イタリアの輝き~バンコ登場 国内盤CD

2000年に発売されたと思われる、
プラケースCDです。
中古で求めたものですね。
99年の6月の解説が入っているのですが、
解説の後に付記されている事項を読むと、
99年の8月に紙ジャケットCDが発売されたようです。
ピート・シンフィールドの「スティル」などは、
最初に紙ジャケットCDが発売されて、
あまり間をおかずに、プラケースCDが発売されていたように、
以前、取り上げた時に記していますが、
このバンコのCDもそれと同時期に発売されたものと思われます。
と書きながら、さらにジャケットブックレットを見たところ、
どうやら、
紙ジャケットで出していたマンティコアのシリーズから、
厳選した4タイトルを、
通常盤としてプライスダウンでリリースしたとの事。
ちなみに、
この邦題「イタリアの輝き」のイタリア後期アナログ盤は、
このブログを始めた頃に取り上げています。
あまり、音が良くなかった印象があると記していますが、
CD化されてかなり良くなったように思います。
片山伸氏が解説を書いていますが、
イタリアのポップスやロックに遡って、
イタリアのプログレが出てきた背景にまで、
触れています。
とても興味深いものでした。
片山伸氏は、
「マンティコアは「バンコ」をPFM以上のバンドとして売り出そうとした。
しかし、英米ツアーの努力も空しく、セールスはPFMには到底およばなかった。
本作を聞く限り非難すべき箇所は見あたらないので、
マンティコア側のプロモーション態勢に矛先を向けるべき(一部略)」
と結んでいます。
もっとも、バンコがPFMに比肩するほどのセールスを獲得していたとしても、
マンティコアが多少延命するだけで、終焉は避けられなかったのでしょう。
グレッグ・レイクは、マンティコアレーベルを存続させるだけのヒットが続かなかったので、
会社をたたんだような話をしていましたが、
レーベルに相応しいアーティストを探す意欲自体が失せていたのかも知れません。
グレッグの晩年にはその意欲は復活していており、
イタリアマンティコアレーベルの先駆けとして、
グレッグの他界後にリリースされた、
トリビュートアルバム「ムーン・チャイルド」がありますが、
その後の展開は熱心に追っていないので解りません。
以上。
EL&Pを愛し続けてまいりましょう。

にほんブログ村

2000年に発売されたと思われる、
プラケースCDです。
中古で求めたものですね。
99年の6月の解説が入っているのですが、
解説の後に付記されている事項を読むと、
99年の8月に紙ジャケットCDが発売されたようです。
ピート・シンフィールドの「スティル」などは、
最初に紙ジャケットCDが発売されて、
あまり間をおかずに、プラケースCDが発売されていたように、
以前、取り上げた時に記していますが、
このバンコのCDもそれと同時期に発売されたものと思われます。
と書きながら、さらにジャケットブックレットを見たところ、
どうやら、
紙ジャケットで出していたマンティコアのシリーズから、
厳選した4タイトルを、
通常盤としてプライスダウンでリリースしたとの事。
ちなみに、
この邦題「イタリアの輝き」のイタリア後期アナログ盤は、
このブログを始めた頃に取り上げています。
あまり、音が良くなかった印象があると記していますが、
CD化されてかなり良くなったように思います。
片山伸氏が解説を書いていますが、
イタリアのポップスやロックに遡って、
イタリアのプログレが出てきた背景にまで、
触れています。
とても興味深いものでした。
片山伸氏は、
「マンティコアは「バンコ」をPFM以上のバンドとして売り出そうとした。
しかし、英米ツアーの努力も空しく、セールスはPFMには到底およばなかった。
本作を聞く限り非難すべき箇所は見あたらないので、
マンティコア側のプロモーション態勢に矛先を向けるべき(一部略)」
と結んでいます。
もっとも、バンコがPFMに比肩するほどのセールスを獲得していたとしても、
マンティコアが多少延命するだけで、終焉は避けられなかったのでしょう。
グレッグ・レイクは、マンティコアレーベルを存続させるだけのヒットが続かなかったので、
会社をたたんだような話をしていましたが、
レーベルに相応しいアーティストを探す意欲自体が失せていたのかも知れません。
グレッグの晩年にはその意欲は復活していており、
イタリアマンティコアレーベルの先駆けとして、
グレッグの他界後にリリースされた、
トリビュートアルバム「ムーン・チャイルド」がありますが、
その後の展開は熱心に追っていないので解りません。
以上。
EL&Pを愛し続けてまいりましょう。

にほんブログ村