無意識日記
宇多田光 word:i_
 



年の瀬だが、何しろ今年は総括する事がない。WILD LIFE DVD/Blurayが出て、In The Flesh 2010がリリースされたなかった事だけだ。そうか、あれから2年が経とうとしているのか。

といっても特に思い出話に耽る気も起こらない。何だかんだで「これからどうなるのだろう」という事にばかり興味が行ってしまう。あんまり過去の栄光とか気にしない、というかできないタチなのだ私ゃ。

過去の栄光という切り口でなら宇多田ヒカルはとんでもないものを持っている。そこらへんのライブハウスで20人も観客を呼べば"凄いもんだなぁ"と私なんかは思ってしまうし、CDを百枚単位で売ってるなんて話を聴くと"才能あるんだねぇ"と感心してしまうが、宇多田さんはそういうのの歴史上の頂点なのだ。しかも親子揃って。もうそれだけで食っていけよと言いたくなる。いやきっともう一生遊んで暮らせるだけの金額は稼いだのだ。使ったかどうかは別として。

なのでヒカチュウの普遍的且つ永続的なテーマは「いつやめても生活に困らないHikkiが歌い続けたくなるにはどうすればいいか」に昔からなっているのだが、近年益々どうすればいいかわからなくなっている。なんだかひたすらくまくま叫んでいるのがいちばん効果的な気すらしてくるのだ。イヤまぢで。

それだけ光の泰然自若(というのもちょっと違うんだけれど)ぶりを知っていると、まぁそれはこちらが無理しなくてもそれなりのペースで歌ってくれるだろうな、という安心感はある。またいつ倒れるかわからんが。自重しろよ。

多分、今後モチベーションが最も変化するのは、こどもを生んで(養子を貰ってもいいわね)育てた時である。物心ついた頃に光の子は母が誰であるかを知る。その時にヒカルは売れているだろうか落ちぶれているだろうか。

光が藤圭子について語る時、そこに過去の栄光の話は殆ど出てこない。唯一?取り上げるとするなら蓮見に行ってた時に言ってた「年配の人はみんなママを知ってる」という事位か。いやそれも大きいっちゃ大きいんだけど、圧倒的に光の心に残っているのは美しい容姿と凛々しい後ろ姿、そしてプロフェッショナリズムである。光が子を持った時に、自分も同じような背中を我が子に見せたい、と思うならばそれは最高のモチベーションになるだろう。

その時、吾子は他人の母への評判を気にするだろうか。会う大人全員が(いやホント全員だと思うよ)、「あなたのお母さん、昔とんでもなく凄かったのよ」と話し掛けてくるのだ。その時に、「今も凄いけど」とちょこんと付け加えて貰えるかどうか。私なんかはこれ考えると胃の痛くなる思いだが光はどう感じるかな。そこは出来れば、現役で居るなら売れておきたい、なんて色気が出てくるのかな。今の姿からはちょっと想像できないけれど。

まぁ、今夜は余計な事を書いた気がする。でも、下世話だから真理でもある。お母さんとして吾子にかっこつけてみたいと思うのはいじらしくて可愛らしい。いやあまりにもスケールでかすぎるんですけどね。旦那さん大変だろうなぁ。

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