ヒカル自身にはCD等の価格設定に関しては何の権限もないだろう。アイデアは出すかもしれないが、価格はレコード業界の産業構造自体から導き出されるものであり昨日今日どうにか出来る事でもない。
2005年にBe My LastのシングルCDを出した時のお値段は660円だった筈だ。随分と破格だなとは思ったが、だからといってシングルCDの売上が伸びるかといえばそうでもなかった。判断が難しいのはこういう点である。実際、8cmCDは800~1000円だったのにそれより割高になる傾向のあった(1200円とか)12cmシングルCDの方が平均的には売れたのではないか。調べてないからわからんけど。音楽という業態においては、リスナーは欲しいものなら少々値が張っても買うし、要らなければ安くったって手を出さない。そこで妥協するような話ではないのである。
日本の特殊事情としては再販制度がある。結局はこれによってCDの値段の内外格差が広がっているとみる事も出来るのだが、リスナーがただの"コストパフォーマンス"を気にしている訳ではない以上、なかなかどちらがベターかを判断するのは難しい。マニアと呼ばれる人種は最初に毎週買う枚数或いは消費する金額を決めてその中で欲しいものを順番に買っていく、なんて買い方をするからコストパフォーマンスの概念は重要になってくるが、所謂"一般的なヒット曲"を聴く層はどこかで耳にした歌を気に入ったから買ってみる、みたいな感覚だろう。となれば値段設定は、短期的には余り意味をもたない。買うのを躊躇させない程度であればよいのだ。
ヒカルの曲を買う層として想定されているのは後者の方だろう。だとすれば価格設定で悩んでもあまり効能はない。局所でひとりのミュージシャンが悪戦苦闘しても徒労に終わるのが関の山。
これはある意味"生活習慣"の問題である。もし曲の値段がぐっと下がって"1曲100円"とかになれば、生活のサイクルの中で音楽を購入するという行為の位置付けそのものが変化する。それができるかどうか、やってみれたとしてもそれでうまく行くかどうかは誰にもわからない、のハズだ。こういった押し引きの状況の中でヒカルが先んじて"革命"を起こしにきたら、確かに楽しいだろう。しかし、それでレコード会社を説得できるかどうか。
そこで問題になってくるのがヒカルのEMIとの世界契約である。僕と契約してスーパースターになってよ!と言われたかどうかはわからないが(何の話だよ)、もしヒカルの日本語盤が海外でも売られるとすると、そちらの方が劇的にお値段お安くなっている可能性があるのだ。というかアジア圏では既になっている。となるとその"逆輸入盤"が日本に入ってくればそちらばかりが売れるのではないかと思う所だが…という話からまた次回。
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