今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

岩槻ぶらり旅

2010年08月19日 | 東京周辺
今年の我がぶらり日帰り旅のテーマは、”埼玉の城址巡り”。
優先すべき仕事が終り、頭をボーッとする気分転換も終ったので、
いよいよこれにとりかかりたい。
今回行くのは、岩槻(いわつき)城址。

もっとも、暑い日ざしの下を歩く気はしないが、
天気予報によれば、今日は「曇りのち雨」。
日差しのない雲の下なら歩く気になる。
雨が降る前に終ればいい。
本当は今日あたり蒲団干しをしたかったのだが、
雨が予報されているので干さずに出発。

岩槻へは大宮から東武野田線に乗り換える。
そういえば東武野田線て乗るのが初めて。
東京の中に住んでいる者にとっては、武蔵野線とか東武野田線とか国道16号とか、
東京の外周ルートは使う機会がない。

岩槻駅を降りると、ここは人形(雛人形、五月人形)の里であることがわかる。
”東玉”の大店舗だけでなく、中小の人形店もあちこちにあるし、
人形の修理専門の店まである。
でも疑問なのは、雛人形も五月人形も、家一件につき、
一生の間で子どもの数だけの購入回数で終るのではないか。
しかも今は少子化の世。
一家族あたり購入回数は1回少々。

それとも岩槻の住民だけは、毎年、雛人形と五月人形を買い替えるのか。
それだとしても、年に1、2回しか用がない。
とくに6月以降は、超閑散期なのではないか。
などと、余計な心配をしてしまう。

心配はするが、人形には興味がないので、駅前の人形博物館には寄らず、
町中の史跡巡りに入る。
といっても岩槻の観光地図など持っておらず、手にあるのはハンディGPSのみ。
適当に路地を通り抜けていくと、最初の目当ての「遷喬館」に行き当たった。

ここは岩槻藩の藩校跡で、建物がしっかり残っている。
受け付けにいたおじさんが、一緒に館中に入って丁寧に説明してくれる。
ついでに、市内(正しくは岩槻は今は単独の市ではなく、さいたま市岩槻区)
の散策マップもくれて、他の史跡についても情報を提供してくれた。

私が歩いてまわることを知ると、貸自転車のサービスがないことを残念がっていた。
確かに、行田市は駅前で無料の貸自転車に乗れてとても良かった。
そのことを話すと、「放置自転車を処分しながら、そういうことに利用しないから…」と
観光客への行政の対応のなさを嘆いていた。
観光客とじかに接している人ならではの感想だ(岩槻区役所の人、お願いします)。
こういう地元の歴史に詳しい人から話を聞くのが一番いい。
それも含めて感謝の礼をのべて、次に向う。

次は「時の鐘」(上写真)。
時の鐘といえば、川越のそれを思い出すが、こっちはなんともほぼ放置状態。
脇にある立派なイチョウの木の由来を、さっきのおじさんに教えてもらっていたのはよかった。

そういえば川越は町全体が観光地としての対応ができていた。
行田も貸自転車などサービスが行き届いている。
岩槻も、もう少し頑張ってほしい。

次は浄安寺。
曇りという予報とは裏腹に、強い日射の下、ミンミンゼミの声が響く。
まさに真夏の昼下がりの情景。
歩いている人なんていない。

うだる暑さでも、寺の境内ならそれなりの風情がある。
でも自動車道路を歩くのはつらい。

どこかで昼食をとりたい。
せっかくなら、地元の名物がいい。
なので、道すがらにあった更科や喜多方ラーメンはパス。
でもこのあたりは他に食べる店が見当たらない(駅から遠いので)。

仕方なしに、道路脇の大きなスーパーに入って、
麻婆豆腐と麻婆茄子の小ぶりのミックス弁当とスポーツドリンクを買って(レジで割箸をもらう)、
弁当をレジ脇のレンジでチンして、そばのテーブル席にすわって、
プラスチックの蓋を開けて、麻婆弁当を箸で頬ばる(箸では食べにくい)。
風情もへったくれもないが、地元の人が使うスーパーで、
地元の人が買う弁当を食べるということでよしとしよう。

さていよいよ岩槻城址へ向かう。
発掘調査をしている広場をすぎ、公園風の所に市民会館があり、
そこのレストランが名物「豆腐ラーメン」をアピール。
ここにすればよかった…。

岩槻城の名残として唯一残っている黒門を見て、戦国時代の跡らしい「新曲輪」を歩く。
岩槻城の本丸など本体部は、今は住宅地になってしまって、
城跡して残っているのは、端っこ部分だけだという。
新曲輪はその端っこ部分。

ここから南下して、越谷行きのバスで越谷に行くつもりであったが、
国道16号に出てもバス停が見当たらない。
実は、バスが通る道を確認していなかった。
このまま交通量の多い16号を歩くのはいやなので、路線バスが通りそうな別の道を歩く。

今回一番避けたかったのは、灼熱の日差しの下、日陰のない車道を延々歩くこと。
今、心ならずもそれをやるはめに…。
もっとも晴雨兼用の傘を差しているが(今日は雨用に持ってきたつもり)。

もう越谷行きのバスはあきらめて(ホントは越谷の温泉に行く予定だった)、
岩槻駅に戻ることにした。
自販機で炭酸飲料を買って水分を補給しながら、駅までの道を引き返す。
ついでだから、岩槻探訪に徹して、行く予定のなかった所もまわろう。

というわけで、駅を通り越して、郷土資料館に入る。
私が一番知りたかった戦国期の岩槻城についての説明などがあり、
ここを最初に訪れた方がコース的に望ましかったことを痛感。
つまりこういう史跡情報が詰った場所を最初に訪れれば、
おのずと探訪コースが決まるというもの。
ここで『岩槻城と城下町』なる冊子を買う。

私が興味あるのは江戸時代の岩槻藩ではなく、戦国期の太田氏の居城としての岩槻。
その墓所があるのが、資料館と駅の間にある芳林寺。
当初はここは行く予定になかった。
でも遷喬館のおじさんと郷土資料館の説明で、
私にとって見逃せないのはここだということがわかった。

芳林寺境内には、戦国時代の岩槻城主太田氏資(うじすけ)の墓所があり、
さらには氏資の銅像だけでなく、
最近できた太田道灌の騎馬姿の立派な銅像まである。
道順からいって、駅に近いここを最初に訪れるべきだった。

今回は、事前に探訪ルートをきちんと設定しなかったのがまずかった。
結果的に余計に歩いてしまった。
昼食用の店のチェックを怠ったのも悔しい。
正直、岩槻って、観光地という意識がなくて、いまいちその気になれなかった。

それに、曇りで雨降るっていう天気予報も恨みたい。
蒲団干しておけばよかったし。