運営する塙保己一史料館だ。
建物の中に入り募金箱に100円入れると、右の倉庫から人が出てきて、こちらに来いという。
そちらに行くと、そこは塙保己一が生前に編纂した『群書類従』の版木がずらりと(17244枚)保管してあり、それらを目の当たりにできる。
江戸時代中期に盲人ながらそれまでの国書を集大成した『群書類従』の編纂は我が国最高峰の業績で、私も武家礼法の研究でお世話になった(もちろん活字版で)。
これらのオリジナルの版木は国の重要文化財で、建物も文化財となっている。
この貴重な史料館を運営する温故学会は、同じ埼玉出身の渋沢栄一が創立したもので、ここにはヘレン・ケラーも来館した。
パンフによると、ケラーは母から「塙先生をお手本にしなさい」と言われて育ったという。
※:塙(はなわ)姓って埼玉に多い気がする。


ここから都立広尾高校の外郭に沿って進むと、山種美術館に達する。
今は特別展「日本の風景を描く」をやっていて、江戸時代の歌川広重の東海道五十三次の風景版画から、大雅・文晁、大観・玉堂、魁夷そして現代の田渕俊夫までの風景画62点を堪能(入館料1300円)。
ミュージアムショップで、川合玉堂の「早乙女」と石田武の奥入瀬渓谷の絵ハガキを買った。

ここから都バスに乗って恵比寿駅に向かった。
以上の4軒の訪問先は近距離に並んでいていっぺんにまわれた(しめて4時間)。
このうち郷土博物館と美術館は月曜が休みで史料館が土日休みなので、火〜金の間にまわるしかないのだ。