光の"親友"さんの話はファンには有名過ぎるほどに有名である。が、当欄では彼女が一般人さんである事もあって言葉を選びつつ触れてきた。が、よくよく考えたら彼女の話を真正面から持ち出さずに宇多田ヒカルの作品について語るのは無理がある。それはいわば、オノ・ヨーコに触れずにジョン・レノンを語るようなもの…というと少し違うかもしれないが、重要な人物である事にはかわりない。という訳で今後は今迄の方針を変更して、彼女の話も遠慮なく持ち出す事にする。
で、その場合彼女の名を何と呼ぶかは難しい。本名を出してしまうのは気が引けるし(当人は気にしないかもしれんが)、かといって全く遠く離れた仮名で呼び続けるのも違和感がある。そこで、あまり当人たちは気に入ってる風でもないのだが、ある程度通り名として使える"みるく"さんの名で暫く呼んでみたいと思う。皆さんご存知のように、光は危うく宇多田イチゴと命名されかけた。うすた京介絶賛の「宇多田メロン」のパロディもこれに由来するし、椎名林檎とのコラボレーションがフルーツデュエットと呼ばれるのもこれが話の発端だ。あれ、誰も呼んでないか。まぁいいや、とにかくイチゴとのコンビネーションでみるくさんである。便宜上の仮名の付け方なので、あまり深く突っ込まないように。
で、そのみるくさんがどういう人かというと。4th ULTRA BLUEに収録されているMaking Loveを捧げられた当人であり、また「線」の序において光が「親友に選んだ」人である。そして恐らく5th HEART STATION収録のPrisoner Of Loveの歌詞のモデルとなっている可能性も大いにあるだろう。もっと踏み込んでいえば、ヒカルの歌詞に出てくる"同性の親友"の大半は、みるくさんの事を想定して書かれているのではないかと考えられる。ヒカルの歌詞を読み解くに当たって、光本人、父母、光の嘗ての恋人達(元夫含む)に次いで重要人物だといえる。いや、恋人達の記憶がどんどん上書きされるその時限りの関係だったりするとすれば、恐らく一生消えない切れない"親友の絆"で結ばれた関係は、家族同然と見做してもよいかもしれない。
兎も角、今まで当欄では光と母(圭子さん)、光と父(照實さん)の関係を通して歌詞を読み解いてきた。それと同様の"遠慮のなさ"で、みるくさんとの話も視野に入れる事にする。まぁ殆どはこっちの勝手な妄想になるだろうけどね。乞う御期待。
| Trackback ( 0 )
|