今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

夏休みの宿題のやり方

2010年08月10日 | 時事
愛聴しているポッドキャスト番組「タチヨミスト橘しんごの雑誌チェック」の8月10日の放送で、
雑誌『文芸春秋』の記事
「夏休みの宿題で人生が決まる 目からウロコの”残念な人”分類学」
なるものが紹介された。
それによれば、小学生の夏休みの宿題をどうこなすかには4パターンがあり、
このパターンは大人になってからの仕事の仕方に影響するらしい。

私はいえば、ドリルは7月中に終らせていた。
これを「先行逃げ切り型」という。
このタイプは経営者向きだが、石橋を叩いて渡るので、
躊躇のあまりビッグチャンスを逃がす欠点があるとか。
なるほど、思い当たる。

そもそも自分がこの行動パターンを選んだのは、
夏休み本番たる8月を勉強から完全に開放されたかったから。
確かに、このパターンは、今でも仕事に使っている。
とにかく精神に重圧を与える仕事は早めに終えて、
何の憂いもない自由時間をきっちり確保するのを旨としている。

実際、今月20日締切の前期の成績つけを(再試の課題を含め)今日終えて、
明日以降の”お盆休み”を、何の憂いもなく過せるようにした。
早めに作業を終えるのは、不測の事態に対応するために自由時間を作っておくという意味もある。

ドリルはこのように堅実にさばく一方で、「自由研究」はまったくやらなかった。
”自由”研究なのだから、やらない”自由”もあると決めつけて完全に無視した。
むしろ、何人もの男の子が必ずやってくる”昆虫の標本”の自由研究には否定的で、
あんなに罪もない虫を殺すくらいなら何もやらない方がましと思っていた。

かように私は、幼少時から精神の自由を守ることには妥協しなかった。
幼稚園で、太陽を赤い色で塗れと指示した先生の言うことを聞かず、
太陽は、自分の知覚に忠実に薄い黄色で塗り続けた。
正直、人生で太陽が真っ赤(=血の色)に見えたことは一度もない。

小学校では、なぜかシャープペンシルの使用が禁止されていたが
(小学1年の甥っ子によれば、今でもそうだという)、
鉛筆より便利なこれを使わない理由がわからないので(長期的には安上がり)、
先生の指示を無視してシャーペンを使い続けた。
なのでシャーペンと出会った小学校3年以降、私は鉛筆とは無縁。

文部省・文科省には、シャーペンが大嫌いで鉛筆が大好きな勢力が隠然と実権を握っているらしく、
大学入試のマークシートも、私が受験生の頃は、シャーペンで記入したが
(もちろん「鉛筆で記入しろ」と指示されていたが無視)、
今では太めの鉛筆でないと記入できない仕組みになっている。
そうまでして小~大学生に鉛筆を使わせたいらしい。