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秋の和歌山城

2016-12-12 | 街角の話し
和歌山城天守閣  道路からの風景


和歌山城 西之丸庭園 紅葉渓庭園 昨年もここに来たが残念ながらモミジは色付き始めだった。
昨年のブログは ここ
今年は少し遅らせて往訪した
色鮮やかなモミジが池の水面に映える庭園として有名



入口 茅門


右に見える橋が御橋廊下

御橋廊下は二の丸と紅葉渓庭園のある西の丸を結んでいたとされる廊下橋で、江戸時代に藩主とお付きの者だけが通ることを許されました。私も以前に通りました2006年(平成18年)3月に復元されました。



堀の中に浮かぶのが「鳶魚閣(えんぎょかく)」

釣殿 寝殿造りの南端の、池に臨んで建てられた周囲を吹き放ちにした建物。魚釣りを楽しんだところからの名という。納涼・饗宴に用いられた。




鳶魚閣の反対側



少し右側



水面に映るモミジが素晴らしい



お城の石垣と紅葉 松は冬準備をおえたようだ



和歌山城の石垣のうち、2110個に刻印(こくいん)があることが分かっています。この新裏坂周辺で、坂の西方に続く石垣に854個と約4割が集中しています。
 刻印のデザインは多種多様で40種類以上が確認されており、家紋やその省略文字であったり、方位や日付、人名と考えられるものもあります。また刻印のある場所は石の正面だけでなく、側面や上下とあらゆる面にわたっていることが確認されています。
 石垣の刻印は、全国的には慶長(1596~1615)から寛永(1624~1644)期に築かれたものに多く見られますが、何のために刻印されたかについては、石材所有者の表示、石質チェック、鬼門除けなど呪術的使用など諸説が有り、はっきりとは分かっていません。
 和歌山城研究家として知られる故松田茂樹氏は、刻印のある石垣が和泉砂岩(いずみさがん)に限られ、浅野家が城主だった時代(1600~1619)に修築された石垣にしか使われていないことなどから、浅野家の家臣が主家の城普請に協力したしるしとして刻印したと見ておられる この立札が近くに立っています



駐車場出口からはつつじ園のイチョウがすごい

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