EXODUSの曲を聴いていると相変わらずいちばん肌に合う方向性のアルバムはこれだな~と再確認するとともに、"しあわせ"な時期にこれを作っていたらどうなっていただろう、と思う。
『今日はめっちゃ疲れてめっちゃ汚れたけどあったかいシャワーが浴びれて幸せ』という一言と『コートを脱いで中へ入ろう 始まりも終わりもない 今日という日を素直に生きたい』というテイク5の一節がシンクロする。『どんな自分が幸せです』、そう問われた時にこう答えるのだろうか。
21歳の時と今では感じる事も違うだろう。サウンドのスケール感も格段にアップした。それでも尚、光の作風の変遷は、トレイスのしようがない。前回のエントリーのテーマともかぶるのだが、こと作曲観においては、誰の背中も追ってないし、また誰も背中を追ってこない。ただひたすらこの宇宙が曲ごとに広がっていくだけだ。
曲作りとプロデュースにおいて、殆ど総て自らの力で何とかなると自信を深めたのがEXODUSだったと思っている。裏を返せば、この時期は極力誰の力も借りることなく独力で世界を作り込んでいたという事だ。本当にひとりだったのである。
今光の感じている"幸せ"に則れば、EXODUSのような作品は生まれないかもしれない。いや、音楽はいつも今を通り過ぎていくものであって、このようなたらればは野暮に過ぎるか。
EXODUSのもつ独特の肌触りは、また光が自力を証明したいと思った時に現れるだろう。それがまた、ひとりであることや"幸せ"からの距離を感じさせる事を強いるとすれば少しやるせなくはあるのだが。
今度はそういうサウンドを日本語でやってみても面白いかもね~。私と同じように感じる人がどれ位いらっさるか、それがわかるかもしれないからね。
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