goo

「クレオパトラとエジプトの王妃展」    国立国際美術館

2015-11-14 | ア-トな話し
2015年10月10日(土)ー 12月27日(日)

東京国立博物館 平成館は2015年7月11日(土)ー 9月23日(水・祝)

古代エジプトを題材にした展覧会はいくつもあったが「エジプト王妃の」役割、性格を明らかにする世界初の展覧会が2008年にモナコで行われた。その展覧会が日本にやってきて東京と大阪で開催される

今回約180件の作品は、ルーブル美術館、大英博物館、ボストン美術館、ベルリン・エジプト博物館、ウィーン美術史博物館などから集められた

古代世界の偉大な女性たちとの出会いの場です

大ピラミッドを建造したクフ王の母 ヘテプヘレス
夫の死後 王として君臨した女王ハトシェプスト
王族ではないが王に嫁いだ王妃ティイ
絶世の美女として知られた王妃ネフェルトイティ(ネフルティティ)
古代エジプト最後の女王 クレオパトラ

クレオパトラ以外はあまり知らない名前。クレオパトラの展覧会というのはありそうで記憶にない

「絶世の美女」として語り継がれるクレオパトラに会える展覧会です
会場は土曜日ということもあり若い人で一杯。手を繋いだアベックもアチコチ。

ヘテプレスが生きたのは紀元前2614年頃 今から 4629年前です
ハトシェプストが生きたのは紀元前1480年頃
ティイが生きたのは紀元前1388年頃
ネフェルトイティが生きたのは紀元前1347年頃
そしてクレオパトラ(クレオパトラ7世)が生きたのは紀元前41年頃。クレオパトラが自害したのは紀元前30年
日本は弥生時代 第11代天皇 垂仁天皇の頃 遠い遠い昔の話です



王妃ヘテプヘレス2世とその娘メレスアンク3世

アメリカ ボストン美術館蔵

向かって左が王妃、右が娘



王妃ハトシェプスト
アメリカ ボストン美術館蔵


乳母の本棺
イタリア フィレンツェ・エジプト博物館 蔵
第25王朝のタハルカ王の王女の乳母であったチェスラペレトの本棺の上部
彩色されているのがすごい そしてそれが残っていたのがすごい




アメンヘテプ3世の王妃ティイのレリ-フ
ベルギー ブリュッセル 王立美術歴史博物館 蔵

ツタンカーメンの祖母である王妃ティイ



王妃の頭部
ドイツ ベルリン・エジプト博物館 蔵

絶世の美女として知られた王妃ネフェルトイティ(ネフルティティ)と言われているが
ツタンカーメン王の母親とされる王妃キヤとも言われている



王妃ネフェルトイティのレリーフ
イギリス アル・タニコレクション


クレオパトラ
イタリア トリノ古代博物館

ついにクレオパトラに出会いました(笑)




横顔です



クレオパトラ
アメリカ メトロポリタン美術館 蔵

手に持っているのはコルヌ・コピア(豊穣の角)を持つ姿
パンフレットにも使われている

クレオパトラ7世は「絶世の美女」として知られ、人をそらさない魅力的な話術と、小鳥のような美しい声であったと伝えられる。
複数の外国語(エジプト語・メディア語・エチオピア語・シリア語・パルティア語・アラビア語・ヘブライ語など)に通じた知的な女性と伝えている。



クレオパトラ
ダニエル・デュコマン・ドゥ・ロクレ作
青銅 1852~53年
フランス マルセイユ美術館 蔵



クレオパトラの死
アッキーレ・グリセンティ 筆
イタリア プレシア市立美術館 蔵

クレオパトラが自害しプトレマイオス15世が殺害され、その後エジプトがローマの属州となる




大阪新美術館の建設予定地から国立国際美術館 右が 市立科学館

空き地に隣接する建物は 大阪大学中之島センター
goo | コメント ( 0 ) | トラックバック ( 0 )
 
コメント
 
コメントはありません。
コメントを投稿する
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。