無意識日記
宇多田光 word:i_
 



その次の歌詞をみてみる。

『もしもお金に困ったらできる範囲内で手を貸すよ。
 私たちの仲は変わらない』

これが歌詞だというだけでも驚きだが、つまり2人の関係は打算的なものではない、という事だ。何かを与え与えられしながらバランスをとっているのではない。まず初めに絆ありき。相手に何かを求めるとか得られるものが多いとか、そういうメリットデメリットの問題ではないのである。

という事はどういう話になるかというと。一番の歌詞に於いて幾ら苺が情緒的になろうが、みるくさんに何らかの感情を要求したり押し付けたりしない、という事なのだ。私がメロウになったからあなたも同じようにメロウな気持ちでしょ、といった押し付けがましさが皆無なのである。共感を求めない態度。『だってそんなの疲れちゃうでしょ』と歌っている通りである。だから『新しいお部屋で君はもう making love』と歌うのだ。全然関係ないから。

かといってみるくさんが苺の気持ちを解っていないかというとそんな事もなく。そこには揺るぎない信頼が確固とある。不思議な関係である。いや親友ってそういうもんなんだろうけど。

以前、この歌の題名を"Making Love"にしたのは、苺がみるくさんを"守る"為だと解釈した事がある。このタイトルにする事で、この曲が矢面に立つ事を避けているのだ。日本人は官能的な主張を前面に押し出す事を未だに好まない。平井堅はエロいシングルをたまに出すが見事に売れない。あら未だに彼の最大のヒット曲は古時計か? いやそれはまぁいいんだけど。兎に角、こんなタイトルの曲とタイアップしたがるスポンサーはなかなか居ないだろう。特に、エロかわいいとかエロかっこいいとかエロみっともないとかで売っている皆さんなら兎も角、宇多田ヒカルはそっちのパイではない。余り得策ではないのだ。

…の割に歌詞にはエロの欠片もない。本当にサビの最後に一言触れるだけである。羊頭狗肉にも程がある。"敢えて"のタイトルである事が見てとれる。

この、『打算の絡まない関係』というのは「親友同士なら当然でしょ」と言いたくなる所だが現実には難しいだろう。お金が絡んでも今までと同じ関係を保てるかというととても難しい。ましてや、苺の「出来る範囲内」というのは桁外れである。100万ドルの寄付をする女なのだ。会社を興す資本金位なら用意してしまうかもしれない。そうなってもまだ"親友"で居られると信じて疑わないのだこの2人は。どれだけ強靱な絆なんだろうな。

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いちご×みるくの2人の関係性を推し量るには、まずMaking Loveがどんな曲だったのかを思い出してみねばなるまい。

一頻りみるくさんの引っ越しについて(というか引っ越しをキッカケとして湧き上がった感情について、か)語り倒したあとサビで『あなたに会えてよかった/遠い町でも頑張ってね』、と揺れ動く気持ちに何とか整理をつけて励ましのことばを贈るのだがこのあと唐突に逆接の接続詞もナシで『新しいお部屋で君はもう making love』と来る。この流れは、例えば漫画で描写したとしたら恐らくギャグに、笑いを催すシーンになる事だろう。親友の片割れが相手の引っ越しに動揺して思い悩み思い詰め、涙を堪えて或いは拭って漸く絞り出した見送りのひとこと。一方ロシアは鉛筆を使った、ではないけれどもう一人の方はそんな親友のウェットな情感などどこ吹く風、新居で恋人と宜しくやっているのだ。このギャップ。大抵はギャグにしかならない。

最初に考えるのは、何故親友に贈る歌でこんな風に"茶化すような"一節を入れるのか、という事。更にはこのフレーズがタイトルにもなっている。どうしてこんなことになるのか。実際、『新しいお部屋で~』の部分を歌詞からごっそり除いてもこの曲の物語はきっちり成立する。ぶっちゃけ要らない一行なのである。

一言でまとめてしまえば、「照れ隠し」なのかもしれないが、それにしては他の歌詞に何の躊躇いも感じられない。どれもこれもストレートな表現で、強いていえば肝心の『私が初めて惚れた女』という所がラップ風(といってもちゃんとメロディーがあるんだが)に、歌詞カードでいえばカタカナで『ワタシガハジメテホレタオンナ』となっている箇所は照れがあるといえなくもないが、それでも結局直接的な言い方になっている。他のパートによって隠す"照れ"は、これだけでは見えてこない。

或いは、嫉妬だろうか。つまりこのカップリングは親友以上というか恋人未満というか、お互いの恋人に対して嫉妬するような感情があるのだろうか。そんなヘテロを合成したややこしい百合々々しさがこの2人の間には存在するのか。だとしたら隠しているのは照れというよりもっと強烈な感情、という事になる。

その線も捨てきれないが、やはり私はこの『新しいお部屋で~』の一節にはもっと明快な意図があると踏んでいる。恐らく、この曲における他の総てのメッセージに説得力を持たせる為に必要だったと思うのだ。細かい解説はまた次回。

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