今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

子どもの命を守る社会システム

2010年08月06日 | 時事
子どもは親たる男女の意思とは無関係にできてしまうものである。
なので不本意にできてしまって、子どもを産みたくない・育てたくない人というのは
いつの時代にも存在した。
子育ての能力や気持ちのない者が親になってしまうのは、社会的には避けられない
(そういう者ほど避妊の知識も実行力も乏しいため)。

その一方で、子どもがほしくてもできない人も存在していたため、
多くの社会では、養子縁組制度ができて、
子どもは不要視する者から歓迎する者へ、譲り渡された。

日本では、家の存続が最優先だったため、
跡継ぎのいない家では当然のごとく養子が迎入れられた。
名君と名高い米沢藩主・上杉鷹山も養子である。
すなわち、親子の血縁にこだわることは不可能であった。

また欧米では、持てる者は、より多くの子どもを養うという倫理があり、
そのため、芸能人などが、特に外国の難民の子などを引き取って養子にしている。
ここにも血縁にこだわらない発想がある。

「赤ちゃんポスト」が出来た時、反対した人がいた。
安易に子捨ての風潮が広がるという理由で。
その発想は、避妊具を配布すると、性道徳が乱れるという発想と同じ。
実にうすっぺらい視点だ。
命の重さとくらべて。
性道徳が乱れて、望まない妊娠が増えているから、避妊具の配布が必要なのに。
嬰児殺しがあるから、赤ちゃんポストが必要なのに。

かように養子制度は、子どもの命を守る社会システムなのだが、
日本ではだいぶ機能しなくなっている。
不妊治療の進歩に伴い、親子の血縁へのこだわりが強くなったためでもある。
個人的には、人工授精ならいいが、代理出産はやりすぎだと思う。

アメリカでは、望まない妊娠でも、堕胎せずに養子縁組みをするというシステムが確立されている。
なぜこのようなシステムがあるのか。
性道徳の改善と”今ある命”とどちらを優先すべきか、
どちらが緊急の問題か、答えが決まっているからだ。
人の命より優先すべき事など、地球(=過去~未来の全生命の合計+α)の運命以外にはない。
(「人間1人の命は地球より重い」という矛盾する妄言を何も考えずに口する者がまだいるらしい)。

子どもを育てたくない・育てられない親は、
合法的に子育てを放棄できる養子縁組制度が機能しなくなっているため、
苦痛な子育てのストレス状態から脱する事ができなくなっている。
ストレスの矛(ほこ)先は、当然、当の子どもに向う。
そして子どもは、まだ愛し慕う事しかできない実の親によって虐待され、見捨てられ、殺される。

現政権の主張は、子どもは社会で育てるのことではないのか。
確かに、子は親の所有物ではないし、子は親を選べない。
ならば「子ども手当」や「高校無償化」より、今ある子どもの命を救うことが優先されるべきだ。
少子化対策として、最も直接的ではないか。

幼児虐待の根本原因とやらを云々する暇があったら、
一刻でも早く、子どもを救う社会システムの確立を急ぐべきだ。