杉戸宿と並行して流れる大落古利根川(おおおとしふるとねがわ)は、名の通りかつての利根川である。中川の支流にあたり、「大落」とは農業排水路の意。江戸期の文禄年間に、流路の付け替えで銚子から太平洋に注ぐようになる以前は、この流路を経て東京湾へと注いでいた。利根川といえば「坂東太郎」の別名を持つように、雄大で暴れ川のイメージがあるが、目の前の流れは穏やかそのもの。沿道の遊歩道を歩けば川風が気持ちよく、土手には菜の花や桜と柳の木々が見られる、のどかな水郷風景が続く。ところどころに水運の荷揚げ場のような親水護岸も設けられ、川辺に降りれば緩い流れに、名残の桜の花びらが散り舞う様が伺える。
利根川は上流域に、北関東の富栄養な土壌の山々を擁し、餌となるプランクトンが豊富な環境が形成されるため、ここで育つウナギは脂ののりも身の味も良くなるとされる。江戸期には利根川で水揚げされたウナギは遠路江戸へと運ばれ、江戸前に対し「旅ウナギ」と呼ばれ珍重されたそうである。現在も産卵期に河口へと下ったところを捕らえる、丸々太った天然物「下りウナギ」が、希少なこともあり大変な人気なのだとか。加えて河口域で養殖されるその名も「坂東太郎」は、天然物に匹敵する味と評判が高い。天然・養殖とも「利根川ブランド」のウナギは、昔も今も変わらぬ高評価がなされているようだ。
お昼のウナギのかき揚げ丼は、未知なる食感でうまかったが、ウナギ処に来た以上は正統派の蒲焼もいただいておきたい。川端の遊歩道を駅前通りまで戻ったら、再び宿場町方面へ足を向ける。本陣の近くで見かけた「あたごや」は、日光街道からふた筋裏の通りに位置し、店頭には白地に「うなぎ」の文字が染め抜かれた暖簾がひるがえる。杉戸宿の鎮守の愛宕神社に向かい合い、まるで門前の茶屋のよう。住宅街に忽然と現れた街道らしい風景に、まるで当時の旅人になった錯覚に陥ってしまいそうだ。
暖簾をくぐるとお昼の料亭とは対照的に、町の大衆食堂風のこぢんまりした店内が落ち着ける。壁に連なる品書きの短冊からうな重の並、のつもりが、すぐ下段の三種盛り天丼のタネのひとつが「ウナギ」なのが気になってしまう。ウナギの天ぷらとは聞いたことがなく、かき揚げ同様にローカルなウナギ料理とくれば、正統派のうな重よりも優先だ。サービスのウナギの中骨揚げをかじりながら待つ間、厨房からジュクジュクと揚がるいい音が響いてくる。炭火で焼く香ばしい匂いがそそる蒲焼とは、違ったタイプの食欲の訴求で、何だかウナギを待っている気がしないような。
丼には細長い天ぷらが三本、行儀よく並んで運ばれてきた。明らかにエビとイカではない奴から、熱々のうちにそのままひとかじり。食味はキス天のようだが、厚ぼったく歯ごたえがグイグイと強いこと。ホッコリふっくらした蒲焼を揚げたイメージでかかったら、なかなか手強い食べ応えだ。シコシコとしたあとは皮目がねっとり、後から膨らむ土の香りが川魚らしく、海由縁のエビやイカとは明らかに異質なのが分かる。まさにウナギの新食感、不意を突かれたうまさである。
お茶を入れに来たおばちゃんに、食感に驚いた旨を伝えると、「蒸して焼いた蒲焼と違い、身の弾力がすごいでしょ」。このウナギの天ぷらは市街の老舗料亭が元祖で、蒲焼には小さい小型のウナギに、衣をつけて揚げたのがルーツだという。界隈の川魚料理屋では各所で出しており、杉戸町の名物ウナギ料理として浸透しているのだそうだ。ちなみに使うウナギは希少な「利根川もの」ではなく、国産の養殖ウナギとのこと。手頃な値段でオリジナルな味が楽しめるのが、杉戸町のウナギ料理の真髄なのだろう。
天つゆがざっとかけられていたので、半分はそのまま味わい、残りに山椒を振ったらちょっと蒲焼風な味わいに。ネギがたくさんの味噌汁にたっぷりの漬物もありがたく、もたれることなくさっぱりといただけた。店を辞して春雨に打たれつつ、駅へ向かい三たび渡る大落古利根川。往時の賑わいの名残と川魚料理の奥深さに触れた、400年目の宿場町にてのローカル魚探訪である。