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新美の巨人たち 萬鉄五郎

2024-07-06 | 街角の話し
「裸体美人」は、萬鉄五郎(よろず・てつごろう)のデビュー作 国の重要文化財
新美の巨人たち で 萬鉄五郎の作品を観ました
2024年6月29日(土)
萬 鉄五郎(よろず てつごろう、萬 鐵五郎、1885年11月17日 - 1927年5月1日は、大正~昭和初期の洋画家。

(1927年以前)
萬鉄五郎(1927年以前)
岩手県和賀郡東和町(現在の花巻市)出身。1907年、東京美術学校(現・東京藝術大学)に入学]。
1912年、岸田劉生や高村光太郎らの結成したフュウザン会に参加している。萬は、その頃日本に紹介されつつあったポスト印象派やフォーヴィスムの絵画にいち早く共鳴した。特にフィンセント・ファン・ゴッホやアンリ・マティスらの影響が顕著であった。黒田清輝らのアカデミックな画風が支配的であった日本洋画界に、当時の前衛絵画であったフォーヴィスムを導入した先駆者として萬の功績は大きい。晩年は日本画の制作や南画の研究も行った。

内容

反逆の絵筆!萬鉄五郎「裸体美人」 
国の重要文化財「裸体美人」は、萬鉄五郎(よろず・てつごろう)のデビュー作です。赤と緑の対比。寝ている姿なのに立っているような浮遊しているような縦長の構図。鼻の穴も腋毛も開けっ広げで衒いなく、見る者を見下ろす裸婦の姿。その眼差しに込めた萬の思いとは?
東京藝術大学の前身、東京美術学校の卒業制作として描かれた「裸体美人」について、現学長の日比野克彦氏が考察、アートの魅力について語ります。故郷岩手県に残された、若き日の作品や作画スタイルの変遷から、萬が目指した芸術への熱い思いにシシド・カフカが迫ります。またモデルを務めた萬の妻の回想により、その製作過程の様子も明らかに。



女の顔(ボアの女)
おんなのかお(ぼあのおんな)

モデルは、1909年に結婚した妻のよ志。


画題にある「ボア」とは当時流行していた毛皮や羽毛でつくられた婦人用の細長い襟巻で、それを頸にゆるく巻き、椅子に腰掛けているのは萬の妻よ志である。彼女が身にまとう朱色の着物と緑の手甲との対比が鮮やかだが、この赤と緑の補色による色彩対比は萬が終生好み、多くの作品で用いている。ゴッホ風の激しい筆触はこの作品の大きな特徴だが、絵のかけられた壁面を背景に人物の膝から上の部分を真正面から描く構図自体も、背後に浮世絵をはりめぐらし、正面から人物を描いたゴッホ作品《タンギー爺さん》(参考図)から直接引用したものと思われる。



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