無意識日記
宇多田光 word:i_
 



ヒカルの作ったアップテンポの曲が後にリアレンジされてバラードになったケースは複数回ある。ひとつは『FINAL DISTANCE』で、これは『DISTANCE』からリズムを抜いてスロウにしたもの。もうひとつは『Flavor Of Life - Ballad Version -』で、これもアップテンポな『Flavor Of Life』をスロウバラードにしたものである。

それとは逆に、『First Love』は最初っからバラードであって、一方でアップテンポの『First Love -John Luongo Remix』が存在していて、こちらはその名の通りリミックスでオリジナルより後に作られたものだ。ボヘサマのDVDを観ていても、まず本編でバラードの『First Love』を堪能したあと、エンディングでこのアップテンポの『First Love -John Luongo Remix』が流れてきて大団円、というのがお馴染みになっている。

ところが、である。2014年に発売された『First Love -15th Anniversary Deluxe Edition-』に収録されている『First Love –Demo Version-』を聴いてみると、ヒカルの制作過程が収められている前半のホームデモ部分(MD音源)ではリズムがガッツリと8ビートなのだ。スネアが跳ねていないからアップテンポという感触ではないにせよ、かなりアクセントの強いリズムに載せてメロディーを考えてる様子である。

つまり、最初っからバラードとして作られた『First Love』ですら、制作過程を参照すれば、『FINAL DISTANCE』や『Flavor Of Life - Ballad Version -』のように、一旦強いビートの上にメロディーを載せて調整した後にビートを抜いてバラードに仕上げていたのだということがわかる。つまり、ヒカルは最初期から「まずリズムを組んでメロディーを押さえた後にそこからリズムを抜く」という手法でバラードを制作していたのだ。

なるほど、そういう過程を経たのなら、アップテンポの『First Love -John Luongo Remix』に於いてメロディーがあれだけ自然にハマるのも理解できる。最初からビートに載せたメロディーだったのだから、ある意味このお馴染みのリミックスは“先祖返り”だったのである。尤も、このリミックスの基本のリズムは16ビートで、ハイハットが8ビートの裏を打ち続けていているから『First Love –Demo Version-』のそれより更にハイパーな感触なんだけどね。


そういった背景を思い出すと、TBSのテレビドラマ「ごめん、愛してる」の主題歌となった『Forevermore』って、「バラードにならなかった稀有な曲」だったんじゃないかと妄想が膨らむのだ。『First Love』『SAKURAドロップス』『Flavor Of Life - Ballad Version -』と、TBS系列への提供曲は悉くバラードだった。その為、『Forevermore』もきっとバラードなのだろうと思っていたのだ。頭文字がFだしね! でも蓋を開けてみれば実際はベースがグングン唸るグルーヴィな曲だった。『Laughter In The Dark Tour 2018』での迫力を思い出す向きも多かろう。ヒカルも、もしドラマ側から今回も「バラードで」と言われていたら『Forevermore』からリズムを抜いてバラードに仕立て上げていたんじゃないかな。少しそんな雰囲気を感じるのだ。しかし実際は「これでいきましょう」となった、と。もしかしたら拍子抜けだったのかもね。あら今回はバラードにしなくてよかったの?って。いつかそこらへんの事も語ってくれやしないかな。

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ピンク・フロイドの名盤「狂気」はビルボードで通算15年間(連続ではない)トップ200入りしたモンスターアルバムだが、そうなった背景として、欧米ではこの音楽がドラッグ・パーティの定番BGMになっていたからというのがあるそうな。なるほどね。

彼らの音楽を聴いていると、そのトリップ感覚は寧ろもうそれだけで充分過ぎる程でドラッグなんか要らねーんじゃねーのと思うほどだが、きっと古来からヒトは精神的な儀式の為に怪しげな薬品の服用やらお香やらといったアイテムと同じく音楽も使ってきたんだろうなぁという気にはさせられる。心がここではないどこかに飛んでいくような、正しくトリップ感覚を生み出す為に。


ヒカルの書く楽曲にもたまに異世界に連れて行ってくれるものがある。最近だと『忘却』やら『夕凪』やらかな。特に『忘却』は、千葉くんのラップの生々しさに対してヒカルのヴォーカルがまるで天から降り注ぐような神々しさを湛えているので浮世離れ感が凄まじい。しかも本来であればこの曲には歌詞がなかったというのだからそれはもう直接的なトリップ感覚を齎しただろう。

世が世なら、この『忘却』のアナログEPが作られていたのかもわからんね。インストバージョンやリミックスパージョンも作って収録してクラブてプレイして貰えるような。……ひょっとしたら、そういう計画もあったんではないかなぁ。この曲、シングルカットもされずに唐突にビデオだけ作られて何だか不思議だったんだよね。もし仮にアナログ盤が出る計画が途中で頓挫してビデオだけ生き残ったのだとしたらそれで何だか合点がいきそうで。

もしかしたら、『忘却』がクラブて流れたら威力があり過ぎるのかもしれないな。それこそトリップ・ミュージックとして有用だったのかもしれない。なんだか色々考えさせられる。


勿論今書いた事は100%私の妄想に過ぎないのだが。しかし、ヒカルの音楽はたまにイントロが流れ出しただけで部屋の空気を一変させるようなマジカルな威力をもつ。その影響力に作り手側も受け手側もある程度自覚的であった方がいいかもわからないわね。

でも、大抵の曲は、胎教にもよさそうなくらいに穏やかで優しい。そこらへんは、性格が出てくれるわね。雨の朝だからかそんな事を思うのでありました。

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