rockin’on 81年4月号 キースへのインタビュー
E.L .Pはもっと早く解散すべきだったと思うね。
画像 表紙 ヴァンヘイレンのヴォーカリスト
ヴァンヘイレンは、
今年東京ドームで公演するほどの人気を保持
先般、入手した古雑誌です。
私自身は、1981年の3月は東京都民としての生活を始めるために、
ロック雑誌どころではなかったと思います。
キース・エマーソンへのインタビューが横書きで2頁分、収録されています。
その頁の中央部に白いスーツを着たキースの上半身が載っています。
オーケストラツアーに関しては、
最終的には解散を予感せざるをえない程、バンドは精神的に追い込まれていたようです。
しかし、それならば、最後にドカンと一発やろうじゃないかという事で、
マディソン・スクエヤ・ガーデンやモントリオールでオーケストラと共に演奏したと述べています。
オーケストラツアーが儲からなかったので、
これ以上財産を持って行かれないようにするためにはスイスに住むしかないとのマネージャーのアドバイスがあり、家族でホテル住まいをして退屈でどうしようもなかったとの事。
その時に作品第二番を最終的に仕上げる仕事をしていたようですね。
また、不本意に作ったラブビーチだが、思いのほか売れた事などを語っていますね。
あと、ヨガを特別教室で習い始めて腕と手の緊張をほぐすための筋肉の正しい使い方等を完全にマスターしたとの事。
ラブビーチは、確かにUSチャートの100位圏内には入ったのでしょうが、
私は、売れたとは思っていなかったので、意外でした。
また、ヨガ教室で習った事を継続して続けていたなら、腕の方も悪くならなかった可能性もあるのではないかと思ったりもします。
このインタビューのおいては、キースは映画音楽への取り組みに関しては、
語っていないのですが、
既に「インフェルノ」はリリースされていたと思います。
ひょっとしたら、
インタビューを収録した時期と掲載した時期に時間差があるのかも知れません。
グレッグやカールが、
それぞれバンドを始めた等の情報は持っており、
メンバーとはつながっていた事は推し量る事ができます。
しかし、カールは81年にはエイジアのデビューに向けて始動しているので、
PMをやっていた頃のインタビューかも知れませんね。
面白かったのは、既にご存知の方も多いでしょうが、
バハマに家族で移り住んだ時に、
「サメ狩り」をやって7フィートのサメを捕らえたという事ですね。
ソロアルバム「ホンキー」のイタリア盤の見開き内ジャケットには、
浴槽で裸になっているキースの上にサメが横たわっていましたが、
おそらく、その時に捕獲したサメであると推定されます。
ユーモアを演出するための素材としてサメを用意したのかと思いましたが、
キースが命がけで捕獲したサメだったようです。
キースは先行きがまだ見えていない、
EL&P氷河期の頃のインタビューです。
このインタビューを読んだEL&Pファンも、何とも言えず暗くなったと思いますね。
以上。
本ブログはエマーソン、レイク&パーマーに関する品物のあれこれを思い出や、独自の感想と共に語っています。
EL&Pファンのちょっとした楽しみになれば幸いです。
クイック応援よろしくお願いします。
2012年7月24日 yaplog!
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画像 表紙 ヴァンヘイレンのヴォーカリスト
ヴァンヘイレンは、
今年東京ドームで公演するほどの人気を保持
先般、入手した古雑誌です。
私自身は、1981年の3月は東京都民としての生活を始めるために、
ロック雑誌どころではなかったと思います。
キース・エマーソンへのインタビューが横書きで2頁分、収録されています。
その頁の中央部に白いスーツを着たキースの上半身が載っています。
オーケストラツアーに関しては、
最終的には解散を予感せざるをえない程、バンドは精神的に追い込まれていたようです。
しかし、それならば、最後にドカンと一発やろうじゃないかという事で、
マディソン・スクエヤ・ガーデンやモントリオールでオーケストラと共に演奏したと述べています。
オーケストラツアーが儲からなかったので、
これ以上財産を持って行かれないようにするためにはスイスに住むしかないとのマネージャーのアドバイスがあり、家族でホテル住まいをして退屈でどうしようもなかったとの事。
その時に作品第二番を最終的に仕上げる仕事をしていたようですね。
また、不本意に作ったラブビーチだが、思いのほか売れた事などを語っていますね。
あと、ヨガを特別教室で習い始めて腕と手の緊張をほぐすための筋肉の正しい使い方等を完全にマスターしたとの事。
ラブビーチは、確かにUSチャートの100位圏内には入ったのでしょうが、
私は、売れたとは思っていなかったので、意外でした。
また、ヨガ教室で習った事を継続して続けていたなら、腕の方も悪くならなかった可能性もあるのではないかと思ったりもします。
このインタビューのおいては、キースは映画音楽への取り組みに関しては、
語っていないのですが、
既に「インフェルノ」はリリースされていたと思います。
ひょっとしたら、
インタビューを収録した時期と掲載した時期に時間差があるのかも知れません。
グレッグやカールが、
それぞれバンドを始めた等の情報は持っており、
メンバーとはつながっていた事は推し量る事ができます。
しかし、カールは81年にはエイジアのデビューに向けて始動しているので、
PMをやっていた頃のインタビューかも知れませんね。
面白かったのは、既にご存知の方も多いでしょうが、
バハマに家族で移り住んだ時に、
「サメ狩り」をやって7フィートのサメを捕らえたという事ですね。
ソロアルバム「ホンキー」のイタリア盤の見開き内ジャケットには、
浴槽で裸になっているキースの上にサメが横たわっていましたが、
おそらく、その時に捕獲したサメであると推定されます。
ユーモアを演出するための素材としてサメを用意したのかと思いましたが、
キースが命がけで捕獲したサメだったようです。
キースは先行きがまだ見えていない、
EL&P氷河期の頃のインタビューです。
このインタビューを読んだEL&Pファンも、何とも言えず暗くなったと思いますね。
以上。
本ブログはエマーソン、レイク&パーマーに関する品物のあれこれを思い出や、独自の感想と共に語っています。
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