無意識日記
宇多田光 word:i_
 



インターネットのお陰で「読める」コンテンツはほぼ無尽蔵になった。幼い頃大きな書店や図書館に初めて出掛けた時なんかには「一生掛かってもこれ全部読めないだろうな」とか溜息を吐いたものだが、今やもうその比ですらない。無料だろうが有料だろうがアクセス対象は果てしない。

こと「読む」となると速読術などもあり、時間を惜しんで消化していく事になる。どうしたって焦りみたいなものが出てくるが、これが音楽となるとそうはいかない。音楽は時間の芸術でありご楽だからだ。7分の曲をしっかり味わうには必ず7分かかる。なので、音楽の探究って焦らない。焦っても無駄なんだもの。一日に聴ける曲数は、原理的には皆一緒だ。

最近の動画配信には1.5倍速や2倍速再生などがあり、忙しい人はそれでアニメやドラマを楽しんだりする。確かに、話の筋を追うのならそれでもいい。アニメ1話24分が12分で観れるなら倍の作品が楽しめる。貪欲な人には格好の機能だろう。

ところが、音楽でそれをやってしまうと、バラードを楽しむはずがアップテンポの曲になってしまい、それはもうただの別物になる。最早「違う作品」になるのだ。テンポというのは殊の外重要で、音楽ではそれが命だとすら言える。


特に歳をとってくると、なのかどうかはわからないが、ベテランのアーティストは若い頃に比べて徐々にテンポが落ちていく傾向にあったりして、それは宇多田ヒカルも例外ではないのかな、とこの5年くらいで感じている人も多いような気がしている。『traveling』みたいなイケイケな感じは減ったなぁ、と。昔も別にそれ一辺倒だった訳じゃないんだけどね。

でもそれも、時間の芸術ならではの味わいなのかもしれない。積み重ねてきたものが多いほどテンポが落ちていくというのは、私なんかは少しロマンティックにすら感じる。確かに、背負うものや考える事が増えたせいで速いテンポで走り抜けるような“軽率さ”から離れていくということはあるのかもしれないが、テンポが落ちた代わりに視野の広さや懐の深さなどを得ていると感じ取れれば、ある意味、ひとつの時間の流れの中で、過去の時間をも(擬似的にではあるが)同時に体験している事になるのかもしれない。7分の曲を楽しむには7分が必要だが、その7分は過去の沢山の時間の経過と伴走しているというイメージが生まれてくるのだ。

時間には限りがある。出来れば、そういった実り多い豊かな時間を少しでも沢山過ごしたいと思うのが人情というものだろう。ヒカルの歌が流れている時間の中にどれだけの過去や未来の時間を感じ取れるか、また、ヒカルがそれを感じさせてくれるか。落ち着いたテンポの中にも、もしかしたら激流のような奔流のような時間の流れが隠されているのかもしれない。『Time』なんてダイレクトなタイトルの歌を書くに到った宇多田ヒカルという人が2021年の今感じている時間がどのようなものか、もっともっと知っていきたいと思うものである。新しいアウトプットまだなのかなっ!

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『Message from Hikki』開設22周年記念日。人によってはデビュー記念日より重要だったりする位なのだが、よくよく考えてみたらヒカルがTwitter始めてから11年なので、メッセがメインだった時代はもうキャリアの前半の半分でしかなく。最近のファンは「なんかオフィシャルに置いてある昔の長文の数々」位の認識かも…いやそもそもあることすら知られていないのかも…? 一応、2011年以降も節目にはメッセ更新があったのだが、なんだかんだでツイートの量にはかなわんわな。

『Message from Hikki』もその11年間ずっと安泰だった訳ではなく、開設から5年余り経ったあとUTADA名義でのデビューに合わせて東芝EMIのサイトから事務所(U3MUSIC)のサイトにお引越ししたりと紆余曲折を経ていた。それも含めてヒカルの活動の記録となっていた。

今思えば、2009年の『点』と『線』の刊行は見事に区切りになっていたのだなと。『点』は過去10年(TEN years)のインタビュー集、『線』は千(SEN)にも及ぶ投稿数に達した『Message from Hikki』の歴史を収めた書籍だ。『宇多田ヒカルの言葉』と並んで必携だが、売ってなけりゃ手に入れる事も出来んわな。これが電子書籍化されていれば店頭に無いとか在庫が無いとか言われずに済むんだけれども。特に『点』『線』は通常とは異なる流通を使ったので在庫管理も別物だった可能性がある。今となっては、やね。

そして今後は、そのメッセ・イヤーズが「キャリア前半の11年」から「キャリア最初期の11年」に徐々にシフトしていく訳だ。寂しいと言っていいのかはわからないが、色んな人の発言が混ざり合うTwitterやInstagramとは異なり、純粋にヒカルの言葉(と写真)だけで構成される『Message from Hikki』は親密さか違っていた。まるでメールが届いたみたいなね。それは言い過ぎかもだけど、過去に浸る事を余り居心地よく思わない自分がこの事に関してだけは長年「昔はよかった」と言い続けてるって事実だけは覚えて置いて欲しい、かな。それくらいに特別だったのですよ。

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