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バレンボイムよさらば

2021-06-14 | Weblog
 35年前からピアニスト・バレンボイムを生で聞くことを熱望していた。先日、その願いがついに叶ったわけなのだが、なんと演奏会は曲を間違えることから始まった。Beethoven Sonata No.1のはずがNo.30を弾き始めたのだ(これは翌日のプロ、実は翌日のチケットも持っていた)。続けて31番。休憩後のアナウンスのあと32番。最後にバレンボイムがマイクで「すみません間違えました。でもよかったでしょ?次来るときには必ず弾きます!」これで大喝采、スタンディングオベーションという茶番でした。80歳近いということで、それなりの技術低下を予想していたが、大事な早回しでは、ことごとく指がもつれ、途中で記憶が飛んだのか?と思うくらいの危険な間があった上に、突然爆撃のようにドカーンと和音を叩きつけて、ペダルを長時間踏むので濁った音がワンワンと響きつづけたので、私は演奏会中ずっと渋面が耐えなかった(逃げたくなった)。バレンボイムに限らずだが、私はペダル過多の演奏が嫌いで、最近は古楽やVnソロをよく聞くためか、無遠慮なペダリングで鳴り続ける汚い和音がより神経に触るようになった。さらには、バレンボイムご自慢の新型のスタインウェイが、スタインウェイの悪いところ(高音キンキン、資本主義の音)を強化したような音質で、全く私の好みではなかった。演奏はふんだんに劇場型であり、特に32番の2楽章は無駄に冗長で閉口した。バレンボイム独得のあの柔らかい弱音はさすがだったが、あまりに演技過多で乗っていけなかった。最後のソナタだからといって絶筆のように弾く必要はない(Beethovenはこの後5年生きて、第九やミサソレなど沢山の曲を作った)。バレンボイムの指揮は「魂のないフルヴェン」とよく揶揄されたが、その言葉が何度も頭をかすめた。
 それにしても、あの演奏で大喜びする聴衆はいったい何を聞いているのか?相手が超大物で、それに高いチケット代金を払ったがために、無意識のうちに名演奏として納得しないと気が済まない回路でも作動してしまうのだろうか?このコロナの中、わざわざ日本に出向いてくれたことには心から敬意を表するが、やはり聴衆は演奏に対してきちんと批判精神をもって臨むべきだ。「日本の観衆のレベルは世界でも最高で・・」というバレンボイムのマイクだったが、これに何か裏の意味を感じてしまうのは私のひねくれのせいだろうか。最後は同調圧力のようにスタンディングが始まったので、一緒に立つ振りをして席を離れ、そのままホールを後にした。さらばバレンボイム(この演奏会は返金対応となった)。

40年ほど前のバレンボイム演奏(13歳のときNHKで放送され、視聴してファンになった。今でも熱情の最高の演奏の一つと思っている。10年ほど前にやっとBlu-ray化された)
Barenboim: Beethoven - Sonata No. 23 in F minor, Op. 57 "Appassionata"

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