今年の我がぶらり日帰り旅のテーマは、”埼玉の城址巡り”。
優先すべき仕事が終り、頭をボーッとする気分転換も終ったので、
いよいよこれにとりかかりたい。
今回行くのは、岩槻(いわつき)城址。
もっとも、暑い日ざしの下を歩く気はしないが、
天気予報によれば、今日は「曇りのち雨」。
日差しのない雲の下なら歩く気になる。
雨が降る前に終ればいい。
本当は今日あたり蒲団干しをしたかったのだが、
雨が予報されているので干さずに出発。
岩槻へは大宮から東武野田線に乗り換える。
そういえば東武野田線て乗るのが初めて。
東京の中に住んでいる者にとっては、武蔵野線とか東武野田線とか国道16号とか、
東京の外周ルートは使う機会がない。
岩槻駅を降りると、ここは人形(雛人形、五月人形)の里であることがわかる。
”東玉”の大店舗だけでなく、中小の人形店もあちこちにあるし、
人形の修理専門の店まである。
でも疑問なのは、雛人形も五月人形も、家一件につき、
一生の間で子どもの数だけの購入回数で終るのではないか。
しかも今は少子化の世。
一家族あたり購入回数は1回少々。
それとも岩槻の住民だけは、毎年、雛人形と五月人形を買い替えるのか。
それだとしても、年に1、2回しか用がない。
とくに6月以降は、超閑散期なのではないか。
などと、余計な心配をしてしまう。
心配はするが、人形には興味がないので、駅前の人形博物館には寄らず、
町中の史跡巡りに入る。
といっても岩槻の観光地図など持っておらず、手にあるのはハンディGPSのみ。
適当に路地を通り抜けていくと、最初の目当ての「遷喬館」に行き当たった。
ここは岩槻藩の藩校跡で、建物がしっかり残っている。
受け付けにいたおじさんが、一緒に館中に入って丁寧に説明してくれる。
ついでに、市内(正しくは岩槻は今は単独の市ではなく、さいたま市岩槻区)
の散策マップもくれて、他の史跡についても情報を提供してくれた。
私が歩いてまわることを知ると、貸自転車のサービスがないことを残念がっていた。
確かに、行田市は駅前で無料の貸自転車に乗れてとても良かった。
そのことを話すと、「放置自転車を処分しながら、そういうことに利用しないから…」と
観光客への行政の対応のなさを嘆いていた。
観光客とじかに接している人ならではの感想だ(岩槻区役所の人、お願いします)。
こういう地元の歴史に詳しい人から話を聞くのが一番いい。
それも含めて感謝の礼をのべて、次に向う。
次は「時の鐘」(上写真)。
時の鐘といえば、川越のそれを思い出すが、こっちはなんともほぼ放置状態。
脇にある立派なイチョウの木の由来を、さっきのおじさんに教えてもらっていたのはよかった。
そういえば川越は町全体が観光地としての対応ができていた。
行田も貸自転車などサービスが行き届いている。
岩槻も、もう少し頑張ってほしい。
次は浄安寺。
曇りという予報とは裏腹に、強い日射の下、ミンミンゼミの声が響く。
まさに真夏の昼下がりの情景。
歩いている人なんていない。
うだる暑さでも、寺の境内ならそれなりの風情がある。
でも自動車道路を歩くのはつらい。
どこかで昼食をとりたい。
せっかくなら、地元の名物がいい。
なので、道すがらにあった更科や喜多方ラーメンはパス。
でもこのあたりは他に食べる店が見当たらない(駅から遠いので)。
仕方なしに、道路脇の大きなスーパーに入って、
麻婆豆腐と麻婆茄子の小ぶりのミックス弁当とスポーツドリンクを買って(レジで割箸をもらう)、
弁当をレジ脇のレンジでチンして、そばのテーブル席にすわって、
プラスチックの蓋を開けて、麻婆弁当を箸で頬ばる(箸では食べにくい)。
風情もへったくれもないが、地元の人が使うスーパーで、
地元の人が買う弁当を食べるということでよしとしよう。
さていよいよ岩槻城址へ向かう。
発掘調査をしている広場をすぎ、公園風の所に市民会館があり、
そこのレストランが名物「豆腐ラーメン」をアピール。
ここにすればよかった…。
岩槻城の名残として唯一残っている黒門を見て、戦国時代の跡らしい「新曲輪」を歩く。
岩槻城の本丸など本体部は、今は住宅地になってしまって、
城跡して残っているのは、端っこ部分だけだという。
新曲輪はその端っこ部分。
ここから南下して、越谷行きのバスで越谷に行くつもりであったが、
国道16号に出てもバス停が見当たらない。
実は、バスが通る道を確認していなかった。
このまま交通量の多い16号を歩くのはいやなので、路線バスが通りそうな別の道を歩く。
今回一番避けたかったのは、灼熱の日差しの下、日陰のない車道を延々歩くこと。
今、心ならずもそれをやるはめに…。
もっとも晴雨兼用の傘を差しているが(今日は雨用に持ってきたつもり)。
もう越谷行きのバスはあきらめて(ホントは越谷の温泉に行く予定だった)、
岩槻駅に戻ることにした。
自販機で炭酸飲料を買って水分を補給しながら、駅までの道を引き返す。
ついでだから、岩槻探訪に徹して、行く予定のなかった所もまわろう。
というわけで、駅を通り越して、郷土資料館に入る。
私が一番知りたかった戦国期の岩槻城についての説明などがあり、
ここを最初に訪れた方がコース的に望ましかったことを痛感。
つまりこういう史跡情報が詰った場所を最初に訪れれば、
おのずと探訪コースが決まるというもの。
ここで『岩槻城と城下町』なる冊子を買う。
私が興味あるのは江戸時代の岩槻藩ではなく、戦国期の太田氏の居城としての岩槻。
その墓所があるのが、資料館と駅の間にある芳林寺。
当初はここは行く予定になかった。
でも遷喬館のおじさんと郷土資料館の説明で、
私にとって見逃せないのはここだということがわかった。
芳林寺境内には、戦国時代の岩槻城主太田氏資(うじすけ)の墓所があり、
さらには氏資の銅像だけでなく、
最近できた太田道灌の騎馬姿の立派な銅像まである。
道順からいって、駅に近いここを最初に訪れるべきだった。
今回は、事前に探訪ルートをきちんと設定しなかったのがまずかった。
結果的に余計に歩いてしまった。
昼食用の店のチェックを怠ったのも悔しい。
正直、岩槻って、観光地という意識がなくて、いまいちその気になれなかった。
それに、曇りで雨降るっていう天気予報も恨みたい。
蒲団干しておけばよかったし。
優先すべき仕事が終り、頭をボーッとする気分転換も終ったので、
いよいよこれにとりかかりたい。
今回行くのは、岩槻(いわつき)城址。
もっとも、暑い日ざしの下を歩く気はしないが、
天気予報によれば、今日は「曇りのち雨」。
日差しのない雲の下なら歩く気になる。
雨が降る前に終ればいい。
本当は今日あたり蒲団干しをしたかったのだが、
雨が予報されているので干さずに出発。
岩槻へは大宮から東武野田線に乗り換える。
そういえば東武野田線て乗るのが初めて。
東京の中に住んでいる者にとっては、武蔵野線とか東武野田線とか国道16号とか、
東京の外周ルートは使う機会がない。
岩槻駅を降りると、ここは人形(雛人形、五月人形)の里であることがわかる。
”東玉”の大店舗だけでなく、中小の人形店もあちこちにあるし、
人形の修理専門の店まである。
でも疑問なのは、雛人形も五月人形も、家一件につき、
一生の間で子どもの数だけの購入回数で終るのではないか。
しかも今は少子化の世。
一家族あたり購入回数は1回少々。
それとも岩槻の住民だけは、毎年、雛人形と五月人形を買い替えるのか。
それだとしても、年に1、2回しか用がない。
とくに6月以降は、超閑散期なのではないか。
などと、余計な心配をしてしまう。
心配はするが、人形には興味がないので、駅前の人形博物館には寄らず、
町中の史跡巡りに入る。
といっても岩槻の観光地図など持っておらず、手にあるのはハンディGPSのみ。
適当に路地を通り抜けていくと、最初の目当ての「遷喬館」に行き当たった。
ここは岩槻藩の藩校跡で、建物がしっかり残っている。
受け付けにいたおじさんが、一緒に館中に入って丁寧に説明してくれる。
ついでに、市内(正しくは岩槻は今は単独の市ではなく、さいたま市岩槻区)
の散策マップもくれて、他の史跡についても情報を提供してくれた。
私が歩いてまわることを知ると、貸自転車のサービスがないことを残念がっていた。
確かに、行田市は駅前で無料の貸自転車に乗れてとても良かった。
そのことを話すと、「放置自転車を処分しながら、そういうことに利用しないから…」と
観光客への行政の対応のなさを嘆いていた。
観光客とじかに接している人ならではの感想だ(岩槻区役所の人、お願いします)。
こういう地元の歴史に詳しい人から話を聞くのが一番いい。
それも含めて感謝の礼をのべて、次に向う。
次は「時の鐘」(上写真)。
時の鐘といえば、川越のそれを思い出すが、こっちはなんともほぼ放置状態。
脇にある立派なイチョウの木の由来を、さっきのおじさんに教えてもらっていたのはよかった。
そういえば川越は町全体が観光地としての対応ができていた。
行田も貸自転車などサービスが行き届いている。
岩槻も、もう少し頑張ってほしい。
次は浄安寺。
曇りという予報とは裏腹に、強い日射の下、ミンミンゼミの声が響く。
まさに真夏の昼下がりの情景。
歩いている人なんていない。
うだる暑さでも、寺の境内ならそれなりの風情がある。
でも自動車道路を歩くのはつらい。
どこかで昼食をとりたい。
せっかくなら、地元の名物がいい。
なので、道すがらにあった更科や喜多方ラーメンはパス。
でもこのあたりは他に食べる店が見当たらない(駅から遠いので)。
仕方なしに、道路脇の大きなスーパーに入って、
麻婆豆腐と麻婆茄子の小ぶりのミックス弁当とスポーツドリンクを買って(レジで割箸をもらう)、
弁当をレジ脇のレンジでチンして、そばのテーブル席にすわって、
プラスチックの蓋を開けて、麻婆弁当を箸で頬ばる(箸では食べにくい)。
風情もへったくれもないが、地元の人が使うスーパーで、
地元の人が買う弁当を食べるということでよしとしよう。
さていよいよ岩槻城址へ向かう。
発掘調査をしている広場をすぎ、公園風の所に市民会館があり、
そこのレストランが名物「豆腐ラーメン」をアピール。
ここにすればよかった…。
岩槻城の名残として唯一残っている黒門を見て、戦国時代の跡らしい「新曲輪」を歩く。
岩槻城の本丸など本体部は、今は住宅地になってしまって、
城跡して残っているのは、端っこ部分だけだという。
新曲輪はその端っこ部分。
ここから南下して、越谷行きのバスで越谷に行くつもりであったが、
国道16号に出てもバス停が見当たらない。
実は、バスが通る道を確認していなかった。
このまま交通量の多い16号を歩くのはいやなので、路線バスが通りそうな別の道を歩く。
今回一番避けたかったのは、灼熱の日差しの下、日陰のない車道を延々歩くこと。
今、心ならずもそれをやるはめに…。
もっとも晴雨兼用の傘を差しているが(今日は雨用に持ってきたつもり)。
もう越谷行きのバスはあきらめて(ホントは越谷の温泉に行く予定だった)、
岩槻駅に戻ることにした。
自販機で炭酸飲料を買って水分を補給しながら、駅までの道を引き返す。
ついでだから、岩槻探訪に徹して、行く予定のなかった所もまわろう。
というわけで、駅を通り越して、郷土資料館に入る。
私が一番知りたかった戦国期の岩槻城についての説明などがあり、
ここを最初に訪れた方がコース的に望ましかったことを痛感。
つまりこういう史跡情報が詰った場所を最初に訪れれば、
おのずと探訪コースが決まるというもの。
ここで『岩槻城と城下町』なる冊子を買う。
私が興味あるのは江戸時代の岩槻藩ではなく、戦国期の太田氏の居城としての岩槻。
その墓所があるのが、資料館と駅の間にある芳林寺。
当初はここは行く予定になかった。
でも遷喬館のおじさんと郷土資料館の説明で、
私にとって見逃せないのはここだということがわかった。
芳林寺境内には、戦国時代の岩槻城主太田氏資(うじすけ)の墓所があり、
さらには氏資の銅像だけでなく、
最近できた太田道灌の騎馬姿の立派な銅像まである。
道順からいって、駅に近いここを最初に訪れるべきだった。
今回は、事前に探訪ルートをきちんと設定しなかったのがまずかった。
結果的に余計に歩いてしまった。
昼食用の店のチェックを怠ったのも悔しい。
正直、岩槻って、観光地という意識がなくて、いまいちその気になれなかった。
それに、曇りで雨降るっていう天気予報も恨みたい。
蒲団干しておけばよかったし。